42 帰りましょうか
なんか今、とんでもないことを言われた気がする。
「俺が……礼知さんの居場所に?」
「といっても、彗は自分の好きなことをしていい。どこにいても、私はそれをサポートするつもりだから」
「礼知さんがサポート!?」
どうしよう、なんか意味がよく分からない……。
「君も知っている通り、アルファはコレクターが多い。おじい様は彼らに君を紹介すると言っていたけど、多分もう必要ないよ。向こうから押し寄せてくるはずだ」
いや、確かになんかいっぱい名刺は貰った。
けど、そんなはずないじゃないか。
だって俺は、あの街で一番――。
俺の気持ちを読んだように礼知さんはちょっと不服そうな顔をした。
「君はもう、紗乃幌で一番評判のいいベータだよ。正直、すごく焦ってる。君を奪われるんじゃないかって」
「奪われる!? ありえないですって!」
「いいや、きっとこれから忙しくなるよ。オメガルームの改装、プライベートルームの模様替え、それにもちろん、展示会も!」
そんなこと、想像もつかない。けど、礼知さんが嘘や慰めを口にするとも思えない。
「だけどね、彗。君が何もかも放り投げて、別の街へ越したいというのなら、私はそれでも構わないんだ。
やけにさっぱりした笑顔の裏に、とんでもない意思が込められている気がして、俺はおそるおそる聞いてみた。
「それって、どこへ行っても礼知さんがついてくるってことですか? 俺を連れていくんじゃなくて」
「そうだよ」
全く理解できないが、わからないなりに、気になったことがある。
「礼知さん、仕事はどうしました?」
すると、礼知さんはニッコリ笑って答えなかった。
これ、ダメな奴だ……。
「俺が、礼知さんの人生を背負うのは重すぎますよ……」
「別にヒモになりたいとは言ってないからね。ただ、逃げても追うって言ってるだけで」
ものすごく本気っぽい。けど同時に、こうも思う。
俺が本気で嫌がったら引いてしまうんだろうなって。
そしたら礼知さんは、社長室のあの壁際に立って、一人で反省会しちゃうんだろうか。
それは、なんだか泣きたくなるような光景だ。
「それにね、彗」
礼知さんはどこかすっきりした様子だ。からりとした口調で言った。
「君が住まないとわかったら、あの屋敷はどう思うかな。君が精魂込めて手入れしてきたあのお屋敷は」
「なっ!」
なんて脅しだ。
「彗が住まないなら、私もプランを考え直さなきゃならない」
畳みかけられて、俺の脳内でお屋敷がしょんぼりしてしまった。
それは俺にとって、反省中の礼知さんよりも想像しやすいものだった。
「空き家にするってことですか!? 待ってください、それじゃああまりにも可哀想です!」
「ねえ、ひょっとして私は、屋敷に愛着の点で負けているのかな?」
自分から振った話のくせに、礼知さんは嫌そうな顔をした。
それでも本気で不快というよりは、どこかからかい交じりだったから、俺も余計な不安を抱えずに済んだ。
そっか、俺の気持ちをほぐすために。
その時ふっと俺の中に、ある光景が浮かんできた。
朝、礼知さんがコーヒーを飲む姿を想像したあのテーブルに、今では俺の姿が共にある。
「……俺、想像できるみたいです。礼知さんとあの屋敷で暮らすこと」
柔らかで優しくて、幸福な時間を過ごせるだろうって、思ってしまった。
礼知さんが緊張した面差しで俺を見ている。
こんな厚かましいこと、口にしていいんだろうか。
迷いはまだあるけれど、それでも彼に伝えたい。
「――俺、礼知さんを望んでも、いいんでしょうか。いつか礼知さんと暮らすあのお屋敷を、『家』と呼んでもいいんでしょうか」
彼が求めているのはきっと、寂しさを埋め合うような関係じゃない。
喜びを分かち合うとかそういう、大げさなものじゃない。
他愛のないおしゃべりを楽しんだり、一緒に食事を摂ったり、そういうことなんだ。
「俺、礼知さんと一緒に、あのお屋敷で暮らしたいです……」
礼知さんは満足げに息を吐きだしながら、俺を抱き寄せた。
「やっと伝わった」
俺は顔を真っ赤にしながら、それでも彼の顔を見てツッコミを入れた。言わずにはいられなかった。
「いや、伝わったって礼知さん、言ってませんからね!」
「私から言ってしまえば、命令みたいになっちゃうだろ。そして君は断れない」
「まあ、確かに……」
納得した俺は、おそるおそる彼の胸元に額をくっつけた。
石鹸の香りの向こうに、アルファの匂いを感じ取り俺はガバッと身を引きはがした。
「いや、でもやっぱりアルファとベータじゃ……」
「……け~い?」
長く引き伸ばすみたいに、礼知さんは俺の名を呼び、頬をつねった。
そしてちょっと拗ねた様子でそっぽを向いた。
「まあいいや、今は。屋敷のついでで。――けど、帰るよね」
俺も今度こそ気が抜けて、情けない笑顔で、頷いた。
「はい。帰りましょうか」
翌日、ホテルまで便利屋のみんなが迎えに来てくれた。
「え、礼知さんもこのおんぼろワゴンに乗って帰るんですか!?」
「問題あるかな? 行きも乗せてもらったんだよ」
俺はギョッとして先輩たちを見た。
先輩たちは何やらブンブン首を振っている。悪いけれど、何が言いたいのか俺にはちっともわからない。
「動揺していたから、事故を起こすのが怖くてね。無理やり乗せてもらったんだ。いざというときの人質にもなるかと思って」
「礼知さん、なんか色々漏れてますよ」
じっとり睨むと、彼はそれが何かと言いたそうな顔で小首を傾げた。
車に乗り込む寸前、礼知さんが運転手役の先輩と何か話している隙に、井上先輩がこっそり俺の裾を引いた。
「彗、これ荷物」
俺のスポーツバッグだった。コインロッカーへ取りに行ってくれたらしい。
「あ、すんません!」
「ところでおまえ、発信機とかつけられているんじゃないよな……?」
「ええ? そんなわけないですよ」
スマホも持ってないし、礼知さんから渡されたものもない。
俺は笑って答えたのだが……。
先輩の運転するワゴンが市街を抜けて、国道沿いの長閑な道を走り始めてしばらくたって、俺は「……ん?」と首を傾げた。
スポーツバッグの底板の下から、礼知さんの会社の広報誌を取り出して、パラパラめくる。
すると、ページの間に不自然な膨らみがあった。何か薄いボタン電池みたいなのが紙の間に挟まってる?
「……礼知さん?」
隣に座る礼知さんは悪びれもせずにこりと笑った。
「君がそれを置いていくようなら、私もあきらめがついたんだけどね」
俺は大きく口を開け、口をぱくぱくさせた。
――これで俺の居場所が分かったのか!
一瞬、谷さんが俺を小馬鹿にする仕草が見えた気がした。
「返してくれる?」
「嫌です。この写真はもう俺のものです」
俺はきっぱり断った。
発信機がついてたって、別に問題ないや。同じ街に帰るんだし。
井上先輩が呆れた様子で呟いた。
「しまうんだ?」
こうして俺は、アルファの執着の凄さってやつを、身をもって体験したわけだけど――。
でも、なんで俺?
本当に俺でいいのかなって気持ちは、なかなか消えてくれなかった。
あれだけ言葉を尽くされても、俺はまだ、受け止めきれずにいる。




