38 鮮明な幻
人の多い街へ行こう。
一晩悩んで、決められたのはたったそれだけ。
なんとなく、礼知さんは俺を探すような気がするから、この街から離れる。
そうして始発で列車に乗り込んで、鉄路に揺られて三時間ちょい。ここで乗り換えて、さらに南へ行くつもりだ。
ところが、改札を出たところで、異変に気付いた。
やたらと人が多いような……。
「新幹線止まっちゃったみたいなんだよね」
誰かの声が耳に飛び込んできて、慌ててあたりを見回す。
周りの人たちはイラついたり、不安そうな顔をしている。
「動物侵入ってマジか……」
は? なんだそれ。
海底トンネルに動物侵入?
鹿か、鹿なのか!?
悲劇を気取る気はないけれど、ちょっぴり逃避行の気分でいたのに、妙な足止めを食らってしまった。
もはや笑うしかない。
いや、新幹線がダメならバスの予約を――。
ポケットに手をやったところで、スマホは会社に返してしまったんだと気が付いた。
窓口は長蛇の列。雰囲気は最悪。
俺の心はふっと別の場所に飛んだ。
この駅から少し戻れば、古い町並みの残る観光地、星舘市がある。
「どうせなら、行っちゃうか……」
同じことを考える人も結構いたのか、星舘へ向かう列車の中は混雑していた。
駅で観光マップを入手した俺は、ロッカーに荷物を押し込んで、財布とカメラだけ持って歩き始めた。
有名すぎる城郭よりも夜景よりも、興味が湧くのは郷土資料館、とかかな。
そのチョイス、我ながら大正解だった。
少なくとも展示物を眺めていた間は。けど、街に出るともうダメだった。
この港町は、外国の影響を大いに受けた歴史がある。だからハイカラと呼びたくなるような建物があちこちに残っていて、俺はどうしても礼知さんのことを考えてしまった。
「やっぱ、絶対似合うよな」
例えば大正初期に建てられたという、破風付きの切妻屋根の社屋には、いつもの三つ揃えの礼知さんが似合う。
小さくてレトロな市電をバックにするなら、白いセーターとジーンズの少しラフな格好の礼知さん。
ブルーグレイの壁に、窓枠や柱やバルコニーを黄色に塗った派手な公会堂……。この建物、本当に日本じゃないみたいだ。もういっそのこと、燕尾服とか着て欲しい。
白手袋をはめた手で、エスコートするのは……確実に俺ではない。
うん、俺じゃない。
だから、ここにいもしない礼知さんとの、街歩きを妄想するのはもう止めよう。
俺、気持ち悪すぎる。
「さすがに疲れたな……」
ふらりと入ったカフェの窓辺で、俺は行き交う人をぼんやりと眺めた。
時刻は15時を回っている。
新幹線なんて、とっくに運行再開しているだろう。
なのに俺は、ぐずぐずとこの街から離れられずにいた。
「あと、もう一か所だけ……」
礼知さんと出かける約束をしたときに、いつか一緒に行きたいと思った場所。
街を歩いていても、ふとした瞬間、その建物の尖塔が視界に入ってきた。その度ひそかにドキッとしては、気づかぬふりをしていた。
未練たらしい気持ちは、この街に、全部置いていかないと。
そう思うのだが、なんだか足が重かった。
灰色の空から雪がはらはら落ちてくる。
ライトアップにもまだ早い半端な時間のせいか、閉館間際の教会の前は人気もなく、やたらと寂しく見えた。
俺は腕をさすり、あまり考えず写真を一枚撮った。
画面の中の教会も俺の心を写し取ったようにぼんやりしていた。
いつもなら、一番よく見える場所から撮ろうと考えたはずだ。
今日撮った写真はすべて、酷い出来だと思う。
礼知さんが立ったらすごくいいだろうと思う場所にレンズを向けては、ため息を押し殺していた。
だから、聖堂内が撮影禁止と知って、俺はむしろホッとした。
カメラのレンズにふたをして、扉に手を伸ばす。
薄暗い室内に入ったとたん、圧倒された。
知らない国に迷い込んだみたいだ。色ガラスの装飾がはめ込まれた尖塔アーチの窓。青く塗られた壁。天井には金色の星が瞬いている。
正面の祭壇の前には誰か立っていた。
妙に絵になる人だった。灰色のロングコートを纏い、すらりと背が高く姿勢がいい。
あれ――?
と思った瞬間、ステンドグラス入りの格子窓から夕陽が差し込んで、中の人物を柔らかく照らした。
同時に、彼が振り向く。
感情をどこかに置き去りにしてきたような冷たいまなざし。
天使が裁きを下しに来たのだと言われても、頷いてしまいそうなほど、この場の空気に合っている。
うそだろ、妄想のし過ぎでここまで鮮明な幻覚が見られるようになっちゃった?
「礼知さん――?」
呼びかけた瞬間、天使が人間に戻った。
目を見開き、うっすらと口を開き、そして――。
転びそうになりながら、こちらへ駆けてくる。
幻じゃないと気づいたとき、俺はとっさに逃げ出していた。




