36 どういう意味だろう
夕食の席につくころには、礼知さんもオークリー君もしれっとしていたけれど、功斉様は何度か笑いを堪えていた。
ううう、俺も早く気持ちを切り替えよう。
食卓に並んだのは意外にも家庭料理だった。煮物と焼き物、お浸し、味噌汁とごはん。
ほかほかと、うまそうだった。
「坊ちゃま方がいらっしゃるとわかっていれば、お肉を用意したのですが」
お手伝いさんが恐縮したように言い、礼知さんが微笑んで小さく首を振る。
「構わないよ。突然押しかけてすまなかったね」
おおお、坊ちゃまなんだ……。
さすが。
「彗は肉の方がよかった? リクエストしておけば、次に来たときは食べさせてもらえるよ」
「俺は魚も好きですよ。この鮭だって皮目がこんがりしていて、すごくおいしそうです!」
素直に答えた後、ふとチーフの顔が脳裏に浮かんだ。白目をむいていた。
「……今の、遠慮するところでしたか」
そっと尋ねてみたところ、功斉様がとうとう吹き出した。
「そんなものはいらん。もう彗君は、うちの孫みたいなものじゃないか」
「だからと言って、あまり彗を連れまわさないでください」
流れるように孫扱いされて、俺はすっかり口を挟み損ねた。
礼知さんも否定しないし……。
「彗君、冷めちゃうよ、食べれば」
オークリー君は、すでに食べ始めていた。今は彼のマイペースさが羨ましい。
それにしても、この場に俺が混じっちゃっているのは、妙な気分だ。
家族の団らんって感じ。温かい料理がほんの少しだけ飲み込みづらかった。
「そういえば……おじい様、お願いがあります」
「うん? なんだ、礼知。珍しいな」
「彗に私の写真を与えないでください」
食後のお茶を思わず吹き出しそうになった。
「そんな! 礼知さん、なぜそうまでして!」
嘆いていると、傍で聞いていたオークリー君が「ふうん」と口の端を上げた。すかさず礼知さんが切り込む。
「オークリー、同じことをやり返されたくなければ余計なことはするな」
その脅し、俺にはよくわからなかったがオークリー君には効いたらしい。彼はぐっと口を閉ざした。
「ふむ……。わしの写真ならいいだろう?」
そう言って、功斉様がお手伝いさんに持ってこさせたのは、この間の展示会の写真だった。
「すみません、拝見する前に手を洗ってきていいですか」
そう断って一度席を離れ、戻ってきたときにしまったなと思った。
出てくるときにきちんと閉めていなかったのか、両開きの扉が薄く開いていたのだ。
ドアノブにそっと手を伸ばしかけたとき、ふいに自分の名前が聞こえた。
オークリー君の声だった。
「彗君が、オメガだったらよかったのにね、礼知」
「……そうだな」
ため息交じりの声を聞き、俺は自分の口に手を当てた。
音を立てないように後ずさりして、廊下の壁に背をつける。
オメガだったらよかったのに……。
その言葉がリフレインした。
いったいそれ、どういう意味だ。
だけど、こんな盗み聞きみたいなマネをしておいて、問い詰めるわけにもいかない。
俺は何も聞かなかった。それが一番平和的な解決だ。
こっそりと息を吸いなおして、何でもない顔でするりと食堂に戻った。
「お待たせしてすみません。拝見いたします! ――って。うわ、これ、俺が邪魔!」
思わず天井を仰いでしまった。
コレクションに囲まれ、堂々と椅子に座る功斉様と、その横で変な笑みを浮かべる俺。
「彗は写真写りが悪いね」
礼知さんが首を傾げ、オークリー君ものぞき込んで無表情のまま「ぷ」っと笑う。
「緊張していたんです」
「彗が?」
礼知さん、そんなキョトンとすることないんじゃないかな。
俺だって緊張くらいする。
「あの場にいたの、なんかすごそうな人ばかりだったじゃないですか」
「なんの。ただのもの好きなじじいの集まりだ」
功斉様は豪快に笑うけど、そんなわけがない。俺はむっと顔をしかめた。
すると功斉様は人の悪い笑みを浮かべた。
「彗君、皆それぞれ癖のあるコレクターだぞ? 見てみたくはないかね」
「え!?」
「おじい様、そうやって彗を誘惑していたんですね。止めてください」
俺はぐらぐら揺れていた。チーフの胃腸を守るためにも、礼知さんに程よいところで止めてもらえるのはありがたい。けど、癖のあるコレクションとやらを見てみたい気持ちもある。
「アルファってたいてい妙なもの集めるよね。彗君はベータだけど、なんかコレクションしているの?」
何か妙な期待をされているな。俺はゆるく首を振った。
「俺は、写真を撮るだけで満足なんです」
笑って答えたはずなのだけど、オークリー君も礼知さんも、一瞬妙な顔をした。
痛ましいものでも見るみたいに。
貧乏人だと思われてるな。まあ、否定できないけど。
「お招きありがとうございました。それでは、失礼します」
「またいつでもおいで」
今の功斉様の口ぶり、ちょっと礼知さんに似ていた。
おかげで俺は、自然と笑って頷いていた。
「彗、そこまで送っていくから」
断ろうにも彼はもう靴を履いていて、俺の背にそっと手を添えて歩き始めた。
「おじい様が連れ歩くから、彗とゆっくり話す時間もないよ」
などと言った割に、礼知さんは何も言わず俺の隣で白い息を吐くばかりだ。
とはいえ俺の方も、さっきの言葉が耳から離れない。いつもみたいに調子よく話すことができなかった。
俺がオメガなら、礼知さんは俺をどんなふうに扱ったのかな。
なんて、考えても詮ないことだ。
ベータはどこまで行ってもベータなんだから。
ふと見上げた先に月が見えた。
月には暈がかかっていて、淡い光は地上までは届かない。




