35 やらかしたかも
功斉様のご自宅で、思いがけずオークリー君に再会してしまった。
逃げ腰になった俺に対して、彼は相変わらずの無表情でするりと近寄ってきた。
「ひどいよ、彗君、どうして連絡くれないの?」
「れ、連絡……?」
俺はもちろん、オークリー君の連絡先など知りもしない。
困って首を傾げると、彼は「あ!」と微かに眉をひそめた。
「もしかして礼知のやつ、彗君に渡さず握りつぶした?」
どことなく物騒な響きだが、彼が絡むと礼知さんはちょっと変だから、まったく可能性がないとも言い難かった。
俺が口を閉ざす間も、オークリー君はなにやらぶつぶつ言っていた。
「いくらオメガが嫌いだからってさ、僕は何もしていないのに」
「礼知さんがオメガ嫌い? けど、やっぱりアルファはオメガと結婚するのが幸せなんじゃ」
戸惑いながら尋ねると、彼はさらりと否定した。
「そんなことはないよ。破綻する家庭は破綻する」
まるで、そういう家庭を知っている、みたいな口ぶりだった。
「運命だなんだ言ってもね、結局はコミュニケーションだし」
淡々と紡がれる言葉に重さは感じられない。
けど俺は、なんと返せばいいのかまるで分からなかった。
「彗君、そんな顔をするってことは、彗君は愛されてるんだね、うらやまし――」
羨ましいと無表情に言いかけたオークリー君が、目を見開く。
「え、ごめん! もしかしてもういない感じ?」
「いや、大丈夫」
言いながら、俺は目をそらしてしまった。すぐに笑顔を作ったものの、オークリー君はこちらを見ていなかった。
「本当に、大丈夫ですから!」
繰り返したものの、彼は「うわー、やらかしたかも!」なんて言いながらスマホを取り出した。
やがて小さく呼び出し音が聞こえてきた。
「……オークリー君? 誰に――」
「もしもし、礼知? 僕やらかしたかも、彗君が」
スマホの向こうで『彗が何!』とめちゃめちゃでかい声が聞こえた。
「礼知さん!? いや、俺全然」
『彗、なんでソイツと一緒にいるの』
オークリー君はうるさそうに、スマホを遠ざけつつ、マイクを俺の方に向けた。
「いま、功斉様の家にいて」
『すぐ行く!』
「ちょ、礼知さん!?」
「これでよしっと」
無情にもオークリー君は通話を切ってしまった。
「何をやってるんですか、あの様子じゃ本気ですぐに来ちゃいますよ!」
自分のスマホで掛けなおしたものの、まったく繋がらない。
「ほんとすごいよね、彗君。礼知を動かせるのはおじい様か彗君くらいだ」
「なにその二択!?」
「礼知がくるまで、あいつが子供のころの写真でも見てる?」
いろいろ言いたいことはあった。
が!
こんなチャンス逃せるものだろうか。
結局俺は、誘惑に抗えなかった。
書斎に移動したのも仕方のないことだったんだ!
絨毯の上にじかに座って、重たいアルバムを開く。
俺はすぐにデレデレになってしまった。
「さすが礼知さん、赤ちゃんの頃からゴージャスですね!」
「じじばかだよね」
親ばかじゃないことに、ちょっと疑問を持ちつつ、あえて気づかぬふりをした。
写真の中の礼知さんは、それはもう天使のように愛らしかった。
お食い初め、誕生日、七五三、節目節目の写真が多くて、意外と日常のものが少ない。
それでも、写真の中で礼知さんははじけるような笑顔を浮かべていた。
今でも時々、笑い上戸なところが顔をのぞかせるけど、そのルーツを見た気がした。
ところが小学校を卒業し、中学の半ばから急に大人びた顔つきになった。
「このころから今の礼知さんスマイルですね」
何かのトロフィーを手に微笑む礼知さんを見ながら、俺は首を傾げた。
思春期かな。可愛いからかっこいいに変わりつつある感じ。
「そうだね。礼知がつまんない男になったのはこの頃からだよ」
「意義あり! 礼知さんは面白い人ですよ」
「それはさ、彗君の前だからだよ」
「うん?」
言われたことの意味が分からなくて、俺はまた首を傾げた。
フクロウみたいになっちゃいそうだ。
オークリー君は無表情に頷いた。
「うん。彗君のおかげで最近の礼知はちょっと面白い。表情も豊かになったし」
「それ、オークリー君が言います?」
彼こそほとんど表情筋を使ってないじゃないか。
「僕のは封印しているだけ。僕が微笑むと、みんな溶けちゃうからさ」
そう言うと彼はふいに青い瞳を細めた。
それだけで瞳の輝きが三割増しになり、ほころぶ口元がツヤッツヤに見え、周りに満開の花まで見えた気がした。
「うお! 確かに危険!」
「あれ、彗君にも効果あり?」
「あ、やめて!」
その瞬間、バタンとドアを開けて礼知さんが飛び込んできた。
「彗、無事!?」
「大丈夫です、目をつぶっております!」
なんかオークリー君がこじ開けようとしてくるけど。
礼知さんの返事はない。その代わりに聞こえてきたのは、深く息を吸う音。
「オークリー! 今すぐその手を離せ!」
俺はびっくりして口をパカッと開けてしまった。
礼知さん、そんな大声出せるのか!
オークリー君も驚いたらしく、彼の手がますます俺の瞼に食い込む。
「嫌だね、なんだってそうすぐ命令するんだ!」
「ちょっ、目! 危ないから!」
そう訴えるとようやく彼の手が離れた。
俺は素早く移動して、礼知さんの前に正座した。
「礼知さん! 幼少のころの写真、数枚ください!」
「………………………………ダメ」
なんか、かなりタメがあったけど、却下されてしまった。すこぶる残念だ。
「礼知礼知、彗君はね、僕の顔も好きだって!」
「そうは言ってませんよ!」
「微笑んだら溶けそうになってたじゃん」
「ふお!」
慌てて顔をそむけた先には礼知さんのドアップがあった。俺はもちろんしっかりと目をつぶる。
すると彼は、耳元で囁いた。
「彗、彗は私の顔の方が好きだよね?」
「礼知さんは、顔だけじゃないです! 佇まいが素晴らしいんです!」
とっさに叫んだことで、俺は大変な気づきを得た。
この写真、実は全部プロが撮ったものなのでは?
ということは――。
パッと目を開けて、俺は礼知さんをまじまじと見つめた。
「もしやプロのカメラマンになれば、撮影の機会がいただける……?」
「は……?」
血走った目で見たせいか、礼知さんはちょっと身を引いた。
「何、彗君、写真撮りたいの? 撮っていいよ」
「あ、いえ、結構です」
オークリー君の申し出はきっぱりと辞退する。ややこしいことになるのも嫌だし。
礼知さんが何か言おうとしたところで、書斎の扉がまた開いた。
こちらを覗き込んだのは、あきれ顔の功斉様だった。
「いったい何を騒いでいるんだね」
しまった、また俺やらかしたかも。
よりによって功斉様のご自宅でバカ騒ぎするなんて……。
俺はすっかり青ざめた。




