32 隠し通さないと
季節は巡り、和倉家の門に絡みついたツタも赤く色づき始めていた。
俺ももうポロシャツ一枚ではいられず、作業着の上下を着こんでいる。
展示会の準備は着々と進んでいた。
忙しすぎて社に顔を出す暇がないし、礼知さんともなかなか会えずにいた。
内心で、盗撮しちゃおうかとか考えちゃったこと、バレたわけじゃないよね。
などと気まずい気分のときにスマホが鳴って、俺はギクッとした。
見慣れない番号ではあったものの、一応出てみる。
「はい。便利屋ベター、榎並です!」
「あ、谷だけど」
「なんだ谷さんか、どうしました?」
「なんだとはなんだ」
その横柄な態度がなんだかすでに、ちょっと懐かしい。
けど、オークリー君のことなら答えられないぞ。俺も知らないし。
少々身構えてしまったのだが、向こうも何やら、ごにょごにょと言いづらそうな様子だった。
「その……あの件聞いた。俺クビになるところだったって、おまえ……いや、榎並さんが口添えしてくださったと」
「別にため口でいいですよ。それに、口添えって言っても大したことはしてません。けど――」
俺は自然と微笑んでいた。
「よかったですね」
ふんと、意地っ張りな鼻息が聞こえたあと、静かに谷さんは「まあな」と答えた。
「じゃあ、礼は言ったからな!」
一方的な通話が切れた後、俺は首を傾げた。
……言ってないぞ。
「まあいいや」
別にそれほど心配していたわけではないが、思いがけず近況を聞けて、よかったなと俺は素直に思った。
◇ ◇ ◇
功斉様のコレクションは多岐にわたる。そこで、まずテーマを決めることにした。
今回は動物。
たとえば猫足のバスタブなんかはよく知られていると思うけど、他にもいろんな足がある。
龍がボールを掴むデザインとか、ヤギの蹄を模しているヤツとか。
今にも歩きだしそうで、妖怪じみていて面白い。
そういったチェストや椅子やテーブルは、展示品であると同時に、展示台も兼ねる。
会場はそれほど広くないから、高低差で見せる展示にするつもりだ。
不思議な形の鉱物とか、オークリー君が気に入っていた猫の置物。
それからキセルや根付のコレクションなんかを並べる。
正直、めちゃめちゃ楽しい。
俺の写真も、恥ずかしいけれど展示会の一角に、できるだけ控えめに貼ってもらうことにした。
気づいた人だけが楽しめる、おまけみたいなものだ。
それにしても時間が足りない。
雪が降る前に開催したいと言われているから、残りひと月で準備を済ませなくてはならないのだ。
アルファって本当に、思い付きで行動するよな。
会場は礼知さんの会社が入っているあのビル。礼知さんのビルなんて呼んでいたけど、本当にここ、丸ごと礼知さんの持ち物だったらしい。
やっぱり雲の上の人なんだなと、改めて実感した。
ちなみに当日は、閉館時間を早めてレセプションパーティーとやらをするそうだ。
関係者を集めたお披露目みたいなやつらしい。
招待状の類は、功斉様の秘書が進めてくれているらしい。
そっちは俺には関係ない。
搬入は前日の夜、閉館後に行う。
ってことで、深夜の作業となったが、先輩たちも駆けつけてくれた。
「彗、おまえ出世したなあ」
井上先輩がしみじみ言う。
「榎並、功斉様にご迷惑をかけていないだろうな。チーフが心配していたぞ!」
「俺のコミュニケーション能力がいい感じに爆発してますよ」
「調子に乗んな!」
こうやって気安いやり取りをするのも久々だ。
調子に乗るな、か……。
自分でも、本当にそう思う。
零時を回ったところで、功斉様がふらりと現われた。先輩たちは急に縮こまって気配を殺している。
「順調かね」
俺は作業に夢中だったので「はい!」と元気よく返事をしたものの、目線は牛の置物へ注いだままだった。
「ここの角度をもうちょっと……。よし、かわいい! あ、すんません。人様のものを勝手に愛でて」
「構わんよ。みな君にまた会えて喜んでいるように見える」
功斉様の声には、コレクションに対する愛情が感じられた。
だから続く言葉に、内心飛び上がるほど驚いた。
「どうかね、この展示会が終わったら好きなものを連れて帰ってやってくれないか」
その瞬間、俺の脳内でけたたましい音が響いた。
たくさんのものが一斉に壊れる音。
望んじゃダメだ。
きっと、全部ダメになる。
「彗君?」
気が付くと、俺は無意識にポロシャツを握りこんでいた。
ぐしゃっとなった布を叩いて戻して、俺はいつものようにニカッと笑って見せた。
「嬉しいですけど、やっぱり俺にはもったいないですよ。それより、写真! 展示会の写真を記念に撮ってもいいですか?」
「ああ、もちろん……」
「俺にはそれで充分です!」
話を無理やり終わらせて、俺は功斉様の背を押した。
「功斉様はもう休んでください。明日の最終打ち合わせの時にチェックをお願いできますか?」
「もう遅いから、君らも早く帰りなさい」
「はい、そうします!」
そうは言ったものの、もう少し微調整をしたい。
先輩たちにも帰ってもらい、一人になった俺は、その場にすとんと座り込んだ。
静まり返った深夜のビルの中、獣の足を持つ椅子やチェストたちは、今にも動き出しそうだった。
実際に動いてくれればいいのになと、俺はちょっとメルヘンなことを考えた。
やっぱり、功斉様とじいちゃんの趣味はちょっと似ている。
こうして眺めているとどこか懐かしく、少し胸が痛かった。
「おまえたちは、いい人に出会えてよかったな」
じいちゃんが大切にしていた店は、壊されてしまった。
中の品物ごと、重機でいっぺんに。
あの時の光景を、俺は多分、一生忘れない。
大切なものは、いつか失われる。
だから俺が手元に残せるのは、写真くらいだ。
「今度は椅子とお話してるの?」
背後から急に話しかけられて、俺は驚いて振り向いた。
「礼知さん、こんな夜中に出歩いてちゃダメですよ! 危ないです!」
「君に言われたくないな。彗の方がよっぽど危なっかしいじゃないか」
礼知さんは、俺のそばまで来て、片膝をついた。
「泣いてたの?」
「いえ、まさか!」
すぐに否定したのだが、礼知さんはじっとこちらを見つめた。
とっさに表情を取り繕おうとしたけれど、全然うまくいかなくて、つい目を伏せてしまう。
彼はそれを咎めるでもなく、そっと俺の頭を撫でた。
そのぬくもりにホッとして、深く息を吐いたとたん、思いがけずぽろっと涙がこぼれてしまった。
「あ、わっ、すみません」
乱暴にこすって、なかったことにしようとしたけれど、礼知さんは見逃してはくれなかった。
「おいで」
彼は俺の手を引いて歩き出した。
そこは、明日のレセプションパーティーの会場にもなる、フリースペースだった。
普段はビルにやってきたお客さんが好きにくつろぐ場所だ。
大きな窓から夜の街路が見えた。人通りは少なくて、時折、思い出したように車のライトが流れていく。
礼知さんは何も聞かず、俺の隣でしばらく景色を眺めていた。
黙っていられなくなったのは、やっぱり俺の方だった。
「じいちゃんのことを、思い出していました」
「うん」
「俺、大人になったらじいちゃんの店を継ぐつもりでいたんです」
「古道具屋?」
「はい」
頷いたらまた涙がこぼれそうになった。
もう、とっくに枯れたと思っていたのに。
「だけど、高二のときじいちゃん死んじゃって……」
親戚がやってきて、更地にしたいからとじいちゃんの店を壊してしまった。
じいちゃんが大事にしていたものを、何一つ守れなかった。
言葉を詰まらせた俺に、礼知さんはハンカチを差し出した。
汚すのは申し訳なかったけど、俺、ティッシュなんて持ってない。
洗って返そうって思ったおかげか、感傷的すぎる気分がふっと現実に戻ってきた。
俺はようやく笑みを浮かべることができた。まだ少し、ぎこちないかもしれないけれど。
「功斉様がこうして物を大切にしているのを見て、すごく嬉しいです。だけど同時にすごく――」
「寂しい?」
「そうかもしれません」
「彗、大丈夫だよ。彗のおじい様がおそらく一番大事にしたかったものは、ちゃんと残ってる」
「それって……」
「彗のことだよ」
「え? 俺? 俺物扱いですか?」
泣いてしまったことが気恥ずかしくて、俺はわざと茶化した。
礼知さんは慌てるでもなく、静かに首を傾げ、まじめな顔で俺を諭した。
「それは『もの』という言葉の意味を狭めすぎだよ」
「え?」
「おじい様の店のことも、品物のことも。――彗だって、そういうものを全部含めて、おじい様を大切にしているだろう。同じように、おじい様もまた、彗を大切にしていたはずだ」
落ち着いたと思ったのに、また胸に熱いものがこみ上げてきた。
「ちょ……、泣かせないでくださいよ!」
「泣いたほうがいいよ。彗のことだから、ろくに泣いてこなかったんだろう」
礼知さんが俺の肩を抱き寄せた。
そのぬくもりは、寂しさよりも別の感情を呼び寄せた。
悲しみが柔らかく溶けて、体の中から何かが塗り替わってしまうような。
これは絶対にダメだ。
人として好き?
そんなものでは、もうごまかしようもない。
せめて俺が、オメガだったならまだ許されたかも。
でも、俺にはこんな気持ち絶対に許されない。
隠し通さないと――。
だけど、今だけは。
誰も見ちゃいないんだから。そんな、ずるいことを考えた。




