31 罪なお人だなあ
功斉様から呼び出しを受けた三日後、俺は大きな門の前に立っていた。
門の向こうにどっしりと佇んでいるのは、灰色の壁に赤い屋根の洋館だった。
「うおおおっ、軟石造り! 屋根窓ついてる。ここって、指定文化財じゃないんですか! 本当に個人宅?」
大興奮する俺の横で、礼知さんが「ドーマー?」と首を傾げた。
「あの、屋根からぴょこっと出てる窓です! 可愛いなあ!」
「可愛いんだ?」
礼知さんが困ってる。俺は居住まいを正した。
「すみません、はしゃぎすぎました」
「期待していたら悪いけど、中は改装しているよ。彗としてはどうなの、そういうのって。元のまま保存してほしいとか思う?」
「家を大切にするのと、快適にするのは別に矛盾しませんよ。むしろ工夫して長く住んでもらえて、家も喜んでるんじゃないっすか。なー?」
「え、今、家に話しかけた?」
「え、声に出てました?」
その時、インターフォンから押し殺した笑い声が聞こえた。
「押してたんですか!」
「ダメだった? あ、それともこのまま帰っちゃおうか」
「礼知、聞こえておるぞ」
嘘だろ、いつ押したんだ!?
今の、まさか功斉様ご本人か……。
俺はぱくっと口を開け閉めしてから、息を吸いなおし九十度のお辞儀をした。
「大変失礼しました。便利屋ベターの榎並です!」
「ああ、いらっしゃい。待っていたよ」
「流してくれましたよ、さすが礼知さんのおじい様!」
「まだ繋がってるよ」
「あ!」
玄関先で、功斉様と礼知さんは俺を挟んで笑いを堪えていた。肩をぷるぷる震わせる様子は、なるほど濃い血筋を感じさせた。
気は取り直せていない!
それでも仕事の話だ。きちんとしよう。
功斉様は俺が作ったお屋敷の品物目録を、応接間のテーブルに乗せた。
「素晴らしい出来だ」
「ありがとうございます」
いつもみたいにニカッと笑えず、俺は恐縮してギクシャクと会釈をした。
礼知さんが隣にいてくれるから、まだこの程度で済んでいる。
功斉様は街の重鎮ってだけあって、さすがの俺もほんのり緊張する。
今更って気はしなくもないけれど……。
「礼知が珍しく住まいに興味を持ったと思ったら、なるほど目当ては君の方か」
――あ、やべ。俺今、なんか聞き流したかも。
一瞬焦ったが、礼知さんがさらっと先に進めてくれたので事なきを得た。
「おじい様、本題をどうぞ」
「……ふむ」
功斉様は目録をそっとなでるようにして、目を細めた。
「これを見ていると、手に入れたときの感動が蘇ってくるようだよ」
「こちらこそ、貴重なものに触れる機会をありがとうございます! すごく楽しかったです」
「この品々、しまい込んでいるだけではもったいないと思わないかね」
「思います!」
俺の返事に功斉様は満足げに頷いた。
「そこでだ、この中からとっておきを選んで展示会を開こうと思うのだがね」
「めっちゃいいじゃないですか、俺絶対見に行きます!」
「見に来るだけで満足かね?」
ドキッとしたのを見透かしたように、功斉様は片頬に笑みを浮かべた。
「君には、品物の選定から展示まで、ぜひ手伝って欲しいんだがね」
「そ、それは――!」
「お待ちください、おじい様」
礼知さんの手が肩にポンと置かれて、俺は自分が身を乗り出しすぎていることに気づいて、すとんと椅子に戻った。
「彗は私の専属です。もう次の仕事も与えています」
「屋敷のことだろう? 急ぐ話でもあるまい。屋根や壁を塗りなおしている間、わしの仕事をちょっと手伝ってもらうだけだぞ?」
『ちょっと』とジェスチャーで示す限りは、些細な頼み事って感じに見えるけど、そんなわけないよな。
興味はあるけど、礼知さんをお待たせしたくもない。
やっぱりここは――。
「彗君もやりたいみたいじゃないか」
「その『彗君』というのも止めていただけませんか」
「ううん? どうしてだ、彗君、君の会社に決まりでも?」
「いえ、呼ばれる分には何も。俺の方は本当はまずいんですけど……」
俺はチラッと礼知さんを盗み見た。
「今更変えるとは言わないよね?」
「はい。今更っすね」
「ふむ、ではわしのことも功斉と呼んでもらおうかな」
「それはダメですよ。チーフが泡吹いて倒れちゃう!」
いやいや、「はっはっは!」じゃなくて。
助けを求めて礼知さんを見ると、彼は長い足を組んで臨戦態勢を取った。
「おじい様、あまり彗を困らせないでください」
「和倉が何人いると思っている。わしにだって名前で呼ばれる権利くらいはあるんだぞ。ああ、そうだ。功斉が嫌ならおじい様にするか?」
「禁断の響き! さすがに重罪すぎますよ」
「なんでちょっと嬉しそうなんだ」
てんやわんやの末、結局断り切れずに「功斉様」呼びにすることになってしまった。
ギリセーフだって思いたい……。
その辺りで、礼知さんは時間切れらしい。
「いいですか、おじい様。貸すだけです。展示会が終わったら、彗は返してもらいますから」
念押しして仕事に行った。
俺はといえば、そのあとも残って展示会に向けての打ち合わせだ。
「それで、一緒に君の取った写真を飾ろうと思うんだが」
功斉様は目録を指さしてそんなことを言い出した。
「え、俺のですか? けど、実物があるのに」
「君の写真には魂がこもっている。これはもう立派な作品だ」
微笑む功斉様に、ふっと、じいちゃんの姿がダブって見えた。
中学生の時、うまく撮れた写真を自慢した。小さな置物を大写しにした、今見ると稚拙な一枚だったけど、じいちゃんは「笑っているみたいだな」って言ってくれたっけ。じいちゃんの口角も、珍しく上がっていた。
優しい思い出のはずなのに、なぜか胸のあたりがチクッとした。
申し出は嬉しい。けど、やっぱり少し迷った。
「少し、考えさせてください」
俺がそう言うと、功斉様は微笑んで頷いた。
その日の夜、礼知さんから通話があった。この番号は――プライベートの方。
「彗、ちゃんと帰った?」
「はい。もう寮です」
俺はなんとなく、窓辺に行ってカーテンの隙間から外を見た。
別にそこから、礼知さんのビルが見える、とかでもなかったけれど。
「よかった」
と、スマホの向こうで礼知さんが安堵のため息みたいな音を立てた。
「泊まっていけとか言われなかった?」
「言われましたけど、そこまで図々しくないですよ」
「ならいいんだ。じゃあ、祖父と何を話したのか聞かせてもらおうかな」
「はい。どれを展示するか話し合いました。あ、でも……」
「なに?」
「功斉様に、俺の写真を飾らないかって言われたんです」
「ああ、目録の写真。いいよね、あれ」
「え!? そ、そうですか……?」
「言ってなかったっけ? 好きだよ、彗の写真」
う、わ……。
俺は声にならない悲鳴を上げた。
何だろう急に頬が熱い。
通話で良かった。こんな顔見せたら、気持ち悪がられてしまう。
「あ、あー、だったら、礼知さんも撮っていいっすか?」
俺は冗談めかして聞いてみた。ちょっと、声がうわずってしまったけど。
礼知さんが黙り込んだので、俺は心配になってきた。撤回するべき?
「……彗は、写真だけで満足?」
「はい、もちろんです!」
「じゃあダメだ」
「えー」
「君は写真で満足かもしれないけれど、私は、君に会いたい。会って、話がしたい」
やけに優しい声で言うから、俺はまた危うく勘違いしそうになる。
本当に罪なお人だなあ。
ため息を押し殺し、代わりに息だけで笑った。
「笑えるからっすか?」
「そうだよ、君といると笑える」
ほら、やっぱりからかっているだけじゃないか。
「それで? 目録の写真だったよね。それを飾ると何かまずいのかな」
「まずいというか……、実物を展示するわけですし」
功斉様のコレクションは味のある造形物が多い。
そういうのって、見る角度でだいぶ印象が変わるものだ。
「人には人の見え方があって、俺の写真は俺の見え方の押し付けになっちゃうんじゃないかって」
礼知さんはしばし黙った。通話はこの時間が落ち着かない。顔を見て話せば、礼知さんが何を考えているのか想像できるのに。
「押し付けられているとは、思わないかな。――ただ、君の『好き』がダイレクトに伝わってくる。それが気持ちいいんだ。だから君は、もっと自信を持っていい」
今度は俺が、長いこと黙り込んでしまった。
何か言わなきゃって思うのに、胸が詰まって声が出ない。
礼知さんはずるいな。
こんなの、人として好きにならないほうがおかしい。
礼知さんの姿も、声も、ふるまいも。全部が全部かっこよすぎる。
ただのベータに、こんな気持ちを抱かせてどうするつもりなんだ。
――なんて、その答えはすでに知っている。
どうにもなるはずが、ない。
「彗? 寝ちゃった?」
「いえ、起きてますよ。礼知さんがすごく褒めてくれるから、味わってました。けど、礼知さんの写真は撮らせてくれないんですよね」
困らせたかな。また黙り込んじゃった。
欲しいな、礼知さんの写真。
こっそり撮ってしまおうか。
この先、俺がまた何かやらかして、彼に会えなくなったとしても。
こっそり眺められるように。




