30 なんでこんなに撮りたいんだろう
洋風建築の見学受付を済ませて、ホールに入ったところで、俺は尋ねてみた。
「礼知さんはここにもよく来ますか?」
「会議で何度か。それとコンサートも」
「うわ、どっちも俺には縁遠いやつ」
「そういえば今日、祖父もここで会議だと言っていたな」
「鉢合わせるとマズかったり?」
「そんなことはないよ」
一応尋ねてみたところ、思いがけないことを聞いたという感じで彼は笑った。慌てて立ち去る必要はないようだ。
「よく使うんなら、俺より詳しそうですね」
「そうでもないよ。それに彗の解説も聞きたいし」
「ガイドさんの受けうりしかできませんよ。あの天井の漆喰装飾とか、ふつうに見落とすとこでしたし」
真っ白な天井には椿の花が立体的に描かれている。
「すごいですよね、左官がこてで作り上げたって聞いておどろきました」
滑らかで繊細な仕上がりにうっとりするのだが……。
「けど、写真として絵になるか――と言われれば、微妙ですね」
正直にぶちまけすぎたのか、礼知さんが笑いをかみ殺している。
一階をぐるりと見て回り、使用していない会議室があったのでそこものぞく。
「日差しがきれいですね」
隣に遠慮して、俺はひそひそ礼知さんに語りかけた。
古いけれどよく手入れされた机といすが並んでいて、大勢で使うには少し狭い。その分、雰囲気はいい。
「ここで礼知さんが会議をするわけですか」
「私が主催するわけじゃないけどね」
「ああ、礼知さんの会社は、もっとスピーディーなイメージありますね」
会議室から出たタイミングで、ちょうど隣の会議も終わったらしい。五、六十代の男性たちが低い声で上品に何かささやき合いながら出てきた。
「おじい様」
「礼知か。こんなところでどうした」
俺は反射的に、礼知さんの背後でササッと頭を下げ、存在感を消した。
礼知さんのお祖父様ということは、あの和倉功斉様ってことだ。
紗乃幌市で有名人といえば? なんてインタビューしたら、真っ先に名前の挙がる人。
一緒のメンバーもたぶん、そうそうたる顔ぶれなのだろう。市長しかわかんなかったけど。
「失礼。先に行ってもらえますかな」
功斉様が居並ぶメンツに断りを入れる。ごゆっくりとかなんとか、一声ずつかけて会議のメンバーが解散していく気配がする。
その間、俺は空気、俺は空気なんて自分に言い聞かせながら床を見つめていた。
「ああ、おじい様。たまたま通りかかっただけで、用事があるわけではありませんから」
「なんだ。冷たいヤツだな、せっかくこうして会ったのに。何をしていたんだ」
「このあたりを少々見学していただけです。彼と」
ご、ご紹介いただかなくてもいいんだけどな。
「君は?」
尋ねられては仕方ない。俺は思い切ってニカッと愛想笑いを浮かべた。
「はい。便利屋の榎並と申します」
「便利屋? とすると君があの目録を作った榎並彗君かな」
「え、は、はい!」
俺はギョッとして礼知さんを見た。なんで俺の名前知られてんの!?
すると礼知さんはくすっと笑って、俺の肩を叩く。
「そんなに緊張しなくても大丈夫。言ったろ? 君の仕事ぶりを気に入ったようだって」
「ああ、そうだとも。目録も素晴らしいが、埃を取ってから、倉庫に送ってくれただろう? 実に的確で丁寧だから感心していたんだよ。掛け軸の手入れなど誰かに習ったのかな」
「祖父が昔、古道具屋をしていたので、そのときに少し」
「ほう、それは素晴らしい。おじいさまは今どうされているのかな?」
「もう亡くなりました」
「そうか、それは残念だ」
いたわりのこもった声に、俺は思わず功斉様を見つめてしまった。
礼知さんと功斉様はよく似ていた。年を重ねた分、貫禄というか深みがあるのだが、笑顔は人好きのするものだった。
「おじいさま、あまりお待たせしては申し訳が立ちません。みなさん、お忙しい方ばかりでしょう? 私たちはこれで失礼します。近々改めて伺いますから」
「ああ、そうだな。そのときは彗君、ぜひ君も来なさい。本邸のコレクションも自慢したい」
「それは嬉しいです!」
喜んでしまったが、社交辞令だろうか。いや、あのニヤっとした笑いは本気っぽいぞ。
しかし本邸のコレクションか。すごそうだな、倉庫でもアレだぞ。逆に高級すぎて身動きできないとかあるだろうか。いや、でも趣味のいい人だからな……。
本当に見せてもらえたならすごく嬉しい。
「彗、行くよ」
礼知さんに手を引っ張られてようやく、俺は自分の思考に沈みすぎていたことに気が付いた。
「すみません。えっと、次は二階に行きましょうか」
「うん」
「なんか、怒ってます? 失礼がありましたでしょうか」
俺、その辺は全然自信がない。功斉様に気を使わせてしまった気もするし。
「いや、そうじゃない」
階段の一歩手前で、礼知さんは振り向いた。その顔はやっぱりどこか不機嫌で、違うと言われても落ち着かなかった。
「彗は、どう思った? おじい様のこと」
「イケオジ?」
「イケ……?」
「ああ、いえ、みんなに慕われているってのがよくわかりました。すごく魅力のある人だって」
「ふうん」
礼知さんは顔をそむける。その割に、俺を先に行かせた。
あ、ついて回るって約束だから?
変なところで律義だな。
広間にはピアノが置いてあった。
「コンサートってここで開かれるんですか」
「うん。そうだね」
「もしや弾けます?」
「ピアノ? いいや、習ってないから」
「そうなんですね」
意外だ。いや、音楽よりも経営を叩きこまれたパターンか?
「あ、礼知さん! そこで止まってください!」
礼知さんは窓の外を覗きに行っていた。重厚な赤のカーテンが、日差しを柔らかに遮っていて、礼知さんの横顔をキリリと引き立てていた。彼がすなおに立ち止まってくれたので、俺はカメラの代わりに指でフレームを作って、悔しく思った。
「本当に、写真撮っちゃダメですか? いま、すごくいいですよ」
「撮ってどうするの?」
「そこまでは考えてなかったです。ただ、撮りたいなって」
礼知さんがじっとこちらを見ている。
透き通るようなまなざしで。
自分の目が、カメラだったらよかったのに。今この瞬間を切り取りたい。
「俺、写真は好きなんすけど、これまでは人間を撮りたいと思ったことはなくて」
なんで、礼知さんのことは、こんなに撮りたいんだろうな……。
考えれば考えるほど俺、気持ち悪いな。
何かフォローをと口を開く前に、礼知さんが少し口を尖らせながら問うてきた。
「祖父のことは?」
「え?」
「撮りたくなった?」
俺は首を傾げ、うなりながら考えてみた。あの人を、どう切り取ったら絵になるか。まあ、どう撮ってもイケオジだろうけど。なんだろう、礼知さんほどしっくりこない。
「……礼知さんが一緒に入ってくれるなら、撮りたいです」
いつのまにか腕組みしていた礼知さんだが、その手がするりとほどける。
じっと見つめられると気恥しくて、俺はカメラに目を落とした。
「うん。やっぱ、撮るなら礼知さんがいいです」
モデル料を支払ってでも撮りたいくらいだ。
「そうかモデル料! 必要ですよね。礼知さんをタダで撮ろうだなんて、俺はなんて図々しいことを!」
顔を覆ってみたものの、とんでもないことに気が付いて指の間から彼を盗み見た。
「俺が知らないだけで、もしやすでに公式グッズ的なものが!?」
騒ぎ立てようとしたところ、頭を鷲掴みにされてしまった。
「ないからね」
俺は口を閉ざしたが、非公式ならあるのかな。なんてチラッと考えた。
「非公式もないからね」
「心を!」
「声に出てた。まったく、そんなこと言われたこともないよ」
礼知さんはぶつぶつ言いながら広間から出て行ってしまった。だけど、怒りのほうは収まったみたいだった。
彼と過ごした休日は、いつもよりもかなり楽しいものとなった。
それからは仕事も順調で、九月の半ばには屋敷の中は空っぽになった。
いよいよ礼知さんの住まいづくりの始まりだ。
張り切っていたのだが……。
会社経由で俺宛にかかってきた電話が、社内を震撼させた。
チーフが青ざめた顔で俺に告げた。
「功斉様が、おまえに仕事を頼みたいそうだ」
こりゃ、礼知さんに相談だな。




