27 やましい気持ちはありません
そこから先のことを、俺はあまり覚えていない。いや、本当はちょっとだけ覚えている。
玄関前で倒れこんでいた俺を、礼知さんが車まで運んでくれたんだ。
多分俺、みっともない顔してたんだろうな。
礼知さんは体を最大限捻って、俺を視界に入れないようにしていた。
そのくせ、フェロモンによる催淫効果が切れるまで、そばについててくれた。
オークリー君のところに行かなくていいのかなって思ったけど、番になる気がないなら、会っちゃうとかえって危険なのかもしれない。
けどさ、俺を優先させた、みたいに見えちゃわないかな……。
一夜明けて、意識がはっきりすると、ホテルだと思っていた場所が病院の個室だとわかって心底肝が冷えた。
いかにもVIPって感じで、場違い感が半端ない。
「ヤバい。手持ちのお金で足りるかな……」
冷や冷やしながら受付に行ったら、支払いは済んでいるって言われた。
タクシーも予約済みだって。
その料金も礼知さんが払ってくれたみたいだった。
ここまでされると怖いんだけど。
礼知さん、また責任感じて思いつめちゃってるわけじゃないよね?
確かめに行きたい気持ちはあったけど……。
寮の前で、チーフがどーんと待ち構えていた。
「和倉様がおまえを一歩も外に出すなと仰せだ」
「チーフ自ら見張り番ですか!?」
「誰のせいだと思っている!」
これは絶対に出られない。
数分後には井上先輩もやってきて、書類仕事をどさっと置いていった。
昼には寿司のデリバリーが届いて、チーフが頭を抱えていた。
つまり、これも礼知さんからか。
確かに、うまそうよりも高そうっていう感想になっちゃうな。
そして八時を回ったくらいで、チーフと入れ違うように礼知さん本人が訪ねてきた。
「礼知さん、顔真っ青じゃないですか! とにかく中へ――」
言いかけて俺はハッと外を見回した。
「もしかして車を待たせている感じですか?」
「いや……」
「じゃあ、ちょっと休んだ方がいいですよ」
そっと下からのぞき込むと、礼知さんはかすかに頷いた。
「食堂でいいですか? 今俺、そこで作業しているんで」
礼知さんはチラッと中を覗き込んだ。
「仕事してたの?」
「はい。俺、暇だと死んじゃうんで」
「だからって、こんな遅くまで」
八時は全然遅くないけどな。
「あ、それとも、俺の部屋に行きます? まだ先輩たちも帰ってきてないんですよ」
「彗の部屋?」
しまった、礼知さんが超悩んでるぞ。断り方でも模索してるのか。
「やっぱ、食堂にしときます?」
「……行く。見たい」
「特に面白いものはないですよ」
ははっ。と、ごまかし笑いで礼知さんを二階に案内する。
一番奥の部屋を開いたものの、礼知さんは廊下で立ち止まった。
「意外だな」
「何がです?」
「もっと、君のこだわりが詰まっているのかと」
「ああ、家具とかは全部貰い物なんですよ。ベッドやローテーブルは前の人が置いてったヤツで」
年代物のパイプベッドも、ガムテで補強した物干しスタンドも、いかにも安物のカーテンも。
全部初めからこの部屋にあったものだ。
俺はスポーツバッグ一つでこの街へ越してきた。
気安く誘ってしまったことを後悔した。
礼知さんにこの部屋は似合わない。
「やっぱ、下に戻りましょうか。考えてみたら椅子もないし」
「待って彗、それより話がしたい。今度のことは」
結局座りもせずに謝ろうとするので、俺は慌てて遮った。
「あー、やっぱり気にしてる! 礼知さんのせいじゃないですからね。どちらかと言えば谷さんが――谷さん! あの人回収されました? まさか野ざらしじゃ……」
「あいつはクビにする」
「それはちょっと、可哀想なんじゃないかと思ったり思わなかったり……」
何度もクビになりかけてはミラクル回避している俺にとって、その罪状は重すぎる。
「それと……」
オークリー君のこと、聞いていいものだろうか。怒られちゃうかな。
「ああ、アレ? アレも無事だよ。君にお礼を言っていたよ」
礼知さんはとても嫌そうに、けれど律義に教えてくれた。
「どちらにせよ、もう会うこともないから」
少々冷たい言い方だったので、俺は「え……?」と聞き返してしまった。
すると彼は肩をすくめてため息交じりに言った。
「夏休みが終わるからね。大学を卒業するまでは結婚しないって祖父に啖呵を切ったそうだから、まじめに勉強するんじゃないかな」
いろいろ情報が多すぎるが、一番気になったのは……。
「……祖父?」
「あれ、言ってなかったっけ? 従弟なんだ」
「それで合鍵を……?」
「ああ、鍵も変えなきゃな。それと屋敷に除去屋を入れることにしたから」
「除去屋……、フェロモン除去の専門業者でしたっけ」
ダメだ、なんか頭がついてかないぞ。
礼知さんはむしろ、情報を吐き出すたびに気力を取り戻しているようにさえ見えた。
まあ、元気になるならいいけれど。
「そう。ついでだから家の補修も手配しておいた。扉のがたつきを気にしていたね」
「はい。屋根も。……ってことはつまり、俺またお休みっすか」
書類仕事、もっとゆっくりやるんだった。追加があったとしても何日もつだろう。
「ううっ……。お先真っ暗ってやつだ」
「本格的なリフォームは、彗の意見を聞きながらやるから、そこまではかからないよ。それに、寮から出るなとは言わないよ」
「本当ですか!」
「彗ってふだん、休みの日は何して過ごすの?」
急な話題転換に瞬きしつつ、手振りで下へ行きましょうと指し示す。
礼知さんは素直についてきた。
「そうですね、古い建物を見て回ったり、その辺カメラもってぶらぶらしたり、あとネカフェも行きます」
「へえ、楽しそうだな。そうだ、私も休みを取って一緒に行こうかな」
「ネカフェに?」
驚いて、食堂のドアに手をかけたまま立ち止まってしまった。
「彗の行きたい場所に。……迷惑でなければ、だけど」
「迷惑だなんてそんな! ――いや、ちょっと待って下さい」
俺の好きな場所に、礼知さんが一緒にくる?
理解した瞬間、俺は脳内でカメラを構えた。カシャカシャッとシャッターを切る幻聴まで聞こえた。
歴史的建造物と礼知さん。博物館と礼知さん。
嘘だろどこにいても絵になりすぎる。こんな機会めったにないぞ!
礼知さんにいちばん似合うシチュエーションはどこだ? 俺が普段立ち寄るような庶民的な場所じゃダメだ。もっと、こう、彼に似合う荘厳な場所――。
俺は礼知さんの手をガシッと両手で包み込んだ。
「一緒に教会へ行きましょう」
「……………………え?」
興奮していた俺は、礼知さんのとまどいに気づいていながら、たいしたことじゃないと切り捨てた。
すっかりのぼせてしまっていた。
「星舘市に、いいところがあるんですよ。知ってます? 駆け落ち婚で有名なところなんですけど。あ、でも最近市内にできたばかりのホテルもいいですよね」
「け、彗?」
「撮りましょう写真! 絶対いいものにしてみせます!」
「彗、とりあえず落ち着いて?」
「それは無理です! 私的なカメラに礼知さんのお姿をお収めしてもよろしいということですよね!?」
「そういう話ではないかな?」
「……え?」
俺の興奮はそこでスンと収まった。
テンションダウンとともに視線が下がり、いまさらながら礼知さんの手をにぎにぎしてしまっていることに気付く。
「うわ! 失礼しました!」
「いいよ。そういう面白いところも含めて彗だし」
幸い礼知さんは怒ってない。顔を半分覆うようにして肩を震わせ笑いをこらえている。
「すみません、俺、礼知さんのこと好きなんです」
言ってしまってから、誤解を招くと気づいて慌てて言い直す。
「あ、被写体としてです! やましい気持ちなんて全然、まったく、これっぽっちもありませんから!」
「これっぽっちも?」
あれ、微妙な顔しているな。ヤバい、不快に思われたかも。
それは当然のことだ。俺みたいな底辺のベータが、王子様の写真を撮りたいだなんて不敬すぎる。
俺は両手で顔を覆った。
「すみません、気持ち悪いですよね……」
「彗、撤回したりしないよね? 一緒に行っていいよね?」
「礼知さんが楽しいかどうかはわかんないすけど」
「楽しいよ。絶対、楽しい」
なにを根拠に。
突っ込むことはできなかった。なにやら礼知さんが勝ち誇ったように笑うので、そんな顔もするのかと見とれてしまったのだ。
しかも彼は追い打ちをかけるように低くささやいた。
「教会は、また今度にしよう?」
なんか全然、意味が違って聞こえるのは、気のせいだろうか。




