26 放っておけるか
谷さんが派遣されて、今日で一週間。
あれから俺は、オークリー君と顔を合わせることなく過ごしている。
とはいえ、谷さんの派遣は今日までの約束だ。なんか、解決したのかな。
バスを待つ間、俺はそっと谷さんに声をかけた。
「谷さんは明日からどうするんですか?」
「自分の仕事に戻る」
「えっと、代わりの人が来るとかは」
「聞いてない。――それより、邪魔しないでくれないか。今日で最後なんだ。……まだ、連絡先も聞いていないのに」
なるほど、別のことで頭がいっぱいのようだ。
「オークリー君にはお相手がいるんですし、あまりしつこくしないほうがいいんじゃないでしょうか」
「それ、どこ情報?」
ちょっと小馬鹿にしたように聞かれたので、俺は慎重に答えた。
礼知さんは秘密にしておきたいみたいだし、俺が漏らすわけにはいかない。
「どこってわけじゃないですけど、オメガですよ? アルファが放っておくとも思いません」
「いないって」
「は?」
ニヤニヤ笑いを浮かべる谷さんは、少々気持ち悪かった。
「いないんだって! まだチャンスはある!」
ちょっと引いていると、彼は夢見る瞳でポツリと最悪なことをつぶやいた。
「付き合えなくても、せめて抱かせてくんないかな」
「うわ……」
「なんだよ、その反応。興味ないのか? 男のオメガは凄いらしいぞ。一度味わったらもう女の体じゃ満足できないって」
「公共の場で下品なこというのはやめてください」
たとえバス停には俺たちしかいなくても。
顔をしかめる俺に対し、彼は鼻で笑った。
「童貞かよ」
振られちまえ!
脳内で呪いをかけたところでバスがやってきて、話はそこで終わった。
でも俺は、なんだかもやもやしてしまい、バスの天井を見上げた。
相手がいないって?
……そうなのかな。
ものすごく迷ったのだが、一応礼知さんには報告済みだ。
「谷さんは、あの方にとっても興味があるみたいですよ」
って。
だけど礼知さんは「そう」とそっけなく返しただけ。
わからないな。
礼知さんは、オークリー君と一緒にあのお屋敷で暮らしたいんだよね?
もしかして俺の勘違い?
一緒に暮らしたい人は別にいるんだろうか。
悩んでいるうちに最寄りのバス停へ到着してしまった。
屋敷の周りにオークリー君の姿は見えない。
とうとう谷さんのことが面倒になって撤退したのかな。
それならそれで、俺としては余計な心配しなくて済むからいいんだけど……。
事件が起こったのは、その日の夕暮れのことだ。
空の食器棚の前で、やり残しがないか見回していると外から争う声が聞こえた。
いつもは谷さんの声が一方的に聞こえるばかりなのに、オークリー君が声を荒げている。
まさか、谷さんが無理強いを!?
勝手口からあたりを見回すと、いた。
谷さんは夕日を背負ってプロポーズの体勢だった、片膝をついて見上げる相手はもちろんオークリー君。
そしてオークリー君は――ぶちぎれている!
「うるさいな、そんなに言うなら、相手をしてやる!」
そう言って彼は帽子とエプロンを脱ぎ捨て、乱暴に胸元を開いた。
「え!? そんな大胆な!」
谷さんがそれを見て乙女みたいな声を上げたかと思うと、次の瞬間。しまりのない顔でバターンと倒れた。
な、何が起こったんだ……。
「見つけた――、彗君」
「へ?」
オークリー君はゆらゆらした足取りでこちらに近づいてくる。
よっぱらったみたいに顔が赤いし、それにすごく甘い匂いがする。
「まさか、フェロモン――!?」
フェロモンに起因する事故のことを、俺は噂でしか知らない。
オメガのそれには強烈な媚薬効果があり、社会の秩序を著しく乱すとかなんとか。
俺は考えるより先に動いていた。
「オークリー君、早く中へ!」
彼の手を引いて、入れ替わりに自分が外へ出ようとしたのだが、なぜか彼に引き留められた。
「ちょっ、オークリー君!」
彼からはむせかえるような甘い匂いがして、頭がギューッと痛くなった。
谷さんは、ひょっとしなくてもフェロモンで倒れたのかな……。
でも、放っておけるか!
閑静な住宅街とはいえ、このままでは誰かに襲わてしまうかもしれない。
とにかく鍵のかかる部屋に避難させなくては。
「バスルームへ! 早く」
「ええ? 彗君が相手してくれてもいいんだよ」
「軽々しくそういうことを言わない!」
怒鳴りつけると、彼は少し怯んだ。
その隙に、彼をバスルームへ追いやって、俺は再び外へ向かう。
勝手口と玄関のカギを閉めたところで足に来た。
まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。
俺はスマホを取り出した。
こんな時に限って、礼知さんに繋がらない。
プライベートの方の番号に掛けなおす。
ああ、ダメだ、目を開けてられない。
手元から転がり落ちたスマホからは『発信音のあとにメッセージを』という無機質な音声が流れていた。




