23 なんか罪作りなんだよな
次の日、会社に向かいながら俺は昨日のことを思い出していた。
礼知さんは、もう落ち着いたかな。
心優しい礼知さんのことだ。アルファのフェロモンで、人を傷つけてしまったことが、よっぽどショックだったんだろう。
トラウマにならなきゃいいけど。
俺の方は平気そうだ。
体の方も異常なし!
実は礼知さんから、しばらく仕事を休むように言われているんだけど。
それはそれとして、チーフには報告しておかなきゃ。
古びたビルの階段をのぼり、ガタつく扉をあけると、チーフと先輩たちがじっとこちらを見た。
なんだ、この雰囲気……。
「榎並!」
チーフが俺を手招く。
「おまえ、とうとうやらかしたそうだな」
俺が礼知さんのフェロモンを浴びて倒れたことは、どうやらみんな知っているらしい。
「どういう気分だ。和倉様の怒りを買うのは」
怒ってるんだか喜んでるんだか微妙な顔つきで、チーフは眉をピクピクさせた。
「反省はしてますけど、礼知さんは怒ってはいませんよ。むしろ謝られちゃいました」
「どんな状況だろうと、アルファを激怒させたんだ。悪いのは我々だ。榎並、おまえのせいでこの会社は終わりだよ。だが、従業員は守ってみせる。いまから謝罪に行くぞ!」
チーフは例によってほとんど俺の話を聞いていなかった。バサリと上着を羽織る。いちいち芝居じみた動作だった。怒ってないって言ってるのに。
そのとき、戸口付近で先輩が叫んだ。
「チーフ、和倉様がお見えになりました!」
和倉様って、まさか礼知さん? ふしぎに思って首を伸ばしていたら、礼知さんが俺に気付いた。
「彗! 休んでって言ったのに、どうして出歩いているんだ」
うお、怒られた。ずんずんこっちに近づいてくる。
「社に報告義務がありまして。いえ、終わったらすぐに帰ります」
モゴモゴ言い訳する前に、チーフがあいだに入った。
「和倉様!」
チーフはさりげなく、俺を隠す位置に立つ。
「これから謝罪に向かおうと思っていたところだったのですよ。この度はうちの榎並が大変失礼いたしました」
「必要ないと言ったはずです。謝罪をしなければいけないのはこちらのほうだと」
「いいえ、とんでもない! どうせ榎並がやらかしたに決まっていますから。こいつは本当に困ったやつでして。謝罪などもったいないことでございます!」
チーフそれ、逆効果!
礼知さんの目つきが冷ややかになっちゃってる。
「私は、御社の社員を危険にさらしたことを詫びに来ました。ですがあなたは、それを必要ないことだとおっしゃる。本気ですか? 彗がこんなところで働いているなんて……」
「礼知さん礼知さん」
空気が凍り付いちゃう前に、俺はチーフのうしろからひょいと顔をだし、彼が持ってる紙袋を指さした。
「それ、もなかっすか? 前に一回だけ食べたことあります。すっげえおいしいやつ」
チーフが、たましい抜けたみたいな声で俺を呼んだけど、今は無視。
礼知さんのことなら俺の方がよく知っている。ほら、機嫌を直した。
「好き?」
「はい!」
「そう、よかった。じゃああげる。本当にごめんね、彗」
「受け取りました! 受け取ったんだから、礼知さんももう蒸し返しちゃダメですよ?」
ニカッと笑うと、彼も微笑んだ。苦笑いというには優しすぎる笑みだ。
ふっと横を見ると、チーフが泡吹いて倒れそうになってる。フォローしとかないとダメだよな。職場の存続のためにも。
「礼知さん。チーフのことあまり悪く思わないでくださいね。フツーのアルファはああいう言い方をしないと怒るんです。怒らない礼知さんのほうこそ少数派なんですよ」
すると礼知さんは、チーフに視線をやって何事か考え込んだ。そしてまた俺に視線を戻す。
「……彗は、この会社が大事なの?」
「そりゃ、恩がありますからね。俺がいろいろやらかしてもまだ便利屋でいられるのは、チーフたちが骨を折ってくれたからです!」
ちょっと胸を張ってしまった。
先輩たちからヤジでも飛んでくるかなって思ったんだけど、彼らは無言でうんうん頷いていた。
威張るなとか適度に突っ込んでくれないと、調子が狂っちゃうな。
俺はポリっと頬をかいた。
「礼知さん以外のアルファには、とことん評判悪いっすからね、俺」
「彗は私の専属なんだから、他の人の心配なんてしなくていい」
「専属?」
「ああ、もちろん。彗が嫌でなければ、引き続きお願いしたいということだけど」
「嬉しいです。仕事を途中で放り投げたくないですから」
いつの間にやら専属扱いになっていたのは驚きだけど、嬉しいのは本当だ。
ん? なんだろう。礼知さんがほんの一瞬微妙な顔をしたような……。
気のせいかな。さみしそうに見えたなんて。
「話はこれで終わりだ。帰るよ、彗」
「あ、待ってください。……もなか」
せっかくなので持って帰りたい。休んでいるあいだに全部なくなってたら悲しくなる。
ぺりぺりと包装紙をはがしていたら、先輩が言ってくれた。
「え、榎並。そのまま持って帰っていいんだぞ」
こんなにずしっとしてるのに? さすがに多いだろう。
「せっかくですからみんなで食べましょうよ。あ、三種類あるんだ……。どれにしよう」
すると先輩たちはくちぐちに、「全種類持っていけ」とか、「俺のもやるから」とか言い出したので俺は笑ってしまった。
ひとつ手に取って、くるっと礼知さんを振り向いた。
「ほらね、みんな優しいんですよ」
礼知さんはじっと俺を見下ろして、真顔のまま俺の頭をなでた。
「うん。よかったね」
なんか、子ども扱いされてないか?
食い意地を張りすぎちゃったかな。
そのあとは、礼知さんは運転手付きの車で、俺を寮まで送ってくれた。
車内で礼知さんは、ポツポツと俺に話しかけた。今日は書類を読まなくていいのかなって思いつつ、俺は彼の質問に答えていた。
「彗は和菓子が好きなの?」
「はい。好きです」
「ケーキは?」
「好きです」
「チョコレート」
「好き……礼知さん?」
尋ねておきながら、礼知さんは車の外の景色を眺めている。興味があるんだかないんだか。
「礼知さんはどうなんですか?」
和菓子かケーキか尋ねる前に礼知さんは振り返り、俺をじっと見つめた。そしてやたらといい声で言った。
「私も、好きだよ」
俺は車のシートからずり落ちそうになった。
「しゅ」
主語が抜けてますよ。そう指摘する前に、静かに車が停車した。
「到着いたしました」
「あ、ハイ! ここまで送ってくださってありがとうございます。では失礼します!」
ばびゅっと外に飛び出し、玄関前で深々と頭を下げた。
車が走り出しても俺はなかなか顔をあげられなかった。
びっくりした。まだ心臓が早鐘を打っている。
ふわふわした気持ちのまま、ガラガラと玄関扉をあけたとき、社名入りの姿見に俺のまぬけ面が映り込んだ。
いつものポロシャツ姿。頭はぼさぼさ。
ちょっと頬が赤くなっているのが気持ち悪くて、いっぺんに目が覚めた。
危ないな、妙な勘違いをするところだった。
なんか罪作りなんだよな、あの人。




