21 ぶん殴られたって仕方がない
気まずいなあと思う。
報告するべきだろうか。トマトを手ずから食べさせてもらいましたって?
ムリムリ。ごまかしてしまおうか……。
ぐるぐる考えながら社長室に入ると、礼知さんが喉をさらけだしぐったり椅子にもたれていたので驚いた。
「礼知さん!? どうしたんですか、どこか悪いんですかっ!」
慌てて駆け寄ると、彼は気だるげに顔をあげた。
「ああ、彗はあまり近寄らないほうがいいかも。一応シャワーは浴びたんだけど」
「え?」
「接待のつもりだったのかな。会食先にオメガがいてね、たっぷりフェロモンを浴びてしまって」
「え、それは……」
「言っておくけど私は何もしてないよ。逃げてきたから。ただ、すこし疲れてしまって」
と、礼知さんは本当に疲れた様子で目を閉じた。
俺はといえば、あからさまにホッとしてしまった。
「そうですか、よかった」
「よかった?」
礼知さんがぴくっと反応して、顔をあげたので少々慌てる。
「あ、いえ、礼知さんが無事でよかったって意味です」
「あきれないの? ヒートのオメガを助けるのはアルファの務めなんて言うじゃないか」
「そんなの関係ないですよ。礼知さんにはもう、大事な人がいるんだから!」
「彗、それは……」
礼知さんがなにか言いかけたが、興奮していた俺はそれを遮ってしまった。
「いくらアルファだからって、なし崩しなんて嫌じゃないですか。俺、礼知さんには幸せになって欲しいんですよね」
「なって欲しい、か。そこは他者に委ねず自分が幸せにしますくらい言ってほしいものだね」
「さすがにそこまで図々しくはないですよ! ベータには過ぎた栄誉っていうか、遠くからお祈りするのが正しい距離感っていうか」
「そんな寂しいことを言われたら、傷つくよ彗」
それが本当に泣きそうに見えて、俺はギクッとした。
「礼知さんすみません! 俺、今ごまかしました!」
遠くからお祈りするだけ? そんなん俺だって悲しすぎる。
「俺、本当は、めちゃめちゃ図々しいこと考えてます。――叶うなら、礼知さんのグルームズマンがしたいんです!」
「え? なに? グルームズ?」
「ブライズメイドの花婿版です! それに、式場の飾りつけも手伝いたいし、カメラ係だってしたい! なんなら花婿衣装を選ばせてほしい!」
「ああ、まあ、衣装くらい好きに選んで構わないけど」
あっさり言われて、思わず喜びかけたけど、ダメだ。
「できません」
俺は首を振った。
ここまで言ってくれるのに、俺は礼知さんの信頼を裏切った。
このままオークリー君のことを、有耶無耶にしてしまおうか、なんて考えてしまった。
俺は深く頭を下げた。
「俺、礼知さんに顔向けできないことをしました。約束を守れませんでした」
「何の話?」
「庭師さんのことです! 仲良くするなと言われてたのに、俺……」
「ああ、そのことか。おもしろくはないけど、ある程度はしかたないよ」
礼知さんはあきれ声だ。でもそれは、俺がしでかしたことをまだ知らないからだ。
「君はおじいさんっ子なんだろ?」
「え? おじいさん?」
急に何の話だろう。俺はつい顔をあげてしまった。
「庭師の話だよね?」
「そうですけど、若い男性ですよ。大学生くらいの。あ、じゃあお孫さんとかですか? 弟子?」
彼はその瞬間、顔色を変えた。いつもの穏やかな笑みを消しただけで、背筋にぞわっと寒気が走った。
「芦本は、代々和倉家に仕えている庭師だ。ついこのあいだ古希を迎えたところで、孫は二人。どちらも三十近い。弟子なんてものもいない」
「え……でも」
「彗、君はいったい誰の話をしてるんだ」
「庭師、じゃないんですか? あの人」
じゃあいったい、なんだっていうんだ。ちゃんと草取りとか水やりとかしていたぞ。わけがわからない。
「いや、でも屋敷の合い鍵も持ってたし……」
「彗、君は、あの屋敷で誰と会っているのかな」
目は笑わないまま、口元だけが弧を描いた。礼知さんの冷え冷えした迫力に気圧されつつ、俺はなんとか答えた。
「オークリー様と名乗っておいででした」
なぜか、俺の答えを聞いた礼知さんのほうがショックを受けているようだった。息を呑み、軽く頭を振ったあと、長い長い溜息をついた。
そしてゆっくりとこちらに歩みよってきた。いつもの堂々とした歩き方じゃなくて、なんだかゆらゆらして見える。
「オークリー、あいつ、戻っていたのか」
その名に乗せられていたのは、懐かしさでも愛おしさでもなく、憎悪とか怒りとかそういうたぐいのものだった。
それくらい、俺に怒っているんだ!
「うかつだった……」
凶暴な野生動物がうなるみたいな低い声。
温和な礼知さんのこんな声を聞くことになるなんて。俺は後ずさりしたくなるのをぐっとこらえた。
ぶん殴られたって仕方のないことなんだ。礼知さんにはその権利がある。アルファは執着心が強いのだと以前チーフが言っていた。どんなに温厚な人でも自分のオメガのこととなると、ヒグマみたいに恐ろしくなってしまうと。
ヒグマ、ヒグマかあ……。生きて帰れるかな。
俺は腹の前で手を組んで、歯を食いしばって耐えた。
「彗……」
きつく両肩をつかまれる。
「あいつに何をされた?」
言われたことの意味が一瞬わからなかった。なにを『した』、じゃなくて『された』?
「こっちを見ろ! 答えるんだ、彗!」
命令を聞き顔を上げたとたん、ぞくぞくぞくと寒気がした。全身の毛穴が開いたみたいだ。冷や汗が吹きだして、吸い込もうとした息が途中で詰まってしまう。
礼知さんの香りが強く感じられて、ぐらっとあたりが歪んで見えた。
あ、マズい。コレ、フェロモンだ。
意志とは関係なく、体が震える。早く答えなければと思うのに、声を出せそうもなかった。
それどころか体を支えていられなくなって、俺は口元を抑え床に膝をついた。
「え? 彗?」
「あ……やと……さ……」
早く答えなきゃ。礼知さんが、呼んでんのに。
そう思うのに、礼知さんの声はだんだんと遠ざかっていった。




