第3話 枯れた井戸と奇跡の滴
あの日、我が家の庭一面に咲き誇った奇跡の薬草——万霊草。
翌年、16歳になった春も、庭と家の畑、一面には青々とした薬草が力強く芽吹き、甘い香りを漂わせていた。
それは隣の家の畑でも同じだった。
だが、今年の春は違っていた。
「……また今日も空振りか。頼む、少しでいいから降ってくれ……」
父ガルドが乾ききった空を見上げ、深く溜め息をつく。
空には雲ひとつなく、ジリジリと灼熱の太陽が大地を焼きつけていた。歴史的な大日照りだった。
村を支えていた大井戸はとうに底を突き、乾いた泥が亀裂を吐いている。川のせせらぎは消え、ひび割れた田畑からは作物が立ち枯れる嫌な音が響いていた。
もちろん、我が家の庭も例外ではなかった。
「エルム……薬草たちが……」
母セリアが痛々しそうに呟く。
あれほど鮮やかだった薬草の葉が、水分を失ってぐったりと垂れ下がり、端からカサカサと黄色く変色し始めていた。
(植物の細胞膜が維持できなくなっている……。
このままだと、浸透圧が崩壊して完全に枯死する……!)
化学者だった前世の知識が、目の前の惨状を極めて冷静に、けれど残酷なほど明確に理解させていた。
水分の蒸散に根からの吸収が追いついていない。村中の命も、両親が大切に守ってくれたこの薬草たちも、干上がろうとしていた。
俺は空になった木桶を抱え、村の井戸へと走った。
だが、滑車で吊り上げた桶が削り取ってきたのは、湿った泥の塊だけだった。
「だめだ……どこにも水がない……!」
村人たちが地面にへたり込み、絶望に打ちひしがれている。
水がなければ生きられない。作物が死に、家畜が死に、やがて人が死ぬ。
(水……水が欲しい……!)
俺は空の木桶を強く握りしめた。
H₂O(水分子)——水素と酸素が結びついた、生命の源。
綺麗な、いくら使っても尽きないほどの清らかな水が、今すぐここにあれば——!
胸の奥で、カッと激しい熱が弾けた。
ズキン——ッ!!
「うぐっ……!?」
脳裏を貫く激痛。二度目の強烈な眩暈。
前世の記憶——大学の実験室で分子構造を解明した時の歓喜と、命が尽きた瞬間の冷たさが交錯する。
同時に、俺の両手のひらが、まるで生命の源流そのものになったかのように熱を帯びた。
「エルム……? 手が……!」
側にいた村人が目を見張る。
俺の合わされた両手の隙間から、青白く澄み渡る光が溢れ出していた。
ザーーーーーッ!!
次の瞬間、溢れ出たのは光だけではなかった。
圧倒的な水量と水圧を持った、冷たく澄み切った大瀑布のような清流が、俺の手のひらから怒涛の勢いで噴き出した!
「なっ……水!? 手から水が出ているぞ!?」
「泥じゃない! 飲める、本物の清流だ!!」
乾ききった桶を一瞬で満たし、溢れた水が滝となって乾いた大地を濡らしていく。
俺はそのまま村の中央へ走り、干上がった大井戸へと両手を差し向けた。
ゴォォォォォッ!!
両手から放たれる大量の水が、空っぽだった井戸の底へとなだれ込み、みるみるうちに水面を押し上げていく。
絶望に包まれていた村に、歓声と悲鳴が同時に響き渡った。
「井戸が……井戸が蘇ったぞ!!」
「水だ! 水があるぞ!!」
村人たちが湧き出る水に顔をうずめ、涙を流して歓喜する中、俺は一目散に自宅の庭へと駆け戻った。
溢れ出る水を手桶に汲み、乾ききった庭の薬草たちへと惜しみなく注ぎ込む。
極度の脱水状態にあった薬草たちが、水を吸い上げた瞬間——まるで意思を持っているかのように、葉の表面にみずみずしい緑を取り戻し、ピンと茎を伸ばした。
みずみずしい輝きを取り戻した薬草畑から、甘い香りが風に乗ってふわりと広がる。
「よかった……間に合った……」
膝をつき、荒い息を吐きながら、俺は頭の中で自分のステータスを覗き込んだ。
【名前】エルム・アスター
【加護】六花
【詳細】(残り:4回)
数字が、また一つ減っていた。
世界そのものを書き換える力——『六花』。
村を救い、庭の奇跡を守り抜いた満足感の裏で、俺は残り「4回」となった奇跡の重みを、しっかりと噛みしめていた。
その年は、庭に育った薬草を使って母さんが丁寧に薬を煮出し、村を訪れた旅の行商人に買い取ってもらうことができた。
その薬は行商人から跳ね上がるような高値で取引され、貧しかった我が家にもまとまったお金が入ってきた。
おかげでその年の我が家は、いつもより少し仕立ての良い服を着たり、食卓に珍しい肉や甘い果物が並んだりと、いつもの素朴な暮らしとはどこか違う、ささやかで贅沢な時間を過ごすことができた。
「エルム、お前のおかげだな」
そう言って照れくさそうに笑う父さんと、嬉しそうに料理を並べる母さん。
村人からはハズレと笑われたけれど、大好きな家族が笑顔で過ごせる日々のために力を使えたと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
つづく




