第2話 まだ終わりじゃない! EP2-4
ジリリリリリリ!
強い日差しが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
昨夜はよく眠れなかったし、気分は最低。
私は目覚ましを止めて、カーテンを全開にした。
抜けるような青空。真夏の強い日差しが部屋を隅々まで照らす。今日も暑くなりそう。
◇ ◇ ◇
「無理しないでね。」
「……」
◇ ◇ ◇
(なんで、あんな態度を……)
模擬試験のお金まで出してくれたのに。
せめて試験でいい点をとって、安心させてあげたい。
今日は頑張るしかない。
着慣れた制服の袖に手を通し、身支度を整える。
テーブルの上にお弁当とスープジャー、朝ごはんが置かれている。書き置き?
『響子へ。
試験がんばってね。』
(……昨夜はごめんなさい。いただきます。)
お母さんは早朝の清掃バイトもやり始め、もう出かけている。昨夜の寂しそうなお母さんの目が、頭から離れない。自分が嫌になる。
朝ごはんをさっと済ませ、流しに置く。お弁当とスープジャー、筆記用具と受付用紙を通学かばんに入れた。玄関で履き慣れたスニーカーに足を通す。
「いってきます。」
玄関を出ると、真夏の日差しと、むせ返すような湿気で汗がにじんでくる。寝不足もあってくらくらする。
会場までは電車だ。初めて行く場所だから、少し余裕を持っていかなきゃ。
私は小走りで家を後にした。
◇ ◇ ◇
がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
見慣れた風景が遠ざかっていく。
あ、あの建物。私が行きたい高校だ。
私立にはとても通えない。でも公立なら学費も安い。家から自転車で通える距離だし、アルバイトをやる時間も取れるかもしれない。
でも、進路指導の先生からは「もう少しだな。」と言われている。お母さんにこれ以上負担をかけたくないし、友達とも別れたくない。
夏休みも休まず勉強した。今日の模試で行けそうかどうかが解る。
(どうか、いい点がとれますように。)
◇ ◇ ◇
乗り換えの駅だ。改札を出たら左の階段を降りて地下鉄のホームへ向かう。迷路みたいで迷いそう。
電車が入ってきた。日曜日で人が少ないから座れそうだけど、座ったらそのまま寝ちゃいそう。
私はドアの近くに立ち、壁しか見えない真っ暗な窓から、ぼんやり外を眺めていた。
あ、ここで降りなきゃ。
◇ ◇ ◇
改札を抜け階段から表に出た。不意に視界が開き、見慣れない景色が広がる。少し不安になってきた。
落ち着け、会場までの道はさっき駅員さんに教えてもらった。慌てなくても時間はある。落ち着け、落ち着け……。
高速道路のガード下を歩き大通りを左折。少し遠回りだけど1本道で分かりやすいからと言ってた。あとは突き当たりまでいけば、すぐそこらしい。
もう10分くらい歩いてる。
突き当たりは、まだなの?
日差しがきつい。
通る車のクラクションがうるさい。
汗が止まらない。
(暑い。気が遠くなりそう……)
やっと着いた大通りの突き当たりから、そのまま路地をまっすぐに進み、住宅地を抜けると大きな建物が見えた。
校門を通り、校舎の入口で受付を済ませ中に入る。会場案内を確認し、試験会場の教室へと向かう。
明るくて広いホールと、どこまでも続く廊下。ガラス張りの向こうには、おしゃれなテーブルと椅子が並んでいる。
「まるで異世界に迷い込んだみたい。」
(すごいなあ……。学校とホテルとスポーツクラブを合体させたみたい。高校ってどこもこうなの?)
教室に入り、受付用紙に書かれた番号の席へ腰かける。筆記用具と受付用紙を机の右上においた。
冷房が効いていて気持ちいい。
でも、頭がぼんやりする。まぶたも重い。
周りの子たちが全員優秀に見える。
(……大丈夫かな、私。)
最初の科目は国語。
得意なはずの読解問題で、内容が少しも頭に入らない。問題文を読み返すだけで、どんどん時間だけが過ぎていく。結局、記述問題にはいくつもの空欄。
(どうしよう……。考えが回らない。)
次の数学も散々。
公式は覚えているけれど、簡単な計算での間違いが多く、何度も消してやり直す。最後の問題までたどりつけなかった。
そして、午前中最後の英語。
単語の意味も文法も覚えているはずなのに、英文になると意味がつかめない。頭の中を、お母さんの寂しそうな表情ばかりがよぎる。
キーンコーンカーンコーン。
午前中の試験が終わった。
気がつけば、解答用紙にはいくつもの空欄。
(……もう、だめかも。)
◇ ◇ ◇
ラウンジの一番奥にある、他の子たちとは少し離れたテーブルに座る。
お弁当とスープジャーをかばんから取り出した。
おにぎり柄の風呂敷を解き、フリーズドライの冷や汁をスープジャーに入れ、からからと回して溶かす。
あのテーブルの子たち同じ学習塾の子かしら、とても楽しそうに話をしている。やっぱり、仲間がいるっていいよね。うらやましい。
竹かごを開けると、おにぎり3個とたくあん。
くすっと笑ってしまった。
(お母さん、いつの時代のお弁当よ。)
塩鮭のおにぎりを冷や汁に入れてほぐし、口へ運ぶ。
冷たくておいしい。
……――……
お母さんの優しい顔だ。
少し笑いながら渡してくれた。
『響子。疲れちゃったら、これ食べて元気出すのよ。』
幼稚園の遠足だったかな?
フォークをうまく持てなかった私に、お母さんが小さなおにぎりを作ってくれた。フォークで刺して食べたっけな。
あの時のおにぎり、鮭だったような気がする。
残った塩鮭のおにぎりを、冷や汁と一緒にゆっくりとすする。
これは、こんぶの佃煮?
手でつかみ、一口頬張る。
……――……
お母さんの叫ぶ声が聞こえる。
『響子、走れー! 立って走るのよー!!』
たしか小学校の運動会。お昼ごはん食べた後のリレーで、私は転んだんだ。走るのは得意だったから、悔しくて泣いていた。でも、お母さんの声で起き上がり、最後まで走った。
あの時のおにぎり、ちょっとしょっぱいこんぶだった。
残ったこんぶのおにぎりを、一気に頬張る。
これは、おかかのおにぎり?
手でつかみ、かぶりつく。
……――……
『響子。響子!』
振り向くと、お母さんが心配そうな顔で、学校のフェンス越しに私を呼んでいる。
私は作りかけの屋台から離れて、フェンスに近づいた。
『どうしたの?』
『帰りが遅いから心配になって……間に合うの? それ。』
『分かんないけど、文化祭は明日なんで……』
『これ、みんなで食べなさい。あきらめちゃだめよ。』
『うん。』
『響子、頑張れ!』
そうだ文化祭の前の日だ。帰りの遅い私を心配したお母さんが、たくさんのおかかのおにぎりと、インスタントのお味噌汁を持って様子を見にきてくれた。
(私、いったい何してるの。)
お母さんはいつも優しかった。怒ってくれた。励ましてくれた。昔も今も、私は一人じゃない。
がんばれ。
がんばれ!
がんばれ、わたし!!
箸を揃え、竹かごと一緒に風呂敷で包み、かばんにしまう。
足首まで下がったソックスを引き上げる。
肘の擦り切れたブレザーのボタンを一つずつ留め直す。
中学の入学祝いにもらったヘアゴムで髪を束ね直す。
(お母さん、いってきます。)
ラウンジの奥から、楽しそうに話をする子たちの間をまっすぐに抜け、教室へ向かった。
◇ ◇ ◇
午後の試験は私の苦手な理科と社会だ。
問題も決して簡単じゃない。
最後まで鉛筆は置かない。
今度こそ、最後の一問まであきらめない。
最初は理科。
電圧と電流、抵抗の合成問題。公式は覚えているけど、どこから計算すればいいのか分からない。
何度もやり直す。消しゴムのかすが、机の上にどんどんたまっていく。
(違う。もう一度、今度はここから。)
回路図を指でたどり、何度も計算し直した。
正解かどうかは分からない。それでも、空白の解答はない。
最後の科目は社会。
歴史の並べ替え問題。出来事は覚えているけど、順番がどうしても思い出せない。
(こっちが先? ううん、違う。これが先だったはず。)
問題用紙の余白に、覚えている年号を書き出してみる。
残り時間も、あとわずかだ。
最後は時事の記述問題だ。物価高騰について自分の考えを書けばいいのか。でも、すぐには浮かばなかった。
(諦めちゃだめ。まだ時間はある。)
そう言えば、「仕入れが高くなっちゃって困るわ。」とお母さんが言ってた。
(戦争が始まり、原油が入りにくい。だから……)
私は鉛筆を握り直した。
書き上げた回答を、何度も何度も読み返す。
キーンコーンカーンコーン。
最後の一文字を書き終えた瞬間だった。
私は、鉛筆を置いた。
(……できた。最後まで!)
問題に対して、できているかどうかは分からない。
でも、空欄はない。最後までやりきった。
模試はこれで終わり、あとは帰るだけ。
校舎を出て空を見上げる。
(まぶしい。すっごい疲れた……。)
暑い、眠い、足が石のよう。電車の中で寝ちゃいそう。
私は引きずるような足取りで、差すような日差しの中を家に向かって歩いた。
◇ ◇ ◇
(響子は大丈夫だったのかしら。)
家に向かう足が自然と急ぎ足になる。
それにしても……。くらねちゃん、どうしちゃったんだろう。
バイトは今日で終わりなんだけど、とっても優しくて、一生懸命に働いてくれた。
おかげで、普段より早く終わって帰れるわ。
ふふ、変な子だったけどご苦労様、ありがとうね。
アパートの階段を小走りで登り部屋に向かう。
(変ね、部屋の電気が点いていない。)
ちゃら、ガチャガチャ、ギッ。
「響子、ただいま。」
返事がない。でもスニーカーは玄関に転がってる。
私は靴を脱いで上がると、部屋の明かりをつけた。
いない、こっちかしら。
響子の部屋のふすまを開けた。部屋の中は薄暗く、真ん中に誰か倒れているように見える。
(ちょっと、どうしちゃったの。)
慌てて、部屋の電気を点けた。
やだ、この子ったら着替えもせずに制服のまま。
まさか……
ピクリともせずに、クッションに頭を乗せて横たわる娘に近づき、顔を覗き込む。
すー、むにゃむにゃ。
(良かった、寝てるだけみたい。)
「響子起きて、響子!」
「……あ。お母さん、お帰り。」
「寝るなら着替えなさい。制服がしわだらけになっちゃうわよ。」
「うん…… お母さん、あのね……」
うつむきながら、小さな声で話を始めた。
「今日の試験ね、あんまりできなかったの……」
顔を上げた響子は、あふれんばかりに涙をためていた。
「でもね、おにぎり食べたらすっごく元気がでて、午後は頑張ったんだよ。最後まであきらめずに頑張れたの!」
今にも泣きそうな顔をしている。それでも、私から目をそらさずにじっと見つめている。
(響子…… 頑張ったんだね。)
私はそっと響子の頭をなでた。
じんわりと胸の奥が温かくなり、笑みがこぼれる。
「そっか。……また、おにぎりを作っちゃおうかな。」
「うん。」
「食べる?」
「うんうん。」
〇今日のことわざ 【 腹が減っては戦はできぬ 】
お腹が空いていては、十分な力を発揮できないということ。
何かを成し遂げるためには、まず食事をとり、心と体を整えることが大切だという教え。
一日を元気に過ごすために、朝ごはんはきちんと取りましょうね。
最後までお読みいただき有難うございました。
響子ちゃん頑張りましたね。
稲穂さんとも仲直りできてよかったです。
EP2-5でEP2-4のくらねサイドを書きます。よろしければお読みください。




