第2話 まだ終わりじゃない! EP2-3
がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
人間は大変だな、こんな時間まで働いて帰るのだから。こんな狭いところにいっぱい乗って。我は棚の上から眺めているだけなので、気楽なもんだが。
ほとんどの者が、『すまほ』とやらをずっと見ているか、寝ているな。
我は持っていないので分からぬが、あれはそんなに便利な道具なのか。古事記でも読んで、人生の教訓を学んだ方が役に立つと思うのだがな。
稲穂も眠そうだ。あれだけの騒動だったのだから仕方がないとはいえ、かわいそうなことをしてしまったな。
稲穂に宿った神様も、この人ごみにはさぞかし困惑していることだろう。
それにしても。この神様は、湯島天神で感じた道真公とだいぶ違うようだ。いったい、どなたがお見えになったんだ?
(くらね。道真公ではなく、名も知らぬ神のようだぞ……。)
キキィィ、プッシュー、シュ。
稲穂が人ごみを掻き分けて降りた。見失うと気配が感じられなくなる、我もつづかねば。
稲穂、走るな!足は4本あるが、大人の全力には追い付けん!
ふ~。やっと止まった。蒸し暑い中走るから、息もきらしているし、汗だくになっているじゃないか。この店に向かっておったのか?
「良かった。まだ開いてたわ。遠いけど、他に開いてないし。」
食料品を扱う店か。弁当の材料を買うつもりだな?
稲穂が入っていく、我もいかねば。
ちりーーーん……
(ん、なんだ今のは、鈴の音?)
最初は米売り場か。
「有名どころのお米がいっぱい並んでる。どれにしようかな。」
りん……
「このお米……。なんか上手に炊けそう。」
(ほう……。値の安い古米を選ぶのか。良き銘柄のお米があるというのに。)
今度は魚屋のケースを覗いている、何を買うか迷っているぞ。
(しかし、稲穂は子を宿しただけあって、しっかりとしたお尻をしているな。くらねはかわいいだけのお尻で、まだまだだ。)
「よかった。いくら、カニ、のどぐろ。いろいろ残っている。」
りん……
「なんだろう。この塩鮭の切り身、とってもおいしそう。」
(え? なんだこの気配は。)
鮭の切り身をカゴにいれた。次は肉屋か。
「脂が少し入っていると、おいしいんだけど。胃もたれしちゃうから、今はお肉はなしね。」
さすがだな。くらねが神様あつかいするわけだ。食べる人のことをよく考えている。となりの売り場は総菜と佃煮か。
「ここもいろいろあるわ。ちりめん山椒、煮穴子、舞茸のしぐれ煮、どれもおいしそうだわ。」
りん……
「あら。この、こんぶの佃煮。ふっくらして、すごく柔らかそう。」
(違う。何かの動きを感じる。いったい……)
「レジに行く途中に乾物コーナーがあったわね。そこも寄っていこう。」
(なぜ、そんな安いものばかり。響子に頑張ってほしいのだろうに。)
「めずらし~。ままかりの干物がある。おいしいのよね。こっちには桜海老と貝柱。どれにしよう。」
りん……
「いい匂いがする。この削り節から? でも変ね、袋に入っているのに、とってもいい香りがする。……気がする。」
(神様なのか? 何かしているのか。)
稲穂よ。明日は響子の大事な試験ではないのか? そんな食材で良いのか? 我にはまったく理解できん。
買った品物を買い物袋に入れて、走り出した。
まて、稲穂走るな!
稲穂さん待って!
お願いです~!
◇ ◇ ◇
は~。やっと着いた。けっこう走ったぞ。ここが稲穂の住まいのようだな。
遊郭のような2階建ての長屋か。二人で住まうのなら、これで事足りるのかも知れん。
文を入れる箱を覗いて、きざはしを上がっていく。どうやら、廊下の一番奥にある、灯りが点いてる部屋のようだな。
ちゃら。ガチャガチャ。ギッ。
「響子、ただいまー。
ごめんね、お母さん遅くなっ……。」
響子の姿が見えない。灯りは点いていたから、いるのだろうに。稲穂が靴を脱いで上がっていく。我も邪魔するぞ。
「響子?」
とんとん。す、すぅー。
「あ、いたいた。ただいま。」
「お帰り……」
「勉強してたのね。ごめんね。仕事で遅くなっ――」
「分かってる!……」
「すぐに何か作るね。」
「いらない。カップラーメン食べたから。……」
「明日は模試だし、もう休んだ方が――」
「分かってるって、言ってるじゃない!! お母さんが遅くまで頑張ってくれてる。私も一生懸命やってる。
……だから。邪魔しないで……」
「無理しないでね。」
「……」
すぅー。たん。
稲穂が冷蔵庫から、冷たくなった昨日の弁当を出して食べている。すまぬ。
くらねは、稲穂と響子の幸せを、心底から願っている。今の状況は、我の口からはとても話せん。塞翁が馬になれば良いが。
(くらねは、腹さえ満たせば、世は事もなしなのだが。どう報告すればよいやら……)
◇ ◇ ◇
ピピピ、ピピピ、ピピピ。
「いけない。もうこんな時間。響子のお弁当作らなきゃ。」
稲穂、起きたか。昨日は遅かったのに早くから大変だな。
ん~、お店で使うかっぽう着を着た。
んん~、おにぎり柄の布を頭に巻いた。もう仕事に出かけるのか?
んんん~、袖をまくって、土鍋やら何やら、棚から出してきた。何をするつもりだ。人間のすることは……わからん。
「さてと。やりましょうかね。」
やっと始めたか。
冷蔵庫から冷えた水を出し、米に注いでいる。
研ぐのだな。いや、違うな。軽く手もみ洗いして、すぐに水を捨てた。
また、新しい水を入れて手もみ洗いしているが、今度は洗った水を捨てずに「ぼうる」とやらに入れている。
米に新しい水を注いで、冷蔵庫に入れ「たいまー」を仕込んだ。普段とだいぶ違う作り方をしているな。
(神様の御業なのか。気配はまったく感じぬが……。)
今度は魚を焼き始めたぞ。昨日買った塩鮭か。
香ばしい匂いが漂ってきたぞ。
ピピピ!
米を冷蔵庫から取り出し水を切って土鍋に入れ、先ほどの「ぼうる」の水を入れて火をつけている。
そして「たいまー」を仕込んだな。
ピピピ!
稲穂が土鍋のふたを開け、中を確かめて火を弱めた。
焼き上がった鮭の皮と骨を丁寧に取り除き、身を大きめにほぐしている。
ピピピ!
また土鍋の中を確かめ、火を弱めた。
次はこんぶの佃煮を取り出した。汁気を切り、食べやすい大きさに刻んでいる。
ピピピ!
また土鍋の火を弱めたぞ。
次は削り節か。小さな鍋で軽く煎り、醤油を加えて手早く混ぜ合わせた。
ほう、いい香りだ。
ピピピ!
今度はふたを開けずに、ほんのわずかな火に調整した。
ピピピ!
火を消したぞ。ようやく終わりか?
ピピピ!
稲穂が土鍋のふたを開けた。
「いつもより、ちょっと上手に炊けた。」
(おいおい。ご飯が銀色に輝いているぞ。全身全霊で炊くために着替えたのか。これが稲穂の本気というものか。)
土鍋にしゃもじを入れて、ご飯を十字に切った。
底のご飯を上へと返し、湯気を逃がすように手早くほぐしている。
調理台に、塩鮭、こんぶ、おかかを並べた。手を丁寧に洗い、水気を拭き取った。
海苔を3枚あぶり皿においた。おにぎりを作るようだな。
ちりーーーん……
(まただ、何かの合図なのか?)
稲穂が手を軽く水で湿らせ、指先に取った塩を手のひらに広げた。
土鍋から熱々のご飯を素手ですくい、くぼみを作ってほぐした塩鮭を入れ、にぎり始めた。
(熱そうな飯を素手ですくったぞ。おいおい、大丈夫なのか?)
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
(いつ見ても鮮やかだな。鍛錬の末に会得した稲穂の技だ。おにぎりが踊っている様にすら見える。)
とん、かささ。
ちょん。
海苔で包み、具材を少し乗せた。
ん、稲穂の表情が、ふっと優しくなった。少し微笑んでいるぞ。
「そういえば。響子へ初めてにぎった遠足用のおにぎり、小さく作ってあげたわね。」
……りん
(稲穂からのようだが……)
土鍋からご飯をすくい、今度はこんぶを入れてにぎっている。
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
とん、かささ。
ちょん。
稲穂の表情が、険しくなったと思ったら、照れ笑いに変わった。なんとも妙なやつだな。
「思わず、大声を出しちゃったわね。懐かしい。」
……りん
(おにぎりに吸い込まれて行く。)
飯をすくった。最後はおかかだな。
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
きゅ、ふわっ。
とん、かささ。
ちょん。
眉間にしわを寄せ、不安げな顔だ。今度はほっとした表情に変わったぞ。
「良かった。遅いから……」
……りん
(間違いない! 神が御業を使っておる!)
しかし、何をされたのだ。稲穂のにぎったおにぎりは極上だ。手を貸すところは何も無いように思えるが。
今度は冷蔵庫を開けて覗いている。付け合わせを探しているようだな。
「定番の卵焼きね。あの娘、甘いもの好きだから。」
りん……
「透き通るような黄金色のたくあんがある。歯ごたえがよさそう、これね。」
冷蔵庫を閉めた!
おにぎり3個とたくあん。神よ何をしているのだ。今日のお弁当は稲穂と響子にとって大事なものだぞ。
気まぐれなのか。我には……
「さ、身支度しましょ。」
稲穂が棚の奥から、網代織りの竹かごと背の低い筒を取り出した。火打石に火打金まであるぞ。
(切り火か? しかし、お前の方が先に家を出るのだろう。いったい誰に切るつもりなのだ?)
竹かごにおにぎりを並べ、たくあんを添えてふたをした。
筒には冷たい水と氷を入れ、凍った青いものを手拭いで包んでいる。
(なんだ、その青いものは?)
青いものに竹かごを重ね、箸と手拭き、それに「冷や汁」と書かれた四角いものを添え、おにぎり柄の風呂敷で包んだ。
(できたか。しかし、ずいぶんと変わった弁当になったものだな。)
「今日は出し惜しみしない。用意してきたものを全て使い、やれることは全部やった。」
かちっ、かちっ!!
稲穂がお弁当に切り火を使った。そのために用意したのか。
「さあ、あなたたち。私に変わって、響子に力を貸してあげて。頼んだわよ!」
ちりぃぃぃ~ん♪……。
神の気配が遠のく。御業をお使いになりお帰りになった。
稲穂に具材を選ばせたりした。おそらく、食養生の名もなき神なのだろう。
おにぎりに何かを封じたようだが……
(それにしても、とても満足してお帰りになられたようだ。かわいい神様だったな。)
稲穂が着替えを始めた。薄く化粧を施し、安物の半袖「ぶらうす」に、膝に穴の開いた、お気に入りの「からーでにむ」。
何の飾り気もないお前にとって、唯一のおしゃれなのだろう。たくましき母でも、女心は忘れぬか。
ちゃらん。かしゃ。
そっと鍵をかけたな。駅に向かう足取りは軽そうだ。
我もくらねの元に戻るぞ。
駅に着いたか。まだ人影はまばらだな。
稲穂の背中が小さくなっていく。
ここでしばしのお別れだ。
(稲穂よ。よく頑張った! たくましき母よ、我はそなたを「おにぎりの神」と呼ぶぞ。)
◇ ◇ ◇
「くらね。おきろ、くらね。」
「……おはよう、いなり。ふぁ~」
「神様は御業をお使いになり、お帰りになったぞ。」
「そう、報告ありがと~」
わたしは、布団を頭までかぶり、もう一度目を閉じた。
…………。
…………。
「えっ!」
がばっと布団を跳ねのけた。
「ちょっとちょっと! 今何時だと思ってるのよ! まだ朝の六時半よ! 何よそれ!」
(どうなったの? また失敗したの? 知りたい。)
「道真公は知恵を授けてくれたの? なぜ、最後まで見守って下さらないの? 響子ちゃんの様子はどうだったの? ちゃんと教えて!」
「稲穂と響子はな……。それはあとで良い。」
(いなりがしどろもどろだ。言えない事があったのね。)
「良くない! 絶対に良くない!」
「……そもそも、道真公はお見えになっておらぬ。」
「え……、で、誰がお見えになったの? 学問の神様なの? 知識の神様なの? 強運の神様なの? 誰よ! 早く教えて!」
「名もなき食養生の神だったようだ。」
「食養生って。病み上がりの人にはおかゆ、元気がなければうなぎ、疲れた人にはあんみつ。
そんなふうに、体の具合に合わせて食べるものを選ぶことよね。」
「そうだ。稲穂のにぎる塩鮭とこんぶ、おかかのおにぎりに大事なものを封じたようだったが……。」
(稲穂さんは、もうおいしいおにぎりが握れる。大事なものって? 具材の神様?)
「それって、響子ちゃんの試験に関係ないじゃない! ただの『おかかの神様』よ!」
(いなりがわたしを睨みつけている。でも本当のことよ。)
「黙れ! 黙れ黙れ! くらね!
どのような神であれ、自分が捧げた祝詞でお見えになった方なのだぞ。無礼極まりない物言い、天罰がくだるぞ!!」
(そんなことは解っている。悪いのはわたし。)
「もう一度寝る!」
「勝手にしろ!」
(悔しい。お腹が空いてきて眠れそうにない。)
最後までお読みいただき有難うございました。
いなりが見た現実、思ったようにはいきません。
仲直りしてくれれば良いのですが。
続編EP2-4もお読みくだされば幸いです。




