第2話 まだ終わりじゃない! EP2-2
ピピピピピ! ピピピピピ!
スマホのアラームを止める。隣には相変わらずへそ天でいなりが寝ている。
(気力が戻ってきている。昨日は何がいけなかったんだろう。そう言えばお父さんがこんなことを言っていたっけ。
『まずは自分ができることを全部やれ』
そうだ、最初は朝ごはんだ!)
「いなり起きて。いくよ!」
「……くらね、おはよう。」
「早く、早く!」
「おぉ、おう。」
食堂に飛び込み、カレーライスを大盛りによそってかき込む。
シャワルームに入り、冷たいシャワーで身を清めながら考える。
(次は何だ、次は何だ。そうだお賽銭だ!)
わたしは部屋に戻り身支度を整える。
スマホを取り出し、銀行アプリからATMのロックを解除。定期入れからキャッシュカードを取り出しネットカフェを後にする。
近くの銀行ATMで二千円下ろしてポケットへ入れる。手痛い出費だけどATMは小銭がおろせないからここはがまん、がまん。
アメヤ横丁を小走りで抜け、路地から階段を登り、本堂の前に立ち、賽銭箱に千円札を入れる。
そして背筋を伸ばし、手を合わせる。
(摩利支天様、おはようございます。
昨日の分と今日の分のお賽銭です。昨日はお願いばかりでごめんなさい。
今日はわたしができることを全力でやります、どうかお見守りください。)
深く頭を下げ、本堂から階段を駆け降り、春日通り沿いに湯島天神へ走る、走る。
上野広小路交差点を越えた、もう少しだ。
夏の日差しが背中を強く照らす、汗が滝のように流れて止まらない。
夫婦坂から境内に入り本殿前に立つ。湯島天神にはお二人いらっしゃる。
お賽銭箱に千円札を入れ、背筋を伸ばす。
二礼二拍手一礼。
(天之手力雄命様、菅原道真公、おはようございます。
お二人分のお賽銭です。昨日はお願いばかりしてごめんなさい。
今日はわたしができることを全力でやります、どうかお見守りください。)
深く頭を下げ、来た道を戻る。
百貨店の従業員出入り口から店内に入り地下のお店へ向かう。
冷房が効いていて涼しい、生き返るってこのことね。
(気力は200%、体力は80%、でもお財布はマイナス2,000円。くー。でも、頑張れる。)
「稲穂さん、おはようございます!」
「くらねちゃん、おはよう。早いわね……。どうしちゃったの、すごい汗。奥で汗をふいて扇風機にあたって。」
「早くお手伝いをしたくて、走ってきました。」
「がんばり屋さんね~。汗が引いたら、手を洗ってから、上着とバンダナを身に着けてね。上着とバンダナは洗ってそこに置いてあるから。」
「お洗濯まで。ありがとうございます。」
稲穂さんは、早番の人と一緒にお昼のお客さんを捌いている。一般のお客さんが引けたタイミングで早番の人は上がりだ。
着替えたわたしは早番の人に代わり陳列カウンターへ入る。となりには稲穂さんがいる。
きのう稲穂さんがやっていたことを思い出せ。
頭を下げたら竹皮を取る。
おにぎりを取るときはてっぺんにある具材を確認。
おにぎりは5個、卵黄があったら4個までを包む。
(思い出せ、思い出せ。稲穂さんが教えてくれたこと、やったことを。)
「おばちゃ~ん。いつものやつ頂戴~」
「いつもありがとうね。取ってあるから、ちょっと待ってね。」
(なに、このちゃらい奴。でも笑顔、笑顔。)
「いらっしゃいませ。」
「お、新人さん。お~、かわいい娘じゃん。」
そして、わたしの胸元をじっと見つめている。
(なに、どこ見てるのよ。そりゃ、だいぶ控えめかも知れないけど、それなりにあるんだから。)
「くらねちゃんて言うんだ。よろしくね~。」
(そっちかい!)
「あはは、よろしくお願いします。」
「この娘はねお手伝いなんで、ずっとはいないのよ。
はい、これ。電子マネーでいい?」
「え~、そうなの~。そりゃ残念。街で見かけたら声かけるからよろしくね。」 ピッ
「ありがとうございました。」
「今の子はね、2階の紳士服の店員さんで常連さんなの。まじめな子でね。売り場では丁寧な対応で評判がいいらしいのよ。」
「そうなんですか。人は見かけによらないものなんですね。」
「曜日によって買うものが決まっているのよ。仕事以外の事で悩むのが面倒なんでしょうね。」
(同じものを買い続けるのもすごいけど。なにを買うか覚えている稲穂さんもすごい。)
「おにぎりも少なくなってきたし、店員さんのお昼休憩も終わりね。のんびりと片づけでもしながら、夕方からの分をにぎりましょう。
くらねちゃんは、また練習からね。」
稲穂さんは何かを思い出したようにくすっと笑い、空になったトレイを陳列ケースから作業台の上に移した。
冷蔵庫から新しい具材を取り出し、作業台の上に並べると、足りなくなったおにぎりを鮮やかな手さばきでにぎり始めた。
わたしは竹皮や包装紙を補充して、練習おにぎりをにぎり始めた。
「昨日ね、くらねちゃんがにぎってくれて、食べきれなかった分を家に持って帰ったのね。
帰りが少し遅くなっちゃってご機嫌斜めだったんだけど、響子に食べさせたの。」
「え~!あのおにぎりを響子ちゃんに食べさせたんですか?」
「そうなの。それでね、新作だけどどうかしらって聞いたの。
そうしたら『味はまあまあだけど、なんで四角なの』って言うから、おかしくなっちゃって、笑いを抑えるのに必死だったわ。」
「きゃ~!恥ずかしいから、その話はしないでください~」
「くらねちゃんは、昨日はできなかったことが今日はできるようになってる。
そして、そのおにぎりは、食べた人を少しだけ幸せにしている。自信を持っていいのよ。
ただ形は三角形でお願いね。」
と笑う稲穂さん。
「はい。」つられてわたしも笑う。
「明日は志望校に行ける学力があるかどうかが分かるだいじな模擬試験があるの。
今日は奮発して、おいしいものを作って響子に食べさせてあげたいの。一緒に頑張ってちょうだい。」
「はい、頑張ります。」
(今日は順調にお仕事ができている。稲穂さんにも早く帰ってもらいたい。よし、頑張るぞ。)
時計の針は5時を回っている、スーパーのレジにも人が並び始めた。ここからが混む時間、気を抜かないように注意だ。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
注文を聞き、具材を確認しておにぎりを取り竹皮で包む。レジ袋に入れてお客さんに渡しお会計。
「お買い上げありがとうございました。」
次のお客さん、また次のお客さん。次々に来る。
注文、おにぎり、竹皮、レジ袋。お会計。
注文、おにぎり、竹皮、レジ袋。お会計。
(よし、間違えてない。大丈夫、大丈夫!)
「くらねちゃん、すごく手際が良くなってる。」
「稲穂さんの教え方が上手だからですよ~。」
「口もお上手ね。」と、稲穂さんがにっこり笑う。
(やた!)
いつしか時計は7時を回り、注文待ちで並んでいたお客さんも今は少ない。
「その様子だとお店はお願いできそうね。ちょっと早いけど、明日の仕込みを始めさせてもらっていいかしら。」
「はい!お任せください。」
「うれしい、今日は少し早く帰れそう。」
稲穂さんは作業場に戻り、殻をむいて流水に浸していた冷凍たまごの入った袋を取り出し、白身と黄身の取り分けを始めている。
(すごいすごい、袋の中から白身をつけずに黄身だけを取り出し、タッパーへ丸い形のまま移している。
やっぱり稲穂さんて、神産巣日神様の生まれ変わりよ。間違いない!)
黄身でいっぱいになったタッパーに、オーナー直伝の漬けだれを入れて冷蔵庫にしまった。すごい量、卵黄おにぎり何個分なんだろう。
店内の時計は8時になり蛍の光が流れ始めた。今日は失敗しないで済みそう。稲穂さんにも早く帰ってもらえそう。ほっと胸をなでおろす。
レジを締め、売り上げ用紙を記入し終わった稲穂さんが、手提げ金庫を片手にスーパーの事務所へ足早に向かう。
「くらねちゃん、もし私が帰ってくるのが遅くなったら、さっき教えたように、冷蔵庫に入っているタッパーの卵黄をたれから取り出してね。
漬けておく時間はとても大事なの。タイマーをセットしておくからお願いね。」
「はい、気をつけます。」
(え~と、まずは空のトレーを下げて、洗って作業台に並べるんだっけな。その後はわたしのにぎったおにぎり食べるんだった。
今日はとってもおいしいような気がする。)
ご機嫌で空のトレーを集め、はなうた交じりで、流し台で洗い物を始めた。
(ん、何か誰かに呼ばれたような。)
「お嬢ちゃん、ごめんなさい……」
振り向くと陳列カウンターの向こう側におばあちゃんがいる。
わたしはカウンターに駆け寄る。そこには杖をついたおばあちゃんが申し訳なさそうに立っていた。
「おばあちゃん、ごめんなさい。お店はもう終わっちゃったの。」
「いいえ、お手洗いに寄っていたらエスカレーターが止まっていて。
どこから出ればいいのか分からなくて。教えてもらっていいかしら。」
「そこの出入口から出て階段を登れば、警備さんの前を通って出られるけど。おばあちゃんは階段を登れる?」
「膝が痛くて。ゆっくりとなら登れるけど。」
時計を見ると、8時を少し回ったところだ。すぐだから大丈夫よね。
「そう、じゃスーパーの奥にある荷物用のエレベーターで上に行きましょう。
おばあちゃん、ゆっくりでいいんでわたしについてきてね。」
「お嬢ちゃん、ありがとう。ごめんなさいね。」
「いいのよ。さ、行きましょう。」
◇ ◇ ◇
ジリリリリリリ!
止める人がいない作業場で、そのタイマーは鳴り続けた。
◇ ◇ ◇
「おばあちゃん、こちらからどうぞ。」
わたしは、深くお辞儀をした。
「かわいいお嬢ちゃんありがとうね。また来るわ。」
「はい、またのご来店をお待ちしています。」
軽い足取りで階段を降り、小走りで通路を通り抜け、従業員出入口から売り場に戻る。順調、順調。
(え……、何か鳴ってる。)
耳を澄ませた。お店の方から聞こえてくる。あのタイマーの音だ! 胸騒ぎがする。
全力でお店に駆け戻るとタイマーを止めた。
(いつから鳴っていたんだろう……急いで黄身を取り出さなきゃ。)
冷蔵庫を開け、黄身が漬けてあるタッパーを作業台に置いて、空のタッパーをもう1個用意した。
稲穂さんから教わったように、流し台の竹ざるにたれごと黄身を20個ほどそっと流し入れ、たれが切れたら空のタッパーに移し始めた。
「ただいま~。事務所が混んでて遅くなっちゃった。くらねちゃん、大丈夫だった?」
黄身を取り出しているわたしを見て、稲穂さんの顔が一瞬くもった。
「稲穂さん、お帰りなさい。いま、急いで取り出しています。」
時計を見詰める稲穂さんの表情が険しい。そして何かを決めたようにわたしを見た。
「卵黄の取り出しはもうしなくていいわ。何かあったの?」
「はぃ……。エスカレーターが止まって、足の悪いおばあちゃんが出られなくなって困っていたんです。それで……」
「裏の通用口まで連れて行ってあげたのね。」
「はぃ……」
「偉いわ。困っているお客さんをちゃんとご案内できた。それでいいのよ、それで……」
稲穂さんはにっこり笑った。でも、その言葉は自分にも言い聞かせているように見えた。
「さてと、それじゃ始めましょうか。くらねちゃんは、トレーを洗って片づけたら上がってちょうだい。」
冷凍庫から、凍ったたまごを取り出し始める稲穂さん。
「今から黄身の仕込みをやるんですか?」
「そうよ。あしたお見えになるお客さんに『今日は卵黄おにぎりありません』とは言えないでしょう。」
「……早番の方にお願いすることはできないんですか。」
「仕込むのに4時間はかかるから、開店に間に合わないのよ。」
「でも、それだと稲穂さんも遅くなっちゃいます。響子ちゃんも、明日は大事な試験で、きっと稲穂さんの帰りを待ってます。」
「遅くなったらタクシーで帰るから、心配しなくても大丈夫よ。ささ、上がってちょうだい。」
稲穂さん笑ってない。絶対大丈夫じゃない!
それに、今日は神様にも全力でやると誓ってきた。
(悔しい! 悔しい! 悔しい……)
「わたしも残って、最後までお手伝いします。」
「仕込みは難しいから。いてもらっても見てるだけになっちゃうから。ね。」
「いやです!何にもできなくても帰りません。いやなんです!」
涙が滲んできた。でも帰らない、絶対に帰らない!
稲穂さんがわたしの頭を優しく抱き寄せ、撫でてくれる。
「馬鹿ね~。泣かなくてもいいのよ。あなた見かけによらず強情なのね。」
「わたし、わたし……」
「わかった。わかったわ、一緒にやりましょう。だから泣かないで。いい子だから。」
「はぃ……」
二人で冷凍たまごの殻をむき、ジッパーのついた袋へ次々に入れる。
ぱりぱり、ころん。
ぱりぱり、ころん。
ぱりぱり、ころん。
稲穂さんの手の中から、殻をむかれた冷凍たまごが次々と転がり出てくる。
よく見ると、凍って割れた殻の隙間に指を入れて、一瞬でむいている。わたしも真似してみる。
ぱり、かしゃかしゃ、ころん。
ぱりぱり、かしゃ、ころん。
(上手にできない。でも、ひとつでも多くむけば早く終わる。)
「ふ~。二人でやるとやっぱり早いわね。
わたしはたまごを解凍するから、くらねちゃんはお夕飯を食べちゃって。」
「わたしがそれやるので、稲穂さんは休んでください。」
「いいのよ。解凍は急いでやっても1時間はかかるから。腹が減ってはなんとかってよく言うでしょ。でも、食べ終わったら私と代わってね。」
わたしはうなずくと、練習でにぎったおにぎりを頬張った。
稲穂さんは水をかけ流しにした流し台に袋を浸し、愛おしそうにゆっくりと揺らしながら話をしはじめた。
「卵黄の漬け時間はね、この子たちが一番おいしくなるように、オーナーが何度も何度も失敗を繰り返して決めた時間なの。
今日くらいの漬けすぎなら、私たちが食べても分からないくらいの違いかも知れない。でも、それはお店の味じゃないのよ。
私はその味を守ってきたし、いつか次の人にも伝えたいと思ってる。それが伝統っていうものなのかもしれないわね。」
「はぃ。……ごめんなさい。」
「もう、また謝ってる。おばあちゃんを助けたことは、間違ってないでしょう?」
「……はぃ。」
「だったら、元気を出して。私もくらねちゃんがにぎってくれた、『三角形』のおにぎりで、元気をいただくわね。」
わたしは稲穂さんと解凍を交代し、たまごの入った袋をゆっくりとゆらした。白身が溶けて、丸い黄身が下の方に沈んできてゆらゆらしている。
(あなたたち稲穂さんに愛されているわよ。絶対おいしくなってね、お願い。)
稲穂さんは、わたしのおにぎりを、逆さにしたり回したりして形をチェックしながら楽しそうに食べている。
今日はていねいににぎったから、ちゃんと三角形ですよ。食べ物に関するこだわりが強いんだから。本当に困った神様ね。
「稲穂さん、黄身が下に集まりました。」
「そう、ありがとう。上げてちょうだい。あと少しね、頑張りましょう。」
「口元にごはんつぶがついてますよ。」
「あら。急いで食べたんで気が付かなかったわ。いい大人が恥ずかしいわね。」
(稲穂さんが笑ってくれた。でも、少し寂しそう。)
わたしが袋を作業台に乗せると、稲穂さんはジッパーを開いて、タッパーに黄身だけを取り出し始めた。
すうっ、きゅ、ぽとん。
すうっ、きゅ、ぽとん。
すうっ、きゅ、ぽとん。
近くで見るとやっぱりすごい。
手のひらで黄身をそっとすくい上げる。タッパーへ移す途中で、親指と人差し指で作った輪っかをきゅっと絞り、白身を切る。
切られた白身が宙を舞って落ちていく。
(とても真似できない。神業そのものだ。)
わたしはひとつずつ黄身を丁寧に取り出し、白身を切り、そっとタッパーに入れる。
稲穂さんは、黄身が少しだけ残っている袋を、わたしの袋と入れ替えて、さらに取り分けしていく。
5倍、10倍、いいえもっと早い。神様はすでにそこにいる。
「はい、終わり。あとは漬けこんで取り出せば仕込みは終わるわ。」
「稲穂さん、見事な神業でした。わたし、ほとんど役にたっていない。」
「ん、そんなことないわよ。あなたの頑張りが、私に力をくれたのよ。
私って昔から、応援してもらうと、それに応えようと思って、人一倍頑張っちゃうのよね。」
「わたし、生き神様は初めて見ました。」
「あはは。こんなおばちゃんじゃ、誰も拝んでくれないわね。」
「そんなことないです。とっても優しい千手観音様みたいです。後光が差してます。」
「あれだけ手があれば、もっと早く終わりそうね。
それじゃ、私は漬け込みとごみの分別をするから、洗い物と道具の片づけをお願いね。」
「はい!」
(いつもの稲穂さんだ。大失敗をしちゃったけれど、少しは頑張れた。電車も間に合いそう。)
洗い物をしながら考える。わたしができそうなことは全部やったつもり。
稲穂さんに、わたしがしてあげられること。他のなにか。別のなにか。
そうか、明日の響子ちゃんの試験を気にかけていた。
響子ちゃんも帰りの遅いお母さんを待っている。明日の試験も心配だろうし、きっと心細いよね。
せめて、明日の試験がうまくいってくれれば。
(稲穂さんなら大丈夫よね…… 神様お力添えを。)
漬け込みの待ち時間を利用して、稲穂さんとわたしは、洗い物と道具の片づけ、ごみ処理を終わらせた。
そして、タイマーが鳴るのを待って、黄身を取り出して仕込みは完了。あとは電気を消して帰るだけだ。
「わたし、看板とケースの電気を消してきます。」
「は~い。お願いね。」
わたしは看板の電気を消したあと、陳列ケース下にある照明用のコンセントを少しだけゆるめ、ケースの照明を消した。
「稲穂さん、ケースの電気が消えちゃってます。ちょっと前まで点いていたと思うんですけど。
スイッチは入っているし、コンセントも繋がっています。
わたし、ビリビリするのは苦手なんです。ちょっと見てもらってもいいですか?」
「ん~、どれどれ。」
稲穂さんはケースの下を覗き込んでいる。
「本当ね。スイッチも入っているし、コンセントも刺さってる。球が切れちゃったのかしら、交換してみた方がいいかも知れないわね。」
ちらっと時計を見て迷っている。電車の時間が気になるようだ。
「替えがあるんだったら、交換しといてあげれば、早番の人も楽ですよ。」
「そうね。まだ少しなら時間あるし。確かここの棚に置いてあったような。」
ケース横の棚を探している。あればいいんだけど。
「あった、あった。なんでも用意しておくものね。
ケースの中から交換するんで、くらねちゃんはちょっと待っていてね。」
「はい。ビリビリしないように気をつけてください。」
稲穂さんはケースを開けて、一番上の棚を一段外して交換を始めた。
(稲穂さん、うそついちゃってごめんなさい。少しでもいい、稲穂さんの役に立ちたいんです。)
店先から見えにくい、小上がりに身を寄せたわたしは、鈴のついたヘアゴムを外し髪を解いた。
---リン……。
くらねを中心として鈴の音は広がり、冷えた静かな店内へ溶けて、神聖な静けさに変わる。
くらねは一度、深く息を吸い、澄んだ小さな声で、囁くように祝詞を唱えた。
「……かしこみ……、かしこみ……。」
くらねはゆっくりと両目を開き、瞬きをせずに稲穂の背中をじっと見つめる。
その左目の瞳には、代々伝わる家紋「雪輪に鶴」が淡く宿っている。
「掛けまくも畏き八百万の大神等、恐み恐みも白さく。
言挙げせぬ御心の内に結びし願ひを、此処に取り持ち奉り、神等の御前に聞こし食せと白す。
願ひ負ひし者が身に幸魂奇魂を寄せ給ひ、現世の理を越えて、御手のまにまに成し幸へ給へと、恐み恐みも白す。
御身の宿りし者が娘に、如何なる難事をも解き明かす知恵を授け給へ。
菅原道真公、お越しください。」
いなりが顔を上げ、稲穂さんに走りよると、その場でじっと見上げる。
………すぅ。
いなりの目じりと額に赤い霊紋がうっすらと浮かぶ。それに呼応するかのようにくらねの「雪輪に鶴」は徐々に淡くなる。
やがていなりの霊紋はくっきりと現れ、くらねの「雪輪に鶴」は瞳の奥に散っていった。
(いなりに霊紋が宿った、神様が来てくれた。)
二礼二拍手一礼。
そして、鈴のついたヘアゴムで、解いた髪をふたたび束ねた。
---リン……。
真夏なのに、食品売り場特有の、充満した冷気が一気にわたしを取り巻く。肌寒い。
「やっぱり点かない。壊れちゃったのかしら。」
「わたし、もう一度見てみます。何か見落としているかも知れないから。」
かがみこむと、ケースのスイッチを何回かカチカチと動かした。そしてコンセントを一回抜いて、奥まで差し込んだ。
「あ!点いた。良かった。」
「ごめんなさい。コンセントが緩んでいただけみたいです。」
「点いたからいいのよ。ふふ、またひとつできるようになったわね。電気が消えたらコンセントを差し直すのよ。」
「はい。肝に銘じておきます。」
「さ、遅くなったから帰りましょう。」
「はい。急いで行きましょう。」
上着とおにぎりバンダナを脱いだわたしたちは、靴を履き替えてお店の照明を落とした。
ごみを集積所において、階段を早足で登ると、通用口から表に出る。
真夏の熱気と湿気で、じんわり汗ばむ。
「くらねちゃん、今日は遅くまでご苦労様でした。」
「はい。ありがとうございました。」
「ありがとうはこちらの言葉よ。電車の時間があるから先にいくわね。それじゃ、お休み~。」
「はい。お休みなさい。」
駅に向かって急ぎ足の稲穂さん。こちらを振り向いて手を振ってくれている。わたしも両手をおもいきり振る。
その後を、霊紋を宿したいなりが追いかけていく。
(あ!看板につまずいている。家まで帰れるのかしら。)
わたしが稲穂さんの家に行っても迷惑になるだけ。今は道真公のお力を信じて託すしかない。
いなりは降りた神様が使命を果たして帰るまで、稲穂さんが見える範囲から離れない。
(道真公、どうかお力をお示しください。
いなり、長い時間になるかも知れないけど、見届けてきてね。
八百万の神様、稲穂さんと響子ちゃんに小さな幸せをお授け下さい。)
天に向かって二礼二拍手一礼。
よ~し、カレーライスを食べに帰るぞ~。
最後までお読みいただき有難うございました。
最後の最後に大失敗のくらね。
降りた神様が望んだ願いを叶えてくれれば良いのですが・・・・・・
続編EP2-3もお読みくだされば幸いです。




