第二十一話「桜梅桃李 ーおうばいとうりー」③
桜視点(女風呂)です。
湯けむりが頬を撫でる。
全身を包む湯のぬくもりが、じんわりと心地良い。
「………………ふぅ」
体の奥底から、意味を成さない吐息が零れた。
こんなに何も考えず、のんびりできるのはいつ以来だろう。視察中の多忙で溜まった鬱憤が、息を吐くごとに浄化されていくのが分かる。
ぼんやりと、周囲を見やる。
花鶯姫と李々はこの場にいない。花鶯姫が暑さあたりで倒れたのだ。李々はその付き添いである。後しばらくしたら、私が李々と交代することになっている。
「……帰りたくないわねぇ」
「狸どもか?」
「えぇ。虹さんもでしょう?」
虹姫と黄林姫は、蛍姫を挟んで会話に花を咲かせていた。
「あいつら、人の身だしなみにまで口出ししてくるもんなぁ。少しは女らしくしろとか、品性に欠けるとか。小舅かっての」
「虹さんだものねぇ」
「失礼な。こう見えて見目には気を遣ってるし、化粧だってしてるよ。女として生きるからには美しくありたいからさ」
「でも、基本的に薄化粧よね」
「見ての通り、顔が濃いからな。このくらいでちょうどいいんだよ。むしろ、黄林みたいなあっさりした顔の方が化粧映えしそうだ」
「確かに自由度は高いけど、だからこそ辛いのよねぇ」
「なんで?」
「薄すぎても濃すぎても、侍女頭に駄目出しされるからよ。薄いと『華がない』と言われるし、濃いと『巫女にふさわしくない』と言われるし」
「ああ言えばこう言うってやつだな」
麗しい笑い声が一つ、また一つと重なり合う。
周囲を気にせず、存分に鬱憤を吐き出せるからだろう。困ったような口ぶりとは裏腹に、実に楽しそうだ。
(巫女であっても、女は女ね)
この手のにぎわいが苦手な私や炭姫は、早々に一人風呂に徹していた。
片や話しかけるなという空気を出し、片や真顔になったりにやけたりと謎の百面相を繰り広げている。
もちろん私は前者だ。後者は何を考えているのか分からない。炭姫は表情の乏しい娘だが、その分、頭の中がにぎやかなのかもしれない。
気まずいのは、間に挟まれた蛍姫だろう。
虹姫と黄林姫を交互に見ながら、口をもごもごとさせている。
最初は二人とも、新人の巫女を気遣いながら話していたけど、会話が盛り上がるにつれてその気遣いもなくなっていった。それとなく離れる器用さのない蛍姫に、この状況は拷問に等しいだろう。
「蛍ちゃんは、お化粧とかどうしてるの?」
会話の熱が冷めたところで、ようやく黄林姫が新人の気配りを再開した。蛍姫が「ふぁい!」と変な声を上げる。
「わ、私はその……お化粧とかよく分からなくて。身だしなみを整える程度の、最低限のことしかしたことがなくて」
遠目から見ても、蛍姫の顔が赤い。
葉月や花鶯姫、李々といった日頃の接点が多い人間には人懐っこさを見せるが、それ以外だと極度の人見知りを発揮するのだ。玄人の先輩二人に挟まれているとなれば、思考すらままならないだろう。
「だったら、私が見てあげましょうか?」
「え?」
「巫女になるとね、本当に自由がなくなるの。化粧にまで口出しされるしね。だから視察の間くらい、自分に合う化粧で楽しまなきゃ損よ」
「た、確かにそうですね」
「せっかくだから、蛍ちゃんに合う髪型や着物を模索してみるのもいいわね」
「え、あ、あの」
「面白そうじゃん。蛍に似合いそうな着物があったら見繕ってやるよ」
「あ、お、お願い、します」
蛍姫が赤い顔のまま、こくこくと頷いた。玄人二人の着せ替え人形になる未来しか見えないが、私の知ったことではない。
「じゃあ、私はこの辺で」
お喋りですっかり上機嫌になった虹姫が立ち上がり、風呂場を後にした。程なくして黄林姫も風呂場を出ていき、炭姫は蒸し風呂の方へと移動していく。
ししおどしの音が、高らかに響く。
湯に浸かるのは、私と蛍姫のみとなった。
(………すごい、見てくるわね)
離れたところにいても、蛍姫の視線が痛い。こちらを見てはうつむくのを、首を痛めるのではないかという勢いで繰り返している。
そして、意を決したと言わんばかりに「あの」と上擦った声を出した。
「お、お隣、いいですか?」
「どうぞ」
「し、失礼します」
蛍姫が視線を忙しなく動かし、もじもじしながら近づいてくる。
正直、一人の時間を満喫したかったのだが、巫女の誘いを断るわけにはいかない。温泉という無礼講の場であってもだ。
それに、蛍姫はさっきの二人のように姦しくない。小動物だと思えば、一人でいるのとさして変わらないだろう。
「……さ、桜さん。足、怪我をしたと聞いてますが」
「ご心配なく。救護班に治してもらったので、この通り」
湯の中で、右足を動かして見せる。
救護班には数名、個人差はあれど治癒の力を持つ者がいる。私を担当したのは上位の力を持つ者で、骨のひびはおろか、微細な擦り傷まで治してもらえた。
「よ、よかったです」
「蛍様も、危ういところだったと聞いておりますが」
「わ、私は大丈夫です。菜飯さんが助けてくれたので」
「そうですか。ご無事で何よりです」
事務連絡のようなやり取りが終わり、再び沈黙が訪れる。
「…………」
「…………」
湯に浸かっているというのに、蛍姫の顔面から血の気が引いていく。とんでもなく気まずそうだ。こっちまで気まずくなってくる。
面倒だが、これは私の方から話を促すほかないだろう。
「蛍様」
「は、はい」
「試合で葉月様が孤立した際、蛍様がお傍にいてくださったそうで……私が至らないばかりに、ご迷惑をお掛け致しました」
「い、いえそんな――」
「ありがとうございます」
従者としての微笑みを向けると、蛍姫は分かりやすく安堵した。
「よろしければ、その際の葉月様のことを聞かせていただけませんか?」
「あ、はい! もちろんです!」
蛍姫の表情が一気に明るくなった。単純な生き物ね。
最初はたどたどしかったが、話をしている内に声が弾んでいき、特に猫の話のくだりになると表情が生き生きと輝き出した。
そのうち私に慣れてきたのか、日頃の授業や休憩中のことまで語り出した。人見知りなだけで、会話をすること自体は好きなのだろう。
「あ、そうそう! 試合を再開した時の葉月君、すごく格好良かったんですよ」
「え?」
「いつもの優しい葉月君しか知らなかったから、びっくりしました。あんな顔するんだって。戦う男の人の顔だって、見惚れちゃって……」
ほんのりと赤い、蛍姫の丸い頬。
恋する乙女のような、愛らしい笑顔。
その愛らしさが――――癪に障る。
(…………癪に障る?)
さり気なく、湯の中で手首に指を添える。脈が若干速いが、温まって血の巡りが良くなっているだけだろう。問題ない。
その後、しばらく葉月の話が続いた。
終始苛立ちが治まらなくて困ったが、蛍姫が自分の話に夢中で、こちらの異変に気付かなかったのは幸いだった。
蛍姫が先に上がり、一人きりになる。
ただ話を聞いていただけなのに、どっと疲れた。
(…………落ち着かない)
急な脈拍の上昇と、胸のざわつき。
曲がりなりにも薬師として食ってきたのだ。こういう状態の人間が、どういう感情を抱いているのかくらいは分かる。
気に入らなかったのだ。蛍姫が、葉月のことを格好いいと言ったのが。
戦う男の人みたいで見惚れた。
そう頬を赤らめる蛍姫に、なぜか苛立ちを覚えた。
(………………なぜ?)
自分のことなのに、意味が分からない。
正直、思い返したくないが、分からないのはもっと気持ち悪いので考える。
蛍姫は夢見る乙女そのもの。葉月に対して異性を感じるなど、当たり前だ。日頃の接点も多いから、今後、葉月に恋心を抱く可能性も充分ある。
胸の内が、いっそうざわめいた。
その感覚が気持ち悪くて、両頬を叩く。痛いだけだった。結局考えても分からず、無駄足を踏んだような気がしてやるせなくなった。
(……今日の私、本当におかしい)
思えば、あの時の私もおかしかった。
葉月がおぶってくれた時、すごく嬉しかった。絶対に置いてかないと言ってくれて、必死に守ってくれて。
だけど、それだけじゃない
なぜか、全身が熱くなった。
背負われているのに、脈が急上昇した。頭まで熱くなった。体がおかしくなって戦慄したのに、多幸感に包まれた。ずっとこのまま背負われていたいと思ったのだ。ずっと、このまま、触れていたいと。
(あ、また脈が)
思い出しただけで、あの時の感覚が鮮明に蘇った。必死に呼吸を整えようにも、体が追いつかな――――
「大丈夫ですか?」
不意に、後ろから声をかけられた。
炭姫だ。蒸し風呂から出てきて、再びこちらに来たのだろう。
「顔、赤いですよ。のぼせる前に上がった方がいいのでは?」
「…………そうさせていただきます」
謎の熱に羞恥心が加わり、さらに頭が茹で上がった。
他人に興味のなさそうな炭姫にまで言われたのだ。今の私は、人様に見せられないほど赤面しているのだろう。
平静を装って風呂場を後にする。
更衣室には幸い、誰もいない。誰にも見られていない。
傍らの壁を、拳で思いきりぶん殴った。
「――――ふうぅぅぅ」
拳を壁に押し当てたまま深呼吸をし、荒ぶる脈を落ち着ける。
吸って、吐いて。
吸って、吐いて。
(………………よし)
誰もいなくてよかった。醜態を曝す前に、訳の分からない熱を吐き出すことができた。まだ熱の名残はあるけど、これでひとまず、いつもの私に戻れる。
脈が安定したところで、ようやく自分が未だ裸であることに気付いた。
裸を恥じらう乙女心はもうないけど、人として普通に恥ずかしい。早々に服を着るべく、壁から離れた。
④に続きます。
桜は存外、普通の女の子です。




