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桜吹雪の後に  作者: 片隅シズカ
三章「堅国の花」

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第二十一話「桜梅桃李 ーおうばいとうりー」②

「ちょ、大丈夫!?」


 彩雲君の体をとっさに支える。

 完全に脱力していて、ずしりと重たい。顔色が見るからに悪い。


「葉月様!! いかがなされましたか!?」


 こちらの異常に気付いたのだろう。鹿男君が湯をかき分けながら近づいてきた。


「それが彩雲君、のぼせたみたいで……」

「ぎ、ぎもぢわりぃ」


 彩雲君の口から、うめき声が漏れる。普段の勢いからは想像できない弱々しさで、見ていて不安になってくる。


「あーあー。完全に茹で上がってんなぁ。これ」


 同じくこっちに来た小春さんが、彩雲君の顔を覗き込んだ。


「彩雲はこちらでなんとかします! 小春さんも手伝って!!」

「えー、鹿男一人でなんとかなるっしょ。のぼせただけっぽいし」

「お願い! 一応!」

「分かったよ……ったく、せっかくの温泉だってのに」


 手を合わせられては断れないのだろう。小春さんは文句を言いつつも了承した。


(どうしよう。僕もなにか……)


「葉月様はそのままで結構。巫子様の御手を(わずら)わせるわけにはいきませんから」

「あ、はい」


 心を読まれてしまった。

 気まずいけど、立場が立場だ。任せるほかない。


 鹿男君が「失礼します」と、力の抜けた彩雲君を僕から引き離した。それから手慣れた様子で抱え込み、風呂場を出ていく。小春さんもその後に続いた。


 足音が遠のいたところで、溜め息をついた。

 温泉に入っているはずなのに、なんだかどっと疲れた。気を取り直し、岩に頭を預けてぼんやりと宙を眺める。



 竹が石を打つ音。


 たゆたう湯の音。


 ときたま吹くそよ風の音。



 静かだ。自然の音しか聞こえない。

 静かすぎて、ふと、違和感に気付いた。


(…………僕一人しかいない?)


 もしかして、もう上がった方がいいのか。若干の焦りが生じたその時だった。


「葉月様。お隣、よろしいでしょうか?」


 声がした方を見て、ほっとした。

 いつもの微笑みを携える、()(めし)さんの姿があった。


「あ、はい。どうぞ」

「失礼致します」


 菜飯さんが湯に入り、僕の隣に腰を下ろした。ふぅと気持ちの良さそうな声を漏らす。ようやく一息つけたという感じだ。


「菜飯さん、ずっと仕事してたんですか?」

「仕事といいますか……実は結果発表の後、(おち)()様が倒れてしまわれまして」

「えっ、倒れたって、大丈夫なんですか?」

「ただの貧血だから問題ないそうです。お風呂にも、後で入られるそうですよ」

「そうですか……」


 落葉さんの姿も見えないと思っていたけど、マイペースかつ人を避ける彼のことだから、あえて時間をずらしているのだろうと思っていた。

 のぼせた彩雲君といい、激しい運動の後だから、体調を崩しやすいのかもしれない。僕も気を付けないと。



 竹の音が、また高らかに響いた。



「良い湯でございますね」

「そうですね」


 体の微かな動きに合わせて、湯にゆるやかな波紋が広がる。

 さっきまでの騒がしさが嘘のように静かだ。静かすぎて…………気まずい。


(どうしよう。なに、話そう)


 桜さんの代わりに送迎をしてくれた三日間で、菜飯さんとはたくさん話をした。


 女性が多い(やしろ)において、三郎さんと並んで話しやすい同性だと思っていたけど、考えてみれば、送迎の時以外に話をするのは初めてだ。しかも身分の関係上、普段は肩を並べることなんてない。


 隣り合って、同じ湯に浸かっている。それだけなのに、妙に緊張する。変なことを言って引かれたくないし…………そうだ。


「あの。改めて、優勝おめでとうございます」


 結局、口から出たのは当たり障りのない言葉だった。菜飯さんに「ありがとうございます」と微笑みを返してもらえて、ほっとする。


「もっとも、姫様は不本意であらせられるようですが」

「確かに、そんな感じでしたね」


 結果発表の時、表向きはいつもと変わらなかった。気位が高く、(はつ)(らつ)とした、僕がよく知る花鶯さんに見えた。



 だからこそ、笑顔は分かりやすく歪だった。



 感情豊かで素直な人だから、作り笑いが苦手なのだろう。

 あそこまで分かりやすかったのだ。おそらく、あの場にいたほぼ全員が、花鶯さんの心情を察している。


「……あの猿たち、花鶯さんの力で集まってきたんですよね」

「えぇ。詳しいことは申し上げられませんが、あらゆるものを魅了する御力でして。曇り空が急に晴れたのも、その影響です」

「えっ!?」


 驚きのあまり、癒やしの空間にそぐわない声を上げてしまった。


 さらりと言ってのけているけど、その気になれば天候をも操れるということだ。二島の巫女であってもおかしくない。


「姫様は御力を使いたくないと仰っていましたが……正直、ほっとしました。私には、御力を使うことを我慢されているように見えましたので」


 菜飯さんが、いっそう柔らかく微笑んだ。

 表情が柔らかいのはいつものことだけど、花鶯さんの話をする時、たまにこの顔になる。まるで娘や妹を見守る保護者のような、深い慈しみにあふれた笑顔だ。


「なんだか、嬉しそうですね」



 柔らかな微笑みが、不自然に固まった。



 穏やかに細めていた目を見開き、僕を凝視する。

 食い入るような目力を前に、思わず身を引いてしまった。


「…………そう、見えますか?」

「え? あ、はい。見えます」

「そうですか……」


 強張っていた表情が、みるみる内に緩んでいく。見えると言われたことが、心底嬉しいと言わんばかりに。


(……笑っている自覚、なかったのか?)


「葉月様も試合、お疲れ様でした」

「あ、あぁ、えと、ありがとうございます」


 労いの言葉をかけられたというのに、挙動不審な反応をしてしまった。


「といっても、僕は助けられてばかりでしたけどね」

「そんなことありませんよ。怪我をした桜さんを背負ってお守りしたと、本人から聞いております」

「あれは当然というか、あのままにできないと思ったんです。桜さんは強いから」

「強いから、ですか?」


 はいと即答した。


「桜さんは強いから、どんなに傷ついても泣かないし、絶対に逃げないんです。だから、放っておいたら無茶をしそうだなって」

「桜さんは存外、普通の人だと思いますよ」



 ぽつりと、菜飯さんが呟いた。



「………………普通?」

「あくまで、私から見た印象ではございますが」


 菜飯さんが再び「ふぅ」と息をつき、それからゆっくりと語り出した。


「実は一時期、夜長様にお仕えしていたことがありまして。桜さんとは、その際に初めて知り合いました。桜さんと直接話す機会はありませんでしたが、常に無表情で、どこか近寄りがたい印象を受けたものです」


 どこかで、(ふくろう)が鳴いた。

 今は梟なんてどうでもいいのに、いやに鮮明に聞こえた。


 菜飯さんの話は、淡々と続く。


「そのせいか、周囲から『鬼らしい人』と、よく陰口を叩かれていました。優秀な上に、当時の従者の方に大変気に入られていたようでしたから、やっかみも交じっているでしょうけど。でも、()()さんと話している時のみ、人間らしさを感じました。あの人には心を許しているのだなと。桜さんにとって、李々さんは自分を『鬼』から『人』に戻してくれる存在だと――」


(…………なんでだろう)


 すぐ隣にいるのに、菜飯さんの声がだんだんと遠くなる。それに比例して、胸はざわめきを増していく。




 なんでだろう。


 無性に、苛々する。




「おそらく、葉月様もそうですよ」

「え?」

「葉月様と話している時の桜さんも、表情が人間らしいんです。だけど、李々さんに見せる笑顔ともまた違う。穏やかといいますか、安心しているといいますか」


 胸のざわめきが、ぴたりと止まった。


「葉月様といる時も、あの人は『人』に戻れるのではないかと思います。だとしたら、葉月様は常に、桜さんを守っておられますよ。少なくとも私は――」

「菜飯さんごめん! ちょっと来てほしいんだけど」


 風呂場の入り口から、鹿男君の大きな声がした。


「では、私はこれにて失礼します」

「あ、お疲れ様です」


 菜飯さんが微笑みを残して、風呂場を後にした。


 ししおどしが、また音を立てる。

 髪から落ちた滴が、湯に波紋を広げる。


(…………守ってる? 僕が?)


 思いも寄らなかった言葉だ。ずっと、桜さんに守られていると思っていたから。




 だから考えもしなかった。


 僕の存在が、桜さんを『人』にしているだなんて。




 桜さんの役に立ってる。

 そう思った瞬間、視界が明るくなったように見えた。


「………………うわぁ」


 どうしよう、嬉しい。

 やばい、顔のにやけが止まらない。


 僕は、お荷物じゃない。


 そうだ。僕はもう、ただ心配されるだけの病人じゃない。自分の足で走れるし、なんなら背負うことだってできる。ちゃんと、桜さんの役に立て――――



「笑い声、外まで聞こえてるよ」



 無機質な声が、耳に突き刺さった。

 真っ白な頭のまま、声がした方を見る。


 落葉さんだった。


 いつもの真顔…………いや、どこか呆れたような真顔で、僕を見下ろしている。


「え、声?」

「風呂場だから。声、反響するし」

「…………」


 おそるおそる、口の端に触れる。めちゃめちゃ口角が上がっていた。


 そして、客観的に思い返す。

 一人になった後の、自分の言動を。




 羞恥心が脳天を突き破った。




「す、すすすすすみません!! 今出ます今出ます!!」

「いや、別にい――」


 落葉さんが何か言っているような気がしたけど、それどころではない。一刻も早くこの場を離れないと、死ぬ!!


 僕はこけそうになりながらも、猛ダッシュで風呂場を後にした。



 ……


 …………


 ………………



「なんだ、あれ」


 風呂場に一人残された落葉は、ただただ困惑していた。

③に続きます。

葉月にとって、桜は「強さ」の象徴なのです。

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