第二十一話「桜梅桃李 ーおうばいとうりー」①
温泉回となります。
まずは葉月視点(男風呂)です。
竹の音が、高らかに響く。
もうもうと立ち上がる湯気の向こうに、ししおどしが見えた。
水を流して、その重みで石に打たせる。雅さを醸し出すと同時に、その音で野生の獣を追い払う。雰囲気も実用性も兼ねた装置だ。
(日本の温泉って感じだなぁ。日本じゃないけど)
絶妙な熱さ加減のお湯が、全身をじんわりと包み込んでいく。気持ちいい。
周囲の木々は昼間の青さから一転して、夜の闇に身を潜めていた。時折揺れる風が、暗闇の中で木々をさわりと撫でる。
日が暮れるとほぼ同時に、試合は終了した。
最初から最後まで慌ただしかったけど、とりわけ最後の方は混沌としていた。
花鶯さんの力で集まった無数の猿たちを、ひたすら狩りまくる流れとなったのだ。人と猿が入り乱れる中で、夢中で刀を振るった。
(……楽しかったなぁ)
優勝したのは、花鶯組だった。
しかも、ただの優勝ではない。歴代捕獲数の最高記録を塗り替えての優勝だ。
悔しいという気持ちより先に、そうだろうなと思った。
猿たちはあろうことか、花鶯さんの刀の嵐に進んで飛び込んでいったのだ。さながら、花の香りに吸い寄せられる虫のように。
刀を振っても振っても、猿たちは花鶯さんへと流れていく。正直、優勝は絶望的だなと感じながら、刀を振るっていた。
それでも、楽しかった。
何も考えず、体をがむしゃらに動かすことが、こんなに気持ちいいだなんて知らなかった。体は疲労で重たかったのに、心は怖いくらいに軽やかだった。
結果発表が終わると、僕と桜さんは顔を合わせて笑った。
温泉卵を得られなかったのは残念だけど、僕たちは頑張った。精一杯足掻いた。今までにない充実感で満ちあふれていた。
(また、やりたいな)
視察の小休止ということは、来年も試合をするのだろう。しかも元の世界にいた頃と違って、来年を当たり前に迎えられる。試合が終わったばかりだというのに、今から楽しみになってきた。
今度は優勝したい。
桜さんと、優勝を喜び合いた――――
「温泉と言ったら、やっぱ浪漫だろ」
耳に入ってきた小春さんの一言で、試合の余韻が霧散してしまった。
「鹿男もそう思わないか?」
「えっと……ごめん。よく分かんないや」
「お子様だなぁ。あれ見てみな」
小春さんがにやつきながら、鹿男君に何かを促す。小声のつもりだろうけど、興奮しているのか声を抑えきれていない。離れたところにいる僕でも聞き取れる。
なんとなく胸がざわついて、聞き耳を立てた。
「あれ、どう思う?」
「あれ?」
「あれだよ、あれ。穴開いてんだよ」
小春さんが指差した方向を、鹿男君が素直に見た。気になったので僕も見る。
確かに、穴が開いていた。
雨風に晒されて老朽化したのか、女湯と男湯を隔てる木製の仕切りに、人一人は通れそうな穴がある。
「あ、本当だ! 管理人に伝え――」
「いや、その必要はない」
「え?」
「あの穴はな、極楽行きの道なんだよ。そこで鹿男、お前の出番だ」
「お、おれ?」
「確か、一瞬で離れた場所に移動できるんだよな? お前の力があれば、壁の向こうの女性陣にばれてもすぐに逃げられる」
「…………まさか、のぞきに行――っ!」
「ばかっ! 声がでかい」
小春さんが、鹿男君の口を塞いだ。
「こんな機会はそうそうないんだ。楽しまなきゃ損だろ?」
「で、でも、のぞきはまずいよ。ていうか不敬だよ!」
普段から声の大きな鹿男君だけど、さすがに周囲を気にしてか、彼なりに声を抑えている。僕には聞こえているけど。
(ど、どうしよう……)
巫女の僕が一声かければ、小春さんの暴走は一瞬で止まるだろう。
だけど、声をかけづらい。
聞き耳を立てている後ろめたさや、僕の介入で大事になったらという心配もあるけど…………それ以上に、想像してしまう。
あの仕切りの向こうにいる、桜さんの姿を。
ししどに濡れる黒い髪をまとめ、湯に浸る桜さん。
蒸気でほんのり赤くなった頬をゆるめ、立ち上がり――――うわああああ!!
淫らな想像をしてしまい、僕の方がのぼせそうになった。
止めないと! 男として!
今、立ち上がったら、絶対に聞き耳を立てていたことがバレるけど、そんなこと言ってられない。このままでは桜さんの貞操が危な――――
「だったら、このまま地獄に連れて行ってやろうか?」
仕切りから目を離し、小春さんを見たのとほぼ同時だった。
小春さんの肩に、三郎さんの手が置かれていた。
「さ、三郎さん? 後で入るのでは……? ていうか、なんで服――」
「うるさい黙れ。その穢らわしい口を開くな」
小春さんの声が一瞬で封じられた。湯けむりの中でも、その麗しい顔から血の気が引いていくのがよく見える。隣にいる鹿男君も、同調して一緒に震えている。
三郎さんはといえば、遠目からでも分かるほどの殺気を放っていた。
二人が顔面蒼白になるのも頷ける。風呂場で服を着ている理由なんてどうでもよくなる迫力だ。ひぇ……っ。
「姫様の御体を一目でも見てみろ。死んだ方がましだと懇願させてやる。それが嫌なら……分かっているな?」
口を開くなと言われたからだろう。小春さんは無言で必死に頷いてみせた。
「鹿男。この馬鹿を見張っておけ。こいつが乱心したら、お前も道連れにする」
「えええぇ!! そりゃな……分かりました」
殺気に当てられたのか、みるみるうちに鹿男君が小さくなっていく。理不尽な道連れ候補となった鹿男君には、同情するほかない。
三郎さんが立ち去り、説教という名の脅しが終わった。
すっかり疲弊しきった小春さんを、鹿男君が気まずそうに慰めている。
このまま静かになるかと思いきや、今度は怖すぎる三郎さんの話題で盛り上がり出した。それをぼんやりと聞きながら、湯の心地よさを堪能する。
(…………にぎやかだ)
普段は巫女専用の風呂場を使うから、誰かと一緒に入ることがない。たまに落葉さんと一緒になっても、相手が相手だけに会話はないようなものだ。
ただし、今回だけは違う。
視察中の息抜きということで、従者は巫女と湯を共にすることが許されるのだ。聞こえてくる内容はともかく、近くに人がいるという事実にほっとする。
(この体が女の子だったら、桜さんと一緒に――――)
「おい葉月! ちょっと面かせや」
向こうの風呂で泳いでいた彩雲君が、こちらに移動してきた。「よっ!」と湯船に飛び込んだ勢いで水しぶきが顔面にかかり、我に返る。
「おい、なんか顔赤いぞ。大丈夫かよ?」
「う、うんうん!! だだだ大丈夫!」
「ならいいけどよ」
(危なかった……!)
思考が小春さんと化していた自分に、密かに身震いした。
こんな下心、桜さんに知られるわけにはいかない。間違いなく軽蔑される。
「小春のやつ、また説教されたのかよ」
彩雲君が若干声を抑えながら、小春さんたちの方を見た。
「三郎とすれ違ってよ、なんか小春死ねとか言ってた」
「あぁ……」
三郎さんは短気だけど、規律を重んじる寡黙な人だ。普段なら、公共の場で暴言を吐き散らす真似はまずしないだろう。すれ違う彩雲君を気にする余裕もないくらい、頭に血が上っていたらしい。
そして彩雲君はというと、いじるネタを見つけたと言わんばかりにニヤニヤしている。平和だなぁ。
「で、何やったんだ?」
「あそこにある穴から、女湯を覗こうとしたみたいで……」
「ははっ! 三郎いんのにできるわけねーじゃん」
彩雲君が馬鹿にするような笑い声を上げた。
その笑い声で、こちらの会話の内容を察したのだろう。小春さんと目が合った。
気まずさを感じたものの、すぐに目を逸らされた。何事もなかったかのように、鹿男君と談笑している。どうやら、聞かないことにしてくれたらしい。
(あ、そもそも心が読めるんだった)
別の意味で気まずさを感じたけど、そればかりはどうしようもない。僕もあえて考えないことにした。
「小春ってあれだな。マジでねーよな。ガクシュー……なんとか?」
「学習能力?」
「そうそれ! この前も女をナンパしてぶん殴られてたしよ」
「そ、そうなんだ……」
彩雲君が、僕の周りをゆらゆらと泳ぎ出した。落ち着きのない子供そのものだ。
ちなみに彩雲君は、毎日のように何かしらやらかして、その度に三郎さんの拳骨を食らっている。正直、人のことは言えないと思う。
「……珍しいね。彩雲君の方から、僕に話しかけてくれるなんて」
忙しなく泳いでいた彩雲君が、ピタリと止まった。
僕の顔をチラチラと見ながら口ごもっている。こんな彩雲君、初めてだ。
少し間を置いて、なぜか僕を睨み付けてきた。
「お前、見たよな」
「え?」
「とぼけんじゃねー。見ただろ」
「ご、ごめん。本当に分かんない」
「一回目に会った時だよ! 俺が、虹に、その……」
「…………もしかして、お姫様だっ――」
彩雲君が鬼気迫る形相で、僕の背後にある岩に手をついてきた。
いわゆる壁ドンだ。
初めての壁ドンがされる側で、しかも相手が彩雲君……て、何この状況!?
「その言葉を口に出したらぶっ殺す」
「あ、はい」
頷くほかなかった。せっかくの温泉で暴力沙汰は嫌すぎる。
「誰かに言ったか?」
「い、言ってないよ」
「本当か?」
「本当! 本当だよ!!」
興奮しているのか、彩雲君の顔が見るからに赤い。さながら温泉に浸かる猿のようだ。話している内容がお姫様抱っこの件じゃなかったら、そして彩雲君が子供じゃなかったら、いろいろと誤解を生みそうな光景だと思う。
(…………ん?)
彩雲君が、岩に手をついたまま動かない。表情は必死なのに、視線に力がない。虚ろというかぼんやりしている。
「さ、彩雲君?」
顔が赤いのに、青ざめているように見える。
もしかしてと思った次の瞬間、彩雲君がもたれかかってきた。
②に続きます。




