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桜吹雪の後に  作者: 片隅シズカ
三章「堅国の花」

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第二十話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (後編) ⑤

 力を使いたくて仕方ないという、鮮烈な欲望。

 その瞳が放つ輝きに、一瞬で目を奪われた。


「力を使っている間、私は、私の色に染めた世界しか認識できなくなる。だから、その間のことは任せたわよ」

「…………はい!」


 花鶯さんが目を閉じた。肩を落とし、呼吸を整える。


「――――――」




 空気が揺らいだ。


 曇天の隙間から、日光が差し込む。


 透きとおるような青空が、顔を出す。


 木々から、季節外れの桜が咲き誇る。


 四方八方から、地響きが鳴り渡る。


 無数の猿が、一心不乱にこちらへと向かってくる。




 猿たちは私のことなど眼中にないのだろう。私の横を次々と素通りし、花鶯さんを中心に固まり、ひざまづいた。


 花々に囲まれ、日光に照らされた天女。

 天女にかしづく、無数の獣たち。


 昔話に出てくるような桃源郷が、今、私の目の前に広がっている。



 ――――これが、花鶯さんの力だ。



 生きとし生けるものはもちろん、空も、地も、草木も花々も、全てが彼女の前に姿をさらしたくなる。ひざまづきたくなる。


 全てを惹き付け、魅了する力だ。


 この力を使う時、花鶯さんの目には『瑠璃色』が広がるという。世界を瑠璃色に――自分の色に染め上げるのだという。




 私にその色は見えないけど、分かる。


 だって、全ての味が、彼女の味で塗りつぶされるから。




(なんて、芳醇な味)


 彼女の味はとても甘く、芳醇で、それなのに舌の上で優しく広がる。


 この世界で一番、美味しい味だ。

 この味は、花鶯さんが力を使っている時にしか味わえない。視界の美しさも相まって、蕩けるほどに甘美なのだ。


(…………羨ましい)


 私も、天女様の前にひざまづきたい。その尊い御姿を崇めたい。


 もっと近づきたい。

 近づいて、その滑らかな頬に触れて…………食べたい。


(――――って、だめだめ変なこと考えたら!!)


 この崇高な場を乱さないよう、静かに呼吸を整える。

 集中しないと、私まで魅了されてしまう。それでは、いざという時に花鶯さんのために動けなくなる。


(……化け猿、来ないな)


 天候まで手中に収める力だ。異様な化け物であろうが、吸い寄せられないわけがない。力の及ばない距離なのか、はたまた誰かが止めて拘束したのか。


 一方で、猿たちは次から次へと増えていく。


 花鶯さんの周りはもちろん、周囲はこちらに向かって走ってくる猿たちで埋め尽くされている。この山の猿は、ほとんど集まってきているとみてよさそうだ。



 不意に、汗の味が押し寄せてきた。



 恐怖の味だ。味がする方を振り返る。猿たちの群れが乱れていた。一匹が転んだのか、次々と転倒し出したのだ。


 将棋倒しだ。

 そう気付くと同時に、私は走り出した。


 過ぎ去る風で、髪が踊り狂う。

 転がる猿たちを受け止め、走り、受け止め、走り、また受け止める。猿たちの移動が落ち着くまで、ひたすら同じ動作を繰り返していく。


(他には……あ、あそこにも!)


 すぐに駆け出し、転がる小猿を受け止め――――損ねた。



 足を、踏み外した。



 まずいと思ったけど、小猿を抱いていて両手が塞がっている。体を立て直せない。小猿を抱きしめながら、転がっていく。

 

 視界の端で、ひときわ大きな木が迫ってくるのが見えた。


(あ、ぶつかる……!)


 小猿をいっそう強く抱きしめた。

 この速度で衝突したら、最悪死んでしまう。だからこそ、私が盾になる。私は黒湖様に選ばれた巫女だから。



 花鶯さんなら、絶対にそうするから。



 体に衝撃がきた。

 だけど、思っていたのとは違う。痛くない。


 大木が数歩先にある。私と小猿は、網のようなものに揺られていた。受け止められたのだ。ふわりと包み込むように、私たちを乗せている。


 抱きしめていた小猿が、私の腕から抜け出した。親の姿を見つけたのか、一目散にまっすぐ走っていく。よかった、怪我はないみたい。


「蛍様、お怪我はございませんか?」


 声がした方を振り返る。


 菜飯さんだ。彼が声をかけてきた瞬間、私たちを乗せていた網が蜃気楼のように消えた。菜飯さんの力だ。私たちを助けてくれたのだ。


「はい、なんとか。ありがとうござ――」

「姫さま!」


 李々さんの声がした。

 菜飯さんの背後から、駆け寄ってくるのが見えた。


(あ…………)


 顔が険しい。もの凄く、険しい。


 何か悪いことをしたのかな。いや、そもそも私が花鶯さんとぶつかって、川に落ちたせいではぐれてしまったのだ。


「李々さん。あの――」




 李々さんに抱きしめられた。


 驚きのあまり、思わず「え?」と声が漏れる。




「申し訳ございません。従者でありながら、肝心な時にお守りできませんでした」

「り、李々さんっ?」

「ご無事で、何よりです」


 私を抱きしめる力が強くなった。李々さんの腕が、微かに震えている。


(あ――――)


 李々さんから、恐怖の味がした。

 恐怖といっても、さっきの猿たちからした味とは全然違う。汗のような不快感はなく、むしろほっとする。



 深い安堵が入り交じった、しょっぱい涙の味だ。



(……私、李々さんのこともほとんど知らない)


 知っていることといえば、桜さんが大好きであること、とても器用で要領が良いこと、表裏が激しいこと。社に入れば、誰でも知ることばかりだ。


 だけど一つだけ。私だからこそ、知っていることがある。


 それは、未来が見えること。


 未来で起こることが、視覚として断片的に見えるらしいのだ。自分で見ることはできないし、あっという間に見えなくなってしまうので、いつどこで起こるのかは、自分で考える必要があるという。


 人ならざる力を持つ従者は、主人にどんな力なのかを申告する義務がある。私が巫女だから、知っているだけだ。


 だけど、己の力をどう思っているのか、どんな影響を及ぼしたのか。内面のことは何も知らない。彼女にとって、私は仕事で接する主人でしかないから。




 それでも、なんとなく分かるのだ。


 李々さんから涙の味がした時は、何か、怖い未来を見たのだと。




「……李々さん」


 私も、李々さんを抱きしめた。

 私よりも大人なのに、小さな子供のように感じた。


「ご心配おかけしました」


 少しでも安心してもらいたくて、笑った。抱き合っている状態では顔が見えないことに気付いたけど、それでも笑った。



「蛍、もう大丈夫よ。ご苦労様」



 花鶯さんの声がした途端、李々さんが私から勢いよく離れた。耳が赤いのが可愛くて、思わずくすりと笑いが零れた。


「今しがた、菜飯の影から報告があったわ。化け猿は虹が止めたのち、地元の猟師に引き渡したそうよ」

「よかったぁ……」


 張り詰めていた緊張が、一気にほどけた。


 全身から力が抜け、李々さんに寄りかかる形となった。嫌がられはしなかったけど、さり気なく距離を取られてしまった。つれない。


「そういうわけだから、再開するわよ。猿狩り」


 言うや否や、花鶯さんが刀を抜いた。


「菜飯はそこで待機!!」

「御意」


 微笑む菜飯さんの横を、花鶯さんが刀を片手に駆け抜ける。そして猿たち目掛け、一気に刀を振り上げた。


 刀の嵐が、木の葉と共に猿たちを巻き上げる。猿たちは、花鶯さんの力でこの場を離れない。為す術どころか、自分たちが襲われている自覚すらないのだ。


 花鶯さんに見惚れたまま、次々と宙を舞っていく。


 私はもちろん、李々さんまでもが見惚れていた。

 花鶯さんの力だと分かっていても、目をそらせない。思考が働かない。ずっと、彼女を見ていたい。それしか考えられなくなる。


(でも、私はそれだけじゃない)


 たとえ力が効いていなくても、今の花鶯さんを見たら、私は目を奪われるだろう。心を奪われるだろう。



 笑っているのだ。華やかに、晴れやかに。



 この世全てを享受するような笑顔で、楽しそうに舞っている。己の色に染め上げて、思うがままに体を動かしているのだ。


 楽しいんだ。力を使うのが。


 巫女の使命から、周囲から、過去から。あらゆる重圧から解放されている。


 今の花鶯さんは、自由だ。

 己が染めた瑠璃色の世界で、心のままに舞っているのだ。


(あぁ…………この笑顔だ)


 あの日、私に力を見せてくれた時の笑顔。

 私の大好きな、花鶯さんの笑顔。


 もっと見たい。見ていたい。

 その煌めきに満ちた笑顔から、目を離したくな――――




「それはつまらないな」




 後ろから声をかけられた。

 その瞬間、糸が切れたように我に返った。


「これが花鶯の力か。対象のみならず、周囲まで無差別に魅了する……なるほど。生真面目な花鶯が使いたがらないわけだ。しかし」

「こ、虹さ――」

「声に出てたぞ。さぞかし、花鶯に心酔しているみたいだな」

「ふぇ!?」


(どこから!? 何を口にしていたの!?)


 思わず口を押さえたが、もちろん意味はない。案の定、虹さんに「可愛いやつだ」と笑われてしまった。うぅ……恥ずかしい。


 虹さんが前に出て、刀を抜く。


「それはそうと、今のあいつの顔は良い。潰しがいがある」


 花のある派手な顔に、不適な笑みを浮かべた。遊び相手が見つかったと言わんばかりに、楽しそうに。


「ほら、あんたらも」


 座り込む私たちに、楽しそうな笑みをふっかけてきた。正気を取り戻した李々さんは、毛を逆立てた猫のように睨みを効かせている。


「せっかくの祭りなんだ。他人に呑まれてないで、存分に楽しめ」


 挑発的にほくそ笑み、駆け出した。あっという間に虹さんの姿が小さくなる。


「……ちっ、余裕ぶっこいて偉そうに」


 李々さんが舌打ちをしながら立ち上がった。

 手を差し伸べられ、私も立ち上がる。


「後に続くようで(しゃく)ですが、わたしたちも行きましょう。このままじゃあっという間に狩り尽くされ――」

「蛍ちゃん!!」


 葉月君の声がした。虹さんが来た方からだ。

 振り返ると、葉月君がふらつきながら息を切らしていた。


「けい、ちゃ……だい、じょ……」

「私は大丈夫! むしろ葉月君が息整えて!?」


 私が慌てて促すと、葉月君はひざに手をついて立ち止まった。今にも倒れてしまいそうで、気が気じゃない。


「いったい……なにが……さくら、咲いてるし……」

「まったく、次から次へと(うっ)(とう)しい」


 李々さんが思いっきり顔をしかめた。


「花鶯さまが、力でこの山の猿を集めたんですよ。それで今は、花鶯さまと虹さまの猿狩り合戦中です」

「花鶯さんの、力……?」

「私たちも行きます。説明している暇はないので。貴方様は、そこでぼさっと突っ立っていてくださいまし」


 何が気に入らないのか分からないけど、とにかく不機嫌そうだ。葉月君は息を整えるので精一杯なのか、私と同様に慣れているのか、特に気にする様子はない。


「………………僕も、行きます」


 葉月君が、顔を上げた。

 とくんと、胸が脈打った。私の知っている優しい葉月君とは違う。




 戦う男の人の顔だ。


 己の全てを賭けてでも勝ちたい。そんな顔をしている。




(葉月君。そんなかっこいい顔、するんだ……)


「蛍ちゃん」

「は、はい!!」


 不意に声をかけられ、思わず変な声を上げてしまった。


「最後まで、お互いがんばろう」


 葉月君が笑った。

 戦う男の人の顔に、いつもの優しい笑顔が花開く。


「…………うん」


 頷くと、葉月君が背中を向けて走り出した。


 私も行かなくちゃ!

 走り出し、刀を抜いた。


 刀を振り、猿たちを巻き上げ、走る。無我夢中で動き回る。駆け引きもへったくれもない、早い者勝ちの狂宴だ。


 私たちは優勝するために、刀を振るっている。


 だけどそんなことなど関係なしに、楽しい。刀から巻き起こる風が気持ちいい。いつまでも踊っていたい。



「――――――あはっ!」



 気が付くと、笑っている自分がいた。

 踊り舞う喜びが、声となって(あふ)れていく。


 試合が終わるまで、私たちはいつまでも踊り続けた。



挿絵(By みてみん)

次回。第二十一話「桜梅桃李 ーおうばいとうりー」




さるひと合戦、終了です。

はたして、どこの組が優勝したのか?


次回は、温泉回となります。




<各話タイトル解説(第十九、二十話)>



桜花爛漫おうからんまん……桜の花が満開になり、鮮やかに咲き乱れる様子】


今回の花は、花鶯姫や蛍姫など「自分を押し殺してきた者」を指しています。


生きていると大なり小なり、自分を押し殺さざるを得ない。それは異世界だろうと同じだと思います。彼女たちもまた、過去の経験や周囲からの圧によって「自分の好きなもの」を我慢し続けてきました。


それでも、どこかで息を抜かないと苦しいばかりです。

人は生きるために我慢する一方で、生き続けるために「解放」を求めるのではないでしょうか。


彼女たちもまた、無意識のうちに「解放」を求めたことで、互いを見つけることができました。


蛍姫は、花鶯姫の「力」に。

花鶯姫は、蛍姫の「好きな味」に。


互いの「好きなもの」によって、己を解放するに至ったのです。


そして実は、この言葉には「もう一つの意味」も込めています。

ヒントは「葉月に背負われた時の、桜の体温」です。これが何を意味するのかは、温泉回にて描写します。

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