第二十話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (後編) ⑤
力を使いたくて仕方ないという、鮮烈な欲望。
その瞳が放つ輝きに、一瞬で目を奪われた。
「力を使っている間、私は、私の色に染めた世界しか認識できなくなる。だから、その間のことは任せたわよ」
「…………はい!」
花鶯さんが目を閉じた。肩を落とし、呼吸を整える。
「――――――」
空気が揺らいだ。
曇天の隙間から、日光が差し込む。
透きとおるような青空が、顔を出す。
木々から、季節外れの桜が咲き誇る。
四方八方から、地響きが鳴り渡る。
無数の猿が、一心不乱にこちらへと向かってくる。
猿たちは私のことなど眼中にないのだろう。私の横を次々と素通りし、花鶯さんを中心に固まり、ひざまづいた。
花々に囲まれ、日光に照らされた天女。
天女にかしづく、無数の獣たち。
昔話に出てくるような桃源郷が、今、私の目の前に広がっている。
――――これが、花鶯さんの力だ。
生きとし生けるものはもちろん、空も、地も、草木も花々も、全てが彼女の前に姿をさらしたくなる。ひざまづきたくなる。
全てを惹き付け、魅了する力だ。
この力を使う時、花鶯さんの目には『瑠璃色』が広がるという。世界を瑠璃色に――自分の色に染め上げるのだという。
私にその色は見えないけど、分かる。
だって、全ての味が、彼女の味で塗りつぶされるから。
(なんて、芳醇な味)
彼女の味はとても甘く、芳醇で、それなのに舌の上で優しく広がる。
この世界で一番、美味しい味だ。
この味は、花鶯さんが力を使っている時にしか味わえない。視界の美しさも相まって、蕩けるほどに甘美なのだ。
(…………羨ましい)
私も、天女様の前にひざまづきたい。その尊い御姿を崇めたい。
もっと近づきたい。
近づいて、その滑らかな頬に触れて…………食べたい。
(――――って、だめだめ変なこと考えたら!!)
この崇高な場を乱さないよう、静かに呼吸を整える。
集中しないと、私まで魅了されてしまう。それでは、いざという時に花鶯さんのために動けなくなる。
(……化け猿、来ないな)
天候まで手中に収める力だ。異様な化け物であろうが、吸い寄せられないわけがない。力の及ばない距離なのか、はたまた誰かが止めて拘束したのか。
一方で、猿たちは次から次へと増えていく。
花鶯さんの周りはもちろん、周囲はこちらに向かって走ってくる猿たちで埋め尽くされている。この山の猿は、ほとんど集まってきているとみてよさそうだ。
不意に、汗の味が押し寄せてきた。
恐怖の味だ。味がする方を振り返る。猿たちの群れが乱れていた。一匹が転んだのか、次々と転倒し出したのだ。
将棋倒しだ。
そう気付くと同時に、私は走り出した。
過ぎ去る風で、髪が踊り狂う。
転がる猿たちを受け止め、走り、受け止め、走り、また受け止める。猿たちの移動が落ち着くまで、ひたすら同じ動作を繰り返していく。
(他には……あ、あそこにも!)
すぐに駆け出し、転がる小猿を受け止め――――損ねた。
足を、踏み外した。
まずいと思ったけど、小猿を抱いていて両手が塞がっている。体を立て直せない。小猿を抱きしめながら、転がっていく。
視界の端で、ひときわ大きな木が迫ってくるのが見えた。
(あ、ぶつかる……!)
小猿をいっそう強く抱きしめた。
この速度で衝突したら、最悪死んでしまう。だからこそ、私が盾になる。私は黒湖様に選ばれた巫女だから。
花鶯さんなら、絶対にそうするから。
体に衝撃がきた。
だけど、思っていたのとは違う。痛くない。
大木が数歩先にある。私と小猿は、網のようなものに揺られていた。受け止められたのだ。ふわりと包み込むように、私たちを乗せている。
抱きしめていた小猿が、私の腕から抜け出した。親の姿を見つけたのか、一目散にまっすぐ走っていく。よかった、怪我はないみたい。
「蛍様、お怪我はございませんか?」
声がした方を振り返る。
菜飯さんだ。彼が声をかけてきた瞬間、私たちを乗せていた網が蜃気楼のように消えた。菜飯さんの力だ。私たちを助けてくれたのだ。
「はい、なんとか。ありがとうござ――」
「姫さま!」
李々さんの声がした。
菜飯さんの背後から、駆け寄ってくるのが見えた。
(あ…………)
顔が険しい。もの凄く、険しい。
何か悪いことをしたのかな。いや、そもそも私が花鶯さんとぶつかって、川に落ちたせいではぐれてしまったのだ。
「李々さん。あの――」
李々さんに抱きしめられた。
驚きのあまり、思わず「え?」と声が漏れる。
「申し訳ございません。従者でありながら、肝心な時にお守りできませんでした」
「り、李々さんっ?」
「ご無事で、何よりです」
私を抱きしめる力が強くなった。李々さんの腕が、微かに震えている。
(あ――――)
李々さんから、恐怖の味がした。
恐怖といっても、さっきの猿たちからした味とは全然違う。汗のような不快感はなく、むしろほっとする。
深い安堵が入り交じった、しょっぱい涙の味だ。
(……私、李々さんのこともほとんど知らない)
知っていることといえば、桜さんが大好きであること、とても器用で要領が良いこと、表裏が激しいこと。社に入れば、誰でも知ることばかりだ。
だけど一つだけ。私だからこそ、知っていることがある。
それは、未来が見えること。
未来で起こることが、視覚として断片的に見えるらしいのだ。自分で見ることはできないし、あっという間に見えなくなってしまうので、いつどこで起こるのかは、自分で考える必要があるという。
人ならざる力を持つ従者は、主人にどんな力なのかを申告する義務がある。私が巫女だから、知っているだけだ。
だけど、己の力をどう思っているのか、どんな影響を及ぼしたのか。内面のことは何も知らない。彼女にとって、私は仕事で接する主人でしかないから。
それでも、なんとなく分かるのだ。
李々さんから涙の味がした時は、何か、怖い未来を見たのだと。
「……李々さん」
私も、李々さんを抱きしめた。
私よりも大人なのに、小さな子供のように感じた。
「ご心配おかけしました」
少しでも安心してもらいたくて、笑った。抱き合っている状態では顔が見えないことに気付いたけど、それでも笑った。
「蛍、もう大丈夫よ。ご苦労様」
花鶯さんの声がした途端、李々さんが私から勢いよく離れた。耳が赤いのが可愛くて、思わずくすりと笑いが零れた。
「今しがた、菜飯の影から報告があったわ。化け猿は虹が止めたのち、地元の猟師に引き渡したそうよ」
「よかったぁ……」
張り詰めていた緊張が、一気にほどけた。
全身から力が抜け、李々さんに寄りかかる形となった。嫌がられはしなかったけど、さり気なく距離を取られてしまった。つれない。
「そういうわけだから、再開するわよ。猿狩り」
言うや否や、花鶯さんが刀を抜いた。
「菜飯はそこで待機!!」
「御意」
微笑む菜飯さんの横を、花鶯さんが刀を片手に駆け抜ける。そして猿たち目掛け、一気に刀を振り上げた。
刀の嵐が、木の葉と共に猿たちを巻き上げる。猿たちは、花鶯さんの力でこの場を離れない。為す術どころか、自分たちが襲われている自覚すらないのだ。
花鶯さんに見惚れたまま、次々と宙を舞っていく。
私はもちろん、李々さんまでもが見惚れていた。
花鶯さんの力だと分かっていても、目をそらせない。思考が働かない。ずっと、彼女を見ていたい。それしか考えられなくなる。
(でも、私はそれだけじゃない)
たとえ力が効いていなくても、今の花鶯さんを見たら、私は目を奪われるだろう。心を奪われるだろう。
笑っているのだ。華やかに、晴れやかに。
この世全てを享受するような笑顔で、楽しそうに舞っている。己の色に染め上げて、思うがままに体を動かしているのだ。
楽しいんだ。力を使うのが。
巫女の使命から、周囲から、過去から。あらゆる重圧から解放されている。
今の花鶯さんは、自由だ。
己が染めた瑠璃色の世界で、心のままに舞っているのだ。
(あぁ…………この笑顔だ)
あの日、私に力を見せてくれた時の笑顔。
私の大好きな、花鶯さんの笑顔。
もっと見たい。見ていたい。
その煌めきに満ちた笑顔から、目を離したくな――――
「それはつまらないな」
後ろから声をかけられた。
その瞬間、糸が切れたように我に返った。
「これが花鶯の力か。対象のみならず、周囲まで無差別に魅了する……なるほど。生真面目な花鶯が使いたがらないわけだ。しかし」
「こ、虹さ――」
「声に出てたぞ。さぞかし、花鶯に心酔しているみたいだな」
「ふぇ!?」
(どこから!? 何を口にしていたの!?)
思わず口を押さえたが、もちろん意味はない。案の定、虹さんに「可愛いやつだ」と笑われてしまった。うぅ……恥ずかしい。
虹さんが前に出て、刀を抜く。
「それはそうと、今のあいつの顔は良い。潰しがいがある」
花のある派手な顔に、不適な笑みを浮かべた。遊び相手が見つかったと言わんばかりに、楽しそうに。
「ほら、あんたらも」
座り込む私たちに、楽しそうな笑みをふっかけてきた。正気を取り戻した李々さんは、毛を逆立てた猫のように睨みを効かせている。
「せっかくの祭りなんだ。他人に呑まれてないで、存分に楽しめ」
挑発的にほくそ笑み、駆け出した。あっという間に虹さんの姿が小さくなる。
「……ちっ、余裕ぶっこいて偉そうに」
李々さんが舌打ちをしながら立ち上がった。
手を差し伸べられ、私も立ち上がる。
「後に続くようで癪ですが、わたしたちも行きましょう。このままじゃあっという間に狩り尽くされ――」
「蛍ちゃん!!」
葉月君の声がした。虹さんが来た方からだ。
振り返ると、葉月君がふらつきながら息を切らしていた。
「けい、ちゃ……だい、じょ……」
「私は大丈夫! むしろ葉月君が息整えて!?」
私が慌てて促すと、葉月君はひざに手をついて立ち止まった。今にも倒れてしまいそうで、気が気じゃない。
「いったい……なにが……さくら、咲いてるし……」
「まったく、次から次へと鬱陶しい」
李々さんが思いっきり顔をしかめた。
「花鶯さまが、力でこの山の猿を集めたんですよ。それで今は、花鶯さまと虹さまの猿狩り合戦中です」
「花鶯さんの、力……?」
「私たちも行きます。説明している暇はないので。貴方様は、そこでぼさっと突っ立っていてくださいまし」
何が気に入らないのか分からないけど、とにかく不機嫌そうだ。葉月君は息を整えるので精一杯なのか、私と同様に慣れているのか、特に気にする様子はない。
「………………僕も、行きます」
葉月君が、顔を上げた。
とくんと、胸が脈打った。私の知っている優しい葉月君とは違う。
戦う男の人の顔だ。
己の全てを賭けてでも勝ちたい。そんな顔をしている。
(葉月君。そんなかっこいい顔、するんだ……)
「蛍ちゃん」
「は、はい!!」
不意に声をかけられ、思わず変な声を上げてしまった。
「最後まで、お互いがんばろう」
葉月君が笑った。
戦う男の人の顔に、いつもの優しい笑顔が花開く。
「…………うん」
頷くと、葉月君が背中を向けて走り出した。
私も行かなくちゃ!
走り出し、刀を抜いた。
刀を振り、猿たちを巻き上げ、走る。無我夢中で動き回る。駆け引きもへったくれもない、早い者勝ちの狂宴だ。
私たちは優勝するために、刀を振るっている。
だけどそんなことなど関係なしに、楽しい。刀から巻き起こる風が気持ちいい。いつまでも踊っていたい。
「――――――あはっ!」
気が付くと、笑っている自分がいた。
踊り舞う喜びが、声となって溢れていく。
試合が終わるまで、私たちはいつまでも踊り続けた。
次回。第二十一話「桜梅桃李 ーおうばいとうりー」
さるひと合戦、終了です。
はたして、どこの組が優勝したのか?
次回は、温泉回となります。
<各話タイトル解説(第十九、二十話)>
【桜花爛漫……桜の花が満開になり、鮮やかに咲き乱れる様子】
今回の花は、花鶯姫や蛍姫など「自分を押し殺してきた者」を指しています。
生きていると大なり小なり、自分を押し殺さざるを得ない。それは異世界だろうと同じだと思います。彼女たちもまた、過去の経験や周囲からの圧によって「自分の好きなもの」を我慢し続けてきました。
それでも、どこかで息を抜かないと苦しいばかりです。
人は生きるために我慢する一方で、生き続けるために「解放」を求めるのではないでしょうか。
彼女たちもまた、無意識のうちに「解放」を求めたことで、互いを見つけることができました。
蛍姫は、花鶯姫の「力」に。
花鶯姫は、蛍姫の「好きな味」に。
互いの「好きなもの」によって、己を解放するに至ったのです。
そして実は、この言葉には「もう一つの意味」も込めています。
ヒントは「葉月に背負われた時の、桜の体温」です。これが何を意味するのかは、温泉回にて描写します。




