新・第41話『零の気だるげな暇つぶし』 ――「守りたい」という感情を、零は初めて知った――
――ギルド本部の地下練習場。
無機質な魔導石の壁に囲まれた、普段は冷たい静寂だけが支配しているはずのソロ専用の広大な空間に、地鳴りのような重い足音が低く響き渡った。
灰色のジャケットのポケットに両手を突っ込み、壁に背を預けて心底ダルそうに突っ立っていた零が、面倒そうにハッと視線を上げる。
防壁の強固なゲートを勝手にブチ破って乱入してきたのは、数日前にギルドの酒場で自責の絶望に押しつぶされそうになっていた自分を救い上げてくれた世界1位の男、剛力モストだった 。
それだけではない。モストの背後には、やり方は違えどすでに自身の戦闘システムを極めつつある、2人の少女の姿があった 。
「ハロー、一ノ瀬零! 君が世界を救う『最速の閃光』としてのワークアウトを始めると聞いてな! 筋肉の曇りを取り払うために、最高の仲間と、訓練内容のすり合わせにやってきたぞ!」
「おつかれん〜。……ってかモスト先輩、頼まれたから来たけどマジでなんなのこの銀髪。スマホで下層の攻略データチェックしてる方が100倍有意義なんだけど。ヒロ君の1億分の1も魅力ないし、マジでお話にならない」
派手なピンクツインテールを揺らす世界2位の愛染恋が、手元のスマホの画面に下層エリアの攻略マップを映し出したまま、 心底気だるげに吐き捨てた 。モスト先輩に頼まれたため、ここに零がいることは最初から百も承知だったが、その佇まいが気に入らないと言わんばかりのぶっきらぼうな態度だった 。
「お初にお目に掛かります、一ノ瀬様。師匠から、貴方が新しい一歩を踏み出されると伺いましたわ。……わたくしも、及ばずながら手助けをさせていただきます」
純白のドレスを気高く揺らす世界3位の白雪琴音が、黒鉄のガントレットの腕を胸の前で交差させて、美しく丁寧な一礼を披露した 。
零は右手は逆手、左手は一花の少し汚れた花柄のテーピングが巻かれた柄を順手に、2本のククリナイフを携えたまま、その場から一歩も動けずに驚愕に身を硬くした 。
何より、零が一番動揺し、 そして胸の奥でひそかに救われたような強い安心感を覚えたのは――自身の肉体に深く刻まれてしまった、あの男女問わず周囲を無自覚に魅力状態にしてしまう常時パッシブの最悪の呪いが、目の前にいる3人には、ただの1ミリも通用していないという絶対的な事実だった 。
「……おい。なんでだよ」
零は首筋をガリガリとダルそうに掻きながら、けれど隠しきれない戸惑いの声をぶっきらぼうに吐き出した 。
「なんで、あんたたちには……俺のこの、気持ち悪りぇ色欲の呪いが、1ミリも効かねぇんだよ……っ」
「は? 何言ってるのよ、本当に自意識過剰でダサすぎ」
恋が初めてスマホから完全に目を離し、零の絶世 美貌を冷めきった瞳で一瞥すると、ふんと鼻で笑った 。
その瞳の奥には、目の前の生きた美男子など一切映っていない
「れんにはね、命よりも大切な、世界で一番大好きな【ヒロ君】がいるの 。 心の中がヒロ君への愛だけで100%埋まってるんだから、あんたの安っぽい色欲の結界なんて、入る隙間なんかどこにもないんだけど。邪魔、消えて」
「ふふ、左様でございますわね」
白雪はそっと自身の銀のガントレットに嵌め込まれた、最愛の戦士のコア結晶を愛おしそうに見つめ、優しく微笑んだ 。
「わたくしの心には、この形見を遺してくれた、生涯ただ一人の愛する想い人【透さん】がいつでも前を走ってくださっています 。あの日の後衛でただ祈るだけだった無力な後悔が、わたくしを前へと突き動かしているのです 。……ですから、一ノ瀬様。 どれほど世界中を惑わす色気の圧であろうとも、わたくしたちの心を揺らすことなど、決してできませんわ」
「はーはっはっはっ!! そしてこの私は、あらゆるバフもデバフも完全に跳ね返す【絶対筋肉障壁】の肉体だからな! 魅力状態など真っ正面から無効化するぞ!!」
モストが豪快に胸板を叩いて大笑いする
「……想い人、かよ。それも、本物の愛か……」
零は、ぽっかりと空いた胸の奥の「零」の空白を自嘲するように、自嘲の笑みを微かに浮かべた 。毎晩、ギルドの飲食スペースで望まれるがままに違う女を抱き、本当の恋も愛も知らずにただ流されるままに生きてきた自分 。
なのに、目の前の少女たちは、大好きなあの人の名前を、胸を張って真っ直ぐに口にし、その想いだけで世界4位の自分の最凶の呪いすらも無力化している 。その絶対的な心の強さに、零は激しく魂を揺さぶられていた 。
「俺には……そんな綺麗な恋なんて、一度も分からねぇよ。……だけどさ」
零は自身の左手のナイフに巻かれた、一花の花柄のテーピングを強く、血が滲むほど強く握りしめた 。
「俺にだって……世界でたった一人、死んでも守りてぇ大切な…友達がいるんだ 。一花っていう、お前うるせぇよって言いたくなるくらい元気で、ピュアな女の子がさ 。顔のことなんか一言も言わずに、この安いククリナイフを『早くて格好いいね!』って笑って褒めてくれた、世界で唯一の、俺の本当の心を見てくれる奴だ 。……あいつを傷つけた男たちの薄汚い性欲にブチ切れたら、この最悪なスキルが顕現しやがった 。……俺は、もう二度と…一花の前で無力なチャラ男のままでいたくねぇんだよ 。一花を救って、また前みたいに笑わせるためなら、俺はなんだってやってやるよ……っ」
ダウナーな仮面の奥にある、彼の剥き出しの執念と、一花への悲痛な本音 。 それを聞いた恋は、フンとそっぽを向きながらも
「……ふーん。その一花って子への執念だけは、少しだけ評価してあげてもいいけど」
とぶっきらぼうに言葉を呟き 、白雪は
「素晴らしい覚悟ですわ、一ノ瀬様。その気高き心、しかと受け止めました」
とガントレットを胸に当てて微笑んだ 。 そして、モストはどこまでも真摯な瞳で零を振り返り、その大きな手を零の肩へと置いた 。
「実に見事な筋肉の輝きだ、一ノ瀬零! 君のその一花という少女を救いたいという執念、しかと受け止めた 。君の覚悟が本物であることは、この私が証明しよう! ……よし、それではさっそく、君が『最速の閃光』となるための、訓練内容のすり合わせを始めようではないか!」
モストの号令のもと、4人は練習場の中央へと集まり、それぞれ穏やかに言葉を交わしながら、今回の合同特訓の役割を明確に割り振っていった 。
「白雪さん、まずはそっちが過剰バフのかけ方と、あの異常なスピードに肉体を馴染ませるための身体の制御を教えてあげてよ。れんは、この銀髪チャラ男がまともに動けるようになってから、遠距離スキルの指向性のコントロールを見てあげるから」
恋がスマホの画面に視線を戻しながら、ぶっきらぼうに特訓の順序を提案する 。
「ええ、恋ちゃんの仰る通りですわ。一ノ瀬様は、血流を暴走させるほどの急激な自己強化バフを扱っていらっしゃいますもの。まずはわたくしが過剰バフの制御を叩き込みますわ」
白雪も優しく微笑みながら、恋ちゃんへと視線を返した。お互いの得意分野をプロフェッショナルとして理解し合う、自然で頼もしい2人の天才の協力体制がそこにはあった 。そしてモスト自身が、あらゆる攻撃をその生身で受け止める『無敵のサンドバッグ』となる。
「……わかったよ。そこまでお膳立てされちゃ、逃げるわけにはいかねぇな」
零は首筋をガリガリと掻き、モストを見上げてぶっきらぼうに笑った 。
「――よろしく頼むわ、旦那」
恋を知らない少年が、初めて本物の愛と師匠の温もりに触れた瞬間 。 世界4位【最速の閃光】と呼ばれる本当の怪物のハジマリとなる、地獄の、けれどどこまでも気高き合同特訓の幕が、今まさに切って落とされるのだった 。




