新・第40話『零の気だるげな暇つぶし』 ――本物の強さは、制御から始まる――
――速さだけでは、大切な人のもとへ辿り着けない――
地下練習場の魔導石で作られた無機質な空間に、荒い呼吸音だけが響いていた。
「……はぁ……っ」
一ノ瀬零は、膝に手をつくこともなく、ただ真っ直ぐ立っていた。
しかし、その身体は明らかに限界へ近づいていた。
零の全身から白い湯気が立ち昇る。
ドクン。
ドクン。
まるで身体の内側に別の生物が宿っているかのように、心臓が激しく脈打ち、肌は熱を帯び、赤く染まっている。
首筋には浮き上がった血管が走り、その一つ一つが異常な速度で血液を送り続けていた。
「……はぁっ……はぁっ……」
息を吐くたび、熱気が揺らめく姿を見つめる三人の表情は、それぞれ違っていた。
モストは真剣な眼差しで、愛染恋は、いつものようにスマホを操作しているように見えて、その視線だけは零から離していない、そして白雪琴音は、かつて仲間を守れなかった少女を見るような、静かな瞳で零を見つめていた。
「……一ノ瀬様」
琴音はゆっくりと歩み寄る。
「なんだよ」
「少し、失礼いたしますわ」
琴音は零の手首へそっと指を添え、数秒の間静かに脈を確認する。
「……やはり」
「何が分かったんだよ」
琴音は手を離し、優しく微笑んだ。
「一ノ瀬様」
「貴方は、ご自身の性欲を触媒として、血流と体温を無理やり上昇させ、その熱量を身体能力へ変換していらっしゃいますわね」
零の瞳がわずかに揺れた。
「……そこまで分かるのかよ」
「ええ」
琴音は静かに頷く。
「心拍数を極限まで引き上げ、全身へ大量の血液と魔力を送り込むそして、筋肉と神経を、一時的に通常では不可能な領域まで動かす」
一つ一つ確認するように言葉を重ねる。
「理論だけを聞けば、非常に合理的な身体強化ですわ、ですがその代償が大きすぎます」
「貴方は今、ご自身の心臓へ命令しています、もっと速く鼓動しろ、もっと血液を送れ、もっと身体を動かせ、もっと限界を超えろ」
琴音は零の腕を見る。
「肉体の全てへ、休む暇なく命令を下し続けている状態ですわ」
この力が、自分の身体を削っていることなど。最初から分かっている。
「……これしかねぇんだよ、俺のスキルはこうやって身体を無理やり動かすしかねぇ」
その言葉に、琴音は首を横へ振った。
「いいえ、危険なのは、スキルではありません、使い方です」
地下練習場が静まり返った。
「わたくしも、昔は同じでした」
琴音は自身の黒鉄のガントレットへ視線を落とす。
「透さんを守りたいその気持ちだけで、自分の限界を考えずに戦っておりました」
優しい声だが、その奥には消えない後悔があった。
「攻撃するたびに腕の骨は砕けました、脚も何度も壊れました、それでも前へ出ました。守りたい方がいたから」
一花名前が胸をよぎり、 零の表情がわずかに変わる。
「ですが……それでは長く戦えません。守りたい方のもとへ辿り着く前に、自分自身が壊れてしまえば結局、何も守れませんもの」
零は花柄のテーピングが巻かれたククリナイフを見る、一花が笑いながら巻いてくれたもの。『零くん、これなら絶対なくさないよ!』そう言っていた顔が浮かぶ。
「一ノ瀬様、わたくしが最初に教えることはもっと速く動く方法ではありませんその熱を支配する方法です」
零は目を細める。
「熱を……?」
「ええ、性欲という炎は貴方が嫌悪しているものであったとしても、確かに貴方の中に存在する力です。消す必要はありません」
零の指が少し動く。
「ですが、一瞬で燃え尽きる炎ではなく最後の最後まで燃え続ける炎へ変えなければなりません」
琴音は微笑む。
「それが、本当の身体強化ですわ」
しばしの沈黙。
「はーーっはっはっはっ!!」
豪快な笑い声が地下練習場に響き渡った。
「実に素晴らしい説明だ、白雪琴音!筋肉も同じだ!一瞬だけ膨れ上がる筋肉よりも!最後まで戦い続ける筋肉こそが、真の強さなのだ!!」
零は思わず呆れた顔をする。
「筋肉に例えるなよ」
「なぜだ! 分かりやすいだろう!」
「分かるけどよ……」
そのやり取りを見ながら、恋は小さくため息をついた。
「ほんと暑苦しいんだから」
そう言いながらも、口元は少しだけ緩んでいた。
そしてスマホを操作したまま、零を見る。
「つまりさ、銀髪チャラ男はずっと充電100%でゲーム起動しっぱなしのスマホみたいなものなの」
「……は?」
「最初は強いよ?でも、ずっと最大出力ならすぐ電池切れるでしょバッテリー管理くらい、ちゃんと覚えてよね」
零は一瞬黙る。
「……言い方はムカつくけど否定できねぇ」
左手のククリナイフを握り直す。
速さだけじゃ足りない力だけでも足りない一花の場所へ辿り着くためには最後まで走り続けられる力が必要だ。
「……もう一回だ」
顔を上げる。そこには、焦りに支配された顔ではなく初めて、自分の力を理解しようとする意思があった。
琴音は小さく微笑む。
「ええここからが、本当の修行の始まりですわ」
地下練習場に、再び足音が響く。最速の閃光そう呼ばれる少年は。
ただ速いだけの存在から本当に守るために走り続ける存在へ少しずつ変わり始めていた。




