新・第14話『その少女、激重』――スラム街の暗闇。――
――ドローンの高性能カメラは、ただ静かに、暗いダンジョンの片隅で床に座り込み、涙を拭っている恋の横顔を映し出している。
配信画面の向こうにいる億の視聴者には決して見えない、彼女の剥き出しになった記憶の奥底。
そこには、まだ派手なピンクブロンドの髪をツインテールに結ぶ前、全身が泥と垢にまみれていた幼少期の、暗く冷たい原風景が鮮明にフラッシュバックしていた。
◇
世界にダンジョンが発生してからというもの、人類はその莫大な利益に沸き立ち、地上には急激な発展の光がもたらされた。しかし、光が強くなればなるほど、その裏に生まれる影もまた、深くどす黒く肥大化していく。
大人の利権争い、敗北した冒険者たちの成れの果て、そして社会から溢れ出たあらゆる負債が投棄されるゴミ捨て場
――それが、恋の生まれ育った日陰のスラム街だった。 生きるために他人の食べ物を盗み、泥水をすすり、暴力と罵声が二十四時間絶え間なく飛び交う地獄のような環境。
当時、まだ幼かった恋には、明日を生きるためのパンの一片も、自分を抱きしめてくれる大人の温もりも、何一つとして存在しなかった。
それどころか、生まれ持った異質な「ピンク色の髪」のせいで、周囲の薄汚れた大人たちからは
『気味が悪い化け物のガキ』
『不吉の象徴』と罵られ、石を投げつけられる毎日だった。 誰からも名前すら呼ばれず、ただの生きたゴミのように扱われ、ただ冷たいコンクリートの地面に丸まって夜の寒さに耐えるだけの灰色の世界。私は誰にも必要とされていない。
私が明日死んでも、世界は何も変わらない。そうやって、幼い恋の心は完全に凍りつき、感情すらも摩滅しかけていた。
『――うわっ、なんだお前! ピンクの髪なんて初めて見た!』
そんなある日の、血のような夕暮れ。大人の激しい抗争に巻き込まれて家族を失い、ボロボロになりながらスラムの路地裏へと逃げ込んできた一人の男の子が、恋の姿を見て、驚いたように目を丸くした。
男の子の名前は、ヒロ。
『……変な、髪の毛? ごめんなさい……』 激しい恐怖から、恋が自分の頭を両手で隠し、その場に小さくうずくまろうとした時だった。
ヒロは慌てて首を振ると、ズカズカと泥を踏み鳴らして近づき、恋の手を優しく取って、夕日のように眩しい笑顔を向けたのだ。
『違うよ! 変なんかじゃない! すっごいきれいだ! 桜の花みたいで、めちゃくちゃ可愛いよ、お前!』
可愛い。きれい。 生まれて初めて、自分という存在を真っ正面から見つめ、肯定し、優しい言葉をくれた人間。 その瞬間、恋の灰色の世界に鮮烈な色彩が一気に流れ込み、彼女の胸の奥が、生まれて初めて「キュン」と、壊れてしまいそうなほどの熱量で激しく跳ね上がった。
あの日から、恋はヒロに恋をした。彼だけが、恋にとって生きる意味になり、世界のすべてになった。彼に必要とされることだけが、恋の乾ききった魂を潤す唯一の救いだった。
ヒロは、毎朝ぼさぼさになった恋のピンク色の髪を、不器用な手つきで結び直してくれた。
「じっとしてろって。右と左がぐちゃぐちゃになるじゃん」
「えへへ……ごめん」
「よし、できた!」
夕日の光を受けて揺れる二つ結びを見て、ヒロは満足そうに笑う。
「やっぱり恋はツインテールが一番似合うな。」
その一言が嬉しくて、恋は鏡なんてなくても何度も髪に触れた。
だから今でも彼女は、あの日と同じようにツインテールを結び続けている。
それから数年が経ち、スラムのボロ小屋で互いに身を寄せ合って、少しだけ大きくなったある日のこと。恋は、いつも自分のために他の不良たちと怪我をしてまで食料を奪い合ってくれるヒロに、どうしても何か素敵なプレゼントをしたかった。
いつも貰うばかりの自分が、彼を笑顔にできるような、そんな贈り物を。 スラムの子供が、ちゃんとした綺麗な店でプレゼントを買うための大金を手に入れる方法なんて、この世界には一つしか存在しない。
前の日の夜。
「恋、これ見ろ。」
ヒロは商店街のガラス越しに、小さな桜色のヘアゴムを指差した。
「いつかちゃんと金を稼げるようになったら、あれ買ってやるよ、絶対似合うぞ。」
「……ううん。」
恋は首を横に振った。
「今度は、れんがヒロにプレゼントしたい、だっていつも貰ってばっかりだもん。」
ヒロは少し照れくさそうに笑った。
「じゃあ楽しみにしてる。」
恋はヒロに内緒で、一人、街の境界に口を開けるダンジョンの第1階層へと足を踏み入れた。落ちている宝石の欠片や、魔物の素材を少しでも拾って、ギルドの換金所に売るために。
だが、ダンジョンの現実は、スラムの過酷さよりも遥かに非情だった。 薄暗い粘着質な空気の中、スラムの痩せ細った子供の腕では、最下層に蠢く最弱の魔物『ゴブリン』が一匹、ニタニタと下卑た笑みを浮かべて迫ってくるだけで、呼吸が完全に止まるほどの絶望的な脅威だった。
緑色の醜い怪物が、鋭く錆び付いた刀を掲げて迫ってくる。
「いや……来ないで、来ないで……っ」
恋はあまりの恐怖に足がすくみ、冷たい石床の上でガタガタと小刻みに震え、逃げることすらできずにただ涙を流して目を瞑ることしかできなかった。
死の刃が振り下ろされる、その絶望の刹那。
『――恋ッ!!!!』
ダンジョンの壁をかき消すような、必死の、引き裂かれるような悲鳴が響き渡った。 恋が驚いて目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、恋がいないことに気づいて死に物狂いでダンジョンへ飛び込んできたヒロの姿だった。
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