新・第12話『慈愛の重戦車、消える』【後編】:『大氾濫(スタンピード)の絶望!教え子たちの叫びに応えて再び立ち上がれ』
世界リアルタイム視聴者数第1位の配信者が画面の向こうから姿を消してからも、地上の日常は何事もなかったかのように回っていた。
表舞台から身を引いたモストは、かつてのようにカメラドローンを従えることもなく、静かで、どこか寂しい日々を送っていた。 ネットの海の底で激しい拒絶の言葉を浴び、深く傷ついたはずのモスト。
しかし、彼の胸の奥にある『慈愛』の炎は、1ミリも衰えてなどいなかった。 ダンジョンに潜らなくなっても、彼は相変わらず街の片隅のジムで黙々とバーベルを上げ、筋肉の声を聴き、そして街を歩けばいつも通りに身体を動かしていた。
重い荷物を抱えて階段の前で立ち往生しているお年寄りを見ければ、大真面目な顔で「素晴らしい下半身の負荷トレーニングですね! お手伝いしましょう!」と荷物ごと軽々と担ぎ上げ、迷子になって震えている小さな子犬がいれば、ゴツくて大きな両手で壊れ物を扱うように優しく包み込んで飼い主を探してあげる。 本人は至って大真面目に、いつもの陽気な笑顔のままで、カメラの回っていない地上で人助けを続けていた。
そして、実際に命がけで地の底を這い回っている本物の『探索者』たちは、誰一人としてモストを非難する者などいなかった。ネットで騒いでいるアンチの大半は、安全な部屋の椅子からデスゲームを消費しているだけの一般人だ。モストの圧倒的な強さと、その筋肉の盾に秘められた本物の高潔さを誰よりも理解しているのは、現場の冒険者たちだったのである。
だからこそモストは、探索を辞めた今でも、お腹が空けばいつものように冒険者ギルド『東京本部』の広大な飲食スペースを訪れていた。彼はいつものボロい丸椅子に腰掛け、大好きな特大チキンステーキを頬張り、手慣れた手つきでプロテインを飲んでいた。
「なぁ、モストの兄貴。本当に戻ってくる気はねえのかよ。ネットの有象無象が何と言おうが、俺たちはみんな兄貴の帰りを待ってるんだぜ。兄貴のいない中央の大画面なんて、締まりがなくてつまんねえんだよ」
隣の席の馴染みの冒険者が、ジョッキを片手に心底寂しそうに声をかける。
「そうですよ、モストさん。ギルド長も、私たち受付の職員も、みんなあなたの復帰を願っています。あの理不尽な炎上なんて、一部の悪質な奴らが数字欲しさに煽っているだけです。お願いですから、もう一度ドローンを持って、あの圧倒的なモストマスキュラーを世界に見せてやってください」
深刻な顔をしたギルド職員の女性も、モストの席の横を通りかかるたびに足を止め、熱心に、何度も頭を下げて復帰を請うていた。
だが、モストはいつも、彼らの気持ちに心から感謝しながらも、包み込むような優しい笑顔のまま、静かに首を振るのだった。
「ハハハ、みんな、毎日のように温かい声をかけてくれて本当にありがとう。だがね、私は今の静かな筋トレ生活も心から気に入っているんだ。画面の向こうのガイズも、私という不快な存在がいなくなって、今は新しい別の楽しい娯楽を見つけて笑顔になっているだろう? 誰かが傷つけ合うこともなく、みんなが楽しく笑っていられるなら。……うん。これでいいんだよ」
本気で世界の平穏を願い、自らが身を引くことで歪んだエンタメのバランスを保とうとする聖人。
――しかし。世界が最高の『娯楽』として無邪気に消費していたダンジョンという名の異界は、そんな彼らの平穏を、あざ笑うかのように無慈悲に打ち砕いた。
――ウゥゥゥゥゥンッ!!! ギィィィィィンッ!!!
突如として、ギルド公式本部の全館に、過去三十年の歴史の中でも一度として鳴り響いたことのない、鼓膜を裂くような最大音量の『超非常事態警告』のサイレンが狂ったように激しく鳴り響いた。
飲食スペースで酒を飲んでいた何百人もの冒険者たちの動きがピタリと止まり、誰かがジョッキを床に落としてガシャーンと砕ける音が響く。ギルド全体の空気が、一瞬で恐怖で凍りついた。
壁一面に設置された巨大スクリーンの数千のチャンネルが一斉に激しい砂嵐に包まれ、次の瞬間、血の凍るような映像が、すべての画面をジャックするように映し出され始めた。
『ひ、ひええええっ!? なんだよこれ! 魔物の数が、数が多すぎる!!』
『通路が全部埋まってる! 下層、いや深層の魔物までが一斉に地上を目指して駆け上がってきてるぞ!!』
三十年の歴史の中でも数回しか起きていない未曾有の大天災――『大氾濫』の発生だった。 ダンジョンの防衛線を張っていたギルド公式の精鋭警備隊が一瞬にして肉の壁へと変えられて食い破られ、画面の向こうでカメラドローンが次々と血飛沫と共に破壊され、暗転していく。
安全な場所から楽しむ最高の『娯楽』として消費されていた生放送の画面は、一瞬にして、人間の生々しい死と絶望をリアルタイムで垂れ流す、本物の不気味な『監視カメラ』へと逆戻りした。
「嘘だろ……全滅する……中層の連中、みんな死んじまうぞ……!!」
「誰か、誰か助けてくれえええッ!! トップランカーのパーティはどこにいるんだ!?」
ギルドの酒場にいた冒険者たちが、恐怖に顔を歪めながら、ガタガタと震える手で画面を見上げる。
その時だった。 中央の超巨大スクリーンに、ある一つのパーティの映像が自動的に拡大されて映し出された。 モストの教え子たち
――【シャイニング・スターズ】だった。
深層から駆け上がってくる数千、数万の魔物の大群。その圧倒的な絶望の濁流を前に、彼らはボロボロになりながらも、信じられないほどの闘志で最前線に踏みとどまっていた。
驚くべきことに、彼らは空中に浮かぶカメラドローンの方など、ただの1ミリも、一度たりとも目を向けようとはしなかった。
「引くな! 構えろ! 教官の言う通り、カメラを見るな! 目の前の敵だけを見ろ!!」
少年リーダーが血塗れの顔で、牙を剥く魔物を真っ直ぐに睨みつけ、咆哮する。
「隣の仲間の顔を見ろ! 生きて地上へ帰るんだ!! おおおおおおッ!!」
彼らは知っていた。自分たちの実力では、この数の暴力を前に、遠からず力尽きて死んでしまうということを。 それでも、モストから教わった
「本物の冒険者の誇り」が、彼らの足を一歩も後ろへ引かせなかった。
カメラの前で見栄を張るためではない。この街を、地上の大切な人々を守るために、彼らは泥をすすり、血を流しながら、死に物狂いで武器を振るい続けていたのだ。
その気高き、命をかけた後ろ姿。 画面を一切意識しない彼らの「本物の戦い」は、同じエリアにいた他の冒険者たちの魂に、激しく火をつけた。
『クソッタレが! 若造どもがあんなに踏ん張ってんだ、俺たちが逃げられるかよ!』
『この街を、地上を絶対に守るぞ! 防衛線を再構築しろ!!』
他の配信者たちも次々とシャイニング・スターズの横へと並び、肉の壁となって魔物の海へと突撃していく。画面の向こうで繰り広げられる、泥臭く、しかしあまりにも美しい、命と命のぶつかり合い。
浮遊ドローンは、そんな彼らの死闘を、ただ背後からありのままに、静かに映し出し続けていた。
少年リーダーが大剣を振るい、迫り来る魔物の腕を叩き切る。激しい衝撃で彼の武器がひび割れ、限界が近づく。 少年は、目の前の魔物を狂暴に睨みつけたまま、涙と血の混じった声で、地の底から叫ぶようにその名前を呼んだ。
「教官……っ!! 俺たち、約束を守って戦ってるよ……っ!! だから、だから届いてくれ……ッ!!」 少年は一度もカメラを見ない。ただ目の前の咆哮する魔物の大群へ向かって、心の底からの叫びをぶつける。
「俺たちに必要なのはスパチャじゃない……ッ!! 画面の向こうの言葉でもない!! 教官……あなたの、あなたの一緒に戦ってくれる本物の筋肉の盾なんだよおおおッ!!! 助けてくれ、モスト教官んんんんッ!!!」
魔物を睨みつけながら少年が放った、魂の、絶望の叫び。 その姿を映し出す配信のコメント欄は、かつての炎上など完全に消し飛ばすほどの、世界中の大衆の涙と、激しい後悔の叫びで埋め尽くされた。
『……カメラを一度も見ずに戦ってる。あいつら、本物の冒険者だ……っ!』
『俺たちが間違ってた! 画面の向こうで数字を煽って、ただ消費してた俺たちがどれだけ醜かったか……っ!』
『兄貴!! 頼む、戻ってきてくれ!!!』
『みんなを、あの最高にかっこいい教え子たちを助けてくれ、慈愛の重戦車!!!』
『スパチャ¥1,000,000:これで何でも買ってくれ! だから、彼らを救ってくれええええッ!!!』
かつて彼を拒絶し、誹謗中傷の言葉を投げつけた世界中の大衆が、今度は画面の向こうで涙を流し、一人の男の名前を必死に叫んでいた。
モストはフォークを置いたまま動かなかった。
もう二度と画面の前には立たないと決めた。
もう誰も傷つけたくなかった。
それでも。
モニターの向こうでは、教え子たちが一度もカメラを見ず、自分の教えだけを信じて戦っている。
「教官」
その一言だけで、胸の奥にしまい込んでいた何かが、音を立ててほどけた。ギルドの片隅。 モストはゆっくりと、持っていたフォークを皿の上に静かに置いた。
彼の脳裏に、津波のように一気に押し寄せてきたのは、これまでの全ての、温かい記憶だった。配信をするたびに「兄貴最高!」と画面を埋め尽くすように流れていた、沢山のファンたちの好意あるコメント。
毎日「いい筋肉だ!」と笑顔でキャベツを放り投げてくれた商店街の温かい人々。
「一生忘れません!」と涙を流して逞しく卒業していった、あの若手たちのまっすぐな表情。 そして、活動を休止してアンチに叩かれていた間も、毎日のように「戻ってきてくれ」と変わらぬ温かい声をかけ続けてくれた、隣の冒険者やギルド職員たちの優しい顔。
そして何より――。 あの夕暮れの路地裏で、かつての弱く、泣いていたヒョロヒョロだった自分自身の姿と完全に重なった、ジャージ姿で500円玉を握りしめ、お母さんにお土産を買うんだと笑っていた、あの小さなお嬢ちゃんの姿。
(……画面の向こうに、私のために涙を流してくれる人はいないかもしれないと思っていた。だが、私の目の前には、私を信じてくれた、こんなにも愛すべき大切なガイズが沢山いるじゃないか……!)
あの日のいじめられっ子の少年は、何のために狂ったようにバーベルを握り続け、世界最強の肉体を築き上げたのか。 画面の向こうの数字を稼ぐためではない。 今、絶望の淵でカメラを無視して誇り高く戦っている、大好きなみんなをその肉体で守り抜くためだ。
「――ガイズ。どうやら、我が筋肉の本当の出番のようだな」
モストはゆっくりと、地鳴りのような重厚な音を立ててその場に立ち上がった。 フードを脱ぎ捨て、あの陽気で、しかし誰よりも頼もしい不敵な笑みを、キラリと白い歯と共に浮かべる。
彼は近くにあったギルド公式の予備のドローンを強引に起動させると、カメラに向かって、世界中に届くように叫んだ。
「みんな、心配はいらない! 君たちの命の盾(筋肉)は、今からそこへ向かう!
――モーストォォ・マスキュラァァァアアップ!!!」 ――バシィィィィィンッ!!!
ギルドのエントランスのただ中で、夕日よりも熱く燃え上がる完璧なマッスルポーズが炸裂する。その圧倒的な背中が、ギルドの照明を反射して黄金色に輝き、大画面を通じて世界中の絶望を希望へと塗り替えていく。
カメラを見るな、現実を見ろ。その教えを完璧に体現してくれた誇り高き弟子たちを、今度は師がその無敵の背中で包み込む番だ。
世界一まともで、気高い『慈愛の重戦車』の、本当の戦いがここから始まる――!
「続きを読みたい!」と思ってくれた君!
その気持ち、ブックマークで俺に届けてくれ!
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感想も大歓迎だ!
さあ、一緒に筋肉を鍛えよう!!




