新・第11話『慈愛の重戦車、消える』【前編】:『悪意ある切り抜きと大炎上。俺が居なくても、世界は大丈夫なんだ』
「教官! 本当に、本当にありがとうございました……っ!」
「俺たち、教官に教えてもらった『画面を見るな、現実を見ろ』っていう命の約束、死ぬまで絶対に忘れません!」
ダンジョン中層エリア、薄暗い岩肌に囲まれた臨時の訓練キャンプ。
最終日の夕暮れ時、天井の亀裂から差し込む細いオレンジ色の光が、広場を静かに照らしていた。
【シャイニング・スターズ】の若手たちは、ボロボロに汚れた装備のまま、しかし見違えるほど逞しく引き締まった顔つきで、大粒の涙を流しながらモストを囲んでいた。
初日はモストの容赦のない筋肉理論に白目を剥き、泥のように這いつくばって弱音を吐いていた若者たち。しかし、彼らはこの数日間、モストの背中を見続けてきた。罠をその身で受け止め、襲いかかる魔物を自らの肉体だけで圧殺し、何より、新人の自分たちの命を誰よりも最優先で守り抜いてくれた、その絶対的な背中を。
カメラ映えの数字(同接)ばかりを追いかけ、他人の視線という名の毒に侵されていたハリボテの『配信者』だった彼らは、モストとの過酷で、しかし温かい日々の果てに、本当の『冒険者』としての誇りと、生き残るための生存技術――『心のバルク』を完全に手に入れたのだ。
「ハハハ! よくここまでついてきてくれた、ガイズ! 初日のあのヒョロヒョロだった大胸筋が、今や見事なナイスバルクに育っているじゃないか! 君たちのその強い心があれば、もう深層のどんな凶悪な魔物が現れても、決して怯むことはない!」
モストは豪快に笑いながら、若手たちの肩を一つ一つ、ゴツくて大きな手で優しく叩いていく。叩かれるたびに、若手たちは嬉しそうに、しかしどこか名残惜しそうに涙を拭った。
「さあ、未来の偉大な冒険者たちの自立に、そして素晴らしい筋肉の明日に――プロテインで乾杯だ!」
モストが掲げた特大のシェイカーポッドに合わせ、若手たちも笑顔でそれぞれのプロテイン入りのジョッキをぶつけ合った。
若者たちが本当の意味で自らの命の重さを知り、自分の足で力強く歩き出す背中を見届けること。それこそが、モストにとって何よりも誇らしく、何よりも嬉しい、特別教官としての最高の『神回』だった。
◇
キャンプが完全に終了し、若手たちがそれぞれの家路へとついた頃。
今回のマッスルキャンプの様子を収めたギルド公式の配信アーカイブや、ネットのSNSのタイムラインには、当初、モストへの絶賛の声が溢れかえっていた。
『やっぱりモストの兄貴は最高だわ。若手たちの顔つきがマジで変わった』
『「カメラのために命を捨てるな」ってセリフ、全配信者が義務教育で聞くべき名言』
『強さだけじゃなくて中身まで聖人とか隙がなさすぎる』
しかし、世界中のファンが感動の余韻に浸る中――その平和なタイムラインの片隅に、ぽつぽつと、不穏な『悪意の種』が植え付けられ始めた。それは、ほんの一部の、ひねくれた視聴者による、些細なつぶやきからだった。
『でもさ、モストのあのセリフ「画面の向こうの人間は君たちが死んでも明日の娯楽を探すだけ」って、ちょっと言い過ぎじゃね?』
『確かに正しいんだけど、なんか俺たち視聴者のこと「冷酷な化け物」みたいに言われてる気がしてモヤモヤするわ』
『スパチャ投げて応援してやってるのに、上から目線で全否定された気分。何様のつもりなんだろ』
最初は、数千、数万の絶賛のコメントに埋もれるほどの、取るに足らない小さな違和感の吐露に過ぎなかった。
だが、ネットの闇は、その小さな火種を見逃さなかった。大衆の「数字が取れるなら何でもする」という歪んだ娯楽の性質を利用し、特定の悪質なまとめサイトやインフルエンサーたちが、その些細な不満を意図的にピックアップして燃料を投下したのだ。
【悲報】世界1位のトップ配信者モスト、視聴者を「冷酷な人間」と全否定して物議。ネットでは「金を払っているファンを侮辱している」との声も。
悪意を込めて歪められた『切り抜き動画』がネット上に拡散されると、それまで深く考えていなかった一般の視聴者たちの間にも、ジワジワと同調の圧力が広がり始めた。
二十四時間、他人の命がけの冒険を最高の『娯楽』として安全な場所から消費していた大衆にとって、モストの言葉はあまりにも鋭すぎた。一番突かれたくない人間の本質を真っ正面から突かれた人々は、自らの後ろめたさを隠すために、次第に防衛本能的な怒りを燃え上がらせていく。
『……言われてみれば、確かにムカついてきた。俺たちがデスゲームを消費する化け物だってか?』
『モストっていつも「ガイズ」とか言って親しげにしてたくせに、本心では俺たちのこと見下してたんだな』
『若手を助けたからって調子に乗りすぎだろ。ただの筋肉バカの癖に偉そうに上から目線で説教すんな』
『そうだ』
『間違いない』
『俺もそう思ってた』――。
同調する声が雪だるま式に膨れ上がり、ぽつぽつと目立っていただけの悪意のコメントは、わずか数日のうちにネット全体を真っ黒に染め上げる大炎上の濁流へと姿を変えた。
かつて彼を「兄貴」と慕っていたはずの画面の下部は、今や見るに堪えない罵詈雑言の嵐へと変貌していく。
『スパチャ返せよ筋肉勘違い野郎。お前が消えても、代わりの娯楽なんていくらでもいるんだよ』
『もうお前の黒光りも見たくないわ。今すぐ配信引退しろ』
◇
ギルドの個室。
モストは配信画面を開く。
コメントは高速で流れている。
『消えろ』
『スパチャ返せ』
『もう見る価値ない』
モストは静かに画面を閉じる。
しかし数分後。
「……もしかしたら、落ち着いたかもしれない」
そう呟いて、もう一度だけ開く。
だが、
さらに酷くなっている。
モストは何も言わず、
また画面を閉じる。
―――数日後
モストは配信ボタンを何度も開いては閉じた。
「今日は謝ろうか。」
「いや……また誰かを傷つけるかもしれない。」
そう呟いて、指は最後まで『配信開始』を押せなかった。
もちろん、配信画面のコメント欄やSNSには、モストの真意を理解する古参のファンたちが、必死に彼を守ろうと擁護のコメントを打っていた。
『目を覚ませよお前ら! 兄貴は本気で、これ以上ダンジョンで死ぬ若者を見たくないから言ったんだぞ!』『悪質な切り抜きに騙されすぎだろ! 叩いてる奴らは恥を知れ!』
だが、狂気的な同調圧力に支配されたネットの数の暴力は、それらの温かい声を冷酷に押し流し、ファンとアンチの間で泥沼の罵り合いを発生させた。自分のせいで、大切なリスナーたちがネットの海の底で激しく傷つけ合っている。
また違う日のギルドの静かな個室。
受付嬢のひよりがそっと扉をノックする。
「モストさん……少し休まれませんか?」
「食事も……昨日からほとんど召し上がっていませんよね……。」
モストはいつもの笑顔で答える。
「ありがとう。」
心配そうな顔をしながらひよりは部屋を出る。
モストは一人、返却されたドローンのモニター端末に流れる、無数の拒絶の言葉と、激しい争いの様子を、静かに見つめていた。
彼は、自分を叩くアンチたちを1ミリも恨まなかった。「みんな、怒らせてしまってすまない」と、むしろ申し訳なさそうに、ひっそりと眉を下げていた。
だが、どこまでも心優しく、誰のサポートも受け付けない孤独な『究極の単体』として生きてきた彼だからこそ、自分の存在が、世界中のガイズをこんなにも不愉快にさせ、大切なファンにまで悲しい思いをさせているという事実に、モストの心は深く、深く血を流していた。
(……画面の向こうのガイズは、私を見て、こんなにも悲しみ、怒っている。私の筋肉の情熱が、世界中をこんなにも不快にさせ、争いを生んでしまっていたんだな)
モストはそっと、自分の大きな大胸筋に手を当てた。 他人の手を傷つけないために、一人で潜り続けてきた地の底。なのに、自分の言葉が、画面を通じて結局は無数の人々を傷つけている。
「私が大画面に映ることで、みんながこんなに苦しむのなら……もう、私がそこにいる必要は、ないんだな」
モストは穏やかに、しかしどこまでも切ない笑顔を浮かべた。
「みんなが私の言葉に縛られず、また元の穏やかな娯楽として、楽しく笑っていられるなら。……うん。私が居なくても、世界はもう大丈夫なんだ」
その日を境に、世界リアルタイム視聴者数第1位を独走していた伝説のチャンネルは、忽然と姿を消した。
モストは随行カメラドローンをギルドの管理課へ静かに返却し、一切の釈明も、引退の挨拶すら残さず、静まり返った世界の娯楽の表舞台から、完全にその身を引いたのだった。
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