第六話 後半 『出来損ない』のヒーロー
「なぁ!メガネ!」
パチパチ炎が草に広がり、2人を追って来ている。
レイはナイフを持ったままヒイロに抱えられている。暴れようにも「危ない!」と力尽くで抑えられた。逃げ出せない。
「俺はここからどうすればいいんだ?あそこから飛び降りれば良いのか?」
そう言って前方の崖を指差す。
(そんなわけないだろ!)
「……返事がないな」
「よし!飛び降りればいいんだな!」
「ッんなわけねぇだろ!」
思わず叫んでしまった。ヒイロは嬉しそうにこちらを見る。
「なら、どうすればいいんだ?」
「俺を降ろせ!」
「ダメだ!」
危ないだろと首を振られる。
「……普通に走れよ」
「了解した!」
右に逸れ、炎のスレスレを走り始めるヒイロ。炎の熱がヒリヒリと肌を突き刺す。思わず目を瞑る。次の瞬間。
バシャンッ。
飛び込むような音と共に全身が冷やされた。
反射的に目を開く。膝ほどの深さしかない川が、透明な水を絶え間なく流していた。ヒイロは川の中央から浅瀬へ歩き、壊れ物でも扱うようにレイをそっと降ろした。
「よし!もう大丈夫だ!」
レイは肩で息をしながら膝に手をついた。
ガコッ!
ヒイロの膝の辺りを狙って蹴り付ける。
「うおっ!」
よろめくヒイロ。レイは急いで逃げようとするが、足元の丸石が滑り、踏ん張りが利かない。それでも足を動かし、川から離れる。そのまま地面を蹴り、走り出す。
(いや待て)
ゆっくり振り返る。
ピタリと足を止めたヒイロは、ただこちらを見つめている。
……そう思った。
レイが一歩下がる。
ヒイロも、一歩だけ距離を詰めた。
『本当は見守るだけだった……』
(コイツ、ずっと付けてるんじゃ……?)
(洞窟を出た時から、ずっと)
レイは足を止め、ツカツカとヒイロの方へ歩き出す。もちろん、ナイフを握りしめて。
(逃げても追いつかれる)
(だったら聞きたいことを聞いた方が早い)
「お前、何が目的なんだ?」
一定の距離を保ちながらナイフを突きつける。
「目的?ずっと言ってるじゃないか!俺は君を助けたい!だって俺は……」
「わかった。黙れ」
質問を続ける。
「あのナギリとか言う男とは知り合いなのか?」
「なぎり……知らないと思う。でも、あの人は俺を知ってるみたいだったな」
ヒイロは顎に手を当てる。
「失礼なやつだよな『出来損ない』なんてさ」
そう言って笑う。けれど、その笑顔は少しだけぎこちない気がした。
(……知らないのは本当らしいな)
(ナギリの言っていた『鏡』。それから、出来損ない?)
まだ少し痛む首元。そして目に映るヒイロの首の傷。
(昨日のコイツ……破砕音……)
「……鏡」
(全部、鏡から始まった)
レイはナイフをゆっくり持ち上げた。刃に陽色の瞳が映る。あと数ミリ。
「お前、覚えているか?自分が吊るされた場所」
「……わからないな!」
ニコッと笑うヒイロ。
「でも、村の場所は覚えてるぞ!」
誇らしげに胸を張る。
「……村?」
「あれ?言ってなかったっけか?俺は近くの村の人に捕まったんだ!そんで……吊るされた!」
「……」
ヒイロは目の前に突きつけられたナイフを見つめる。
「案内しようか?」
目を細め、唇を噛む。照りつける太陽の光が嫌に眩しい。
「要らない」
「でも困ってるんだろ?」
「……言わないとわからないか?自分が何したのかもう忘れたか」
「ああ!俺が怖いってことか?なら大丈夫だ!」
ヒイロは一歩前に出る。
ーー笑いながら。
グチャリ。
嫌な音がした。ボトボトと落ちる赤い液体。手に持つナイフに重みが増える。
「な、に……」
ぎこちなく笑う、顔の半分が赤に染まった男。
「少し……ずれちゃったな」
男の眼球のすぐ下にナイフが突き刺さっていた。何を言っている、いや、何をした?
ガチャンッ。
気がつけばナイフは手から滑り落ちていた。地面に広がる大量の血。ヒイロは血塗れのナイフを持ち上げる。
「あとちょっとで心配なくなるから待って」
ドクッドクッと左目の下から溢れ出る血。ヒイロはナイフを自分の目に当てがう。そして、少し息を吐いて、瞳を閉じて、手に力を入れる。
バシッ!
間一髪のところでレイがヒイロの腕を掴み、静止させる。動悸が、止まらない。自分の呼吸が荒れているのがよくわかるほどに、その場は静かだった。
「な、なにを、何をしている」
声の震えが止まらない。桃色の髪の毛にもヒイロの顔の血が落ちる。
「え?んー困ってる人を助けたいんだ、俺は」
陽色の髪をした男はいつものように笑おうとする。
「何をしてでも」
痛みのせいなのか、その笑顔が少し歪んでいた。
「メガネは俺が怖いんだろ?なら、怖くなくすれば良い!」
「俺の目が見えなくなれば昨日みたいなことが起きても大丈夫だろ?」
ヒイロの瞳には迷いがなかった。
本当に、それが正しい方法だと信じている目だった。レイはヒイロからナイフを取り上げようとする。しかし、避けられてしまう。
「どうしてメガネが止めるんだ?」
「それは……」
言っていることは理解できる。止める理由は、無い。答えないレイを見て、ヒイロはナイフを握り直す。
「………」
(コイツは、本気だ)
キラリと太陽を反射して輝くナイフ。
レイは諦めたように目を伏せ、長いため息を吐く。
「……決してオレの後ろを歩かないこと」
「案内し終えたら報酬を受け取ってすぐにオレの目の前から消えること」
「これが条件だ」
「え?」
「……オレは、お前がこの先どうなろうと知ったこっちゃない」
吐き捨てるように言う。
「だが、こんな後味の悪いことされたら目覚めが悪い」
冷たい瞳がヒイロを見つめる。漆黒の瞳。吸い込まれてしまうほどに暗い色をしていた。そこに交わる陽色の視線。
「提案がある。自称ヒーロー」
「オレを村まで案内しろ」
ヒイロは目を丸くした。
次の瞬間、ナイフを川へ放り投げる。
「了解した!」
傾く夕日がヒイロの背を黄金色に染める。その光から逃げるようにレイの影は、長く夜へと伸びていた。




