第五話 濡れる揺れるナイフ
大幅に改稿しました2026/07/10
連続投稿の2個目です
深夜。
激しい雨音と雷鳴が洞窟に響く中、レイはうとうとしていた。 胸元には、しっかりとナイフを握りしめている。
(……クソ、早く元の体に戻らねぇと)
不快そうに桃色の長い髪を払い、浅い眠りに落ちる。
ガタンッ!
激しい物音に、レイは跳ね起きた。
「っ……!」
すぐさまナイフを構え、暗闇を警戒する。 少し離れた場所。 地面に引いた線の向こう側で、ヒイロがうずくまっていた。 ガタガタと、異様なほど激しく震えている。
「お、おい、大丈夫か……?」
声をかけ、じり、と近づこうとして――足を止めた。 何かがおかしい。 洞窟内の空気が、一瞬で凍りついたように冷たくなる。威圧感だけで押し潰されそうだった。
ユラリ……。
重力を無視したような不自然な動きで、陽色の髪の男が立ち上がった。 暗闇の中、激しい稲妻が走る。 一瞬だけ白く浮かび上がったその顔を見て、レイは息をのんだ。
笑っていた。 太陽のような笑顔。 だが、その橙色の瞳には、昼間の輝きなど微塵もない。 完全に、光の消え失せた目。
ユラリ。
次の瞬間、視界から消えた。
「なっ……!」
自分の目に映る大きな影。いつの間にか男は目の前にいる。ぐっと顔を近づけ、ニタニタと笑いかけたかと思えば、
凄まじい質量が視界を埋め尽くした。
ドサッ!
「がはっ……!?」
床に押し倒される。 重い。ビクとも動かせない。 容赦なく首元へ伸びてくる、氷のように冷たい手。動け。動け。動け。……動かない。
(死ぬ――っ!)
本能のまま、握りしめていたナイフを男の手の甲へと突き立てた。
グチャリ。
嫌な手応えが腕に伝わる。 どす黒い血が溢れ出す。だが――。
(……効いてねぇ)
男の笑顔はピクリとも崩れない。 血は出ているのに、その動きはまったく止まらなかった。
「ぐっ、あ……」
骨がミシ、と軋むような力が喉笛を圧迫する。 痛い。頭がくらくらする。息ができない。
死に物狂いでナイフを引き抜き、男の首筋へと横一文字に切り付けた。
ダラダラと生温かい血が流れ、レイの顔にかかる。 だが、男の手は微塵も緩まない。 それどころか、裂けた口からクスクスと、粘り気のある笑い声が漏れた。 意識が霞む。 世界がゆっくりと遠ざかり、ナイフを握る力も抜けていく――。
そんな時だった。
「……え?」
「なんで、俺………」
ヒイロは困惑したような声を出す。手が緩む。その隙にレイは急いで這い出て、出口へ向かう。
「……ま、待ってくれ!」
ヒイロの震えた声がした。激しい雷鳴が響く。それでも足を止めない。
「違う、俺じゃない!」
肩を掴まれ、無理やり振り向かされる。暗闇の中、陽色の瞳が揺れているのが見えた。
「あ?」
「覚えてないけど、俺じゃないんだ!」
自分の肩を掴む手が、震えている。理解ができない。だが、ヒイロの顔は先ほどの不気味な笑顔とは打って変わって泣きそうな、情けない表情をしている。
「離せ!」
ヒイロを突き飛ばし、ナイフを目の前にまで突きつける。
「オレが、ここから出るまで動くな。動けば、殺す」
自分の声も震えているのが分かった。足も動かない。
(この男の目的はなんなんだ?)
(なんで、急に)
自分をヒーローと自称して、敵でさえも救おうと動いていた男が、なぜ急に。脳裏に太陽のような笑顔が浮かんだ。頭を振る。
(いや、考えても意味はない)
ヒイロはしばらくの間立ち尽くしていた。ヒイロは自分の血で染まった手を見つめる。
ギュッと拳を握る。レイを一度だけ見た。そして、何かを呟く。嵐のせいで、聞き取れなかった。腕の傷を押さえ、ゆっくりとまたこちらへ歩き出してくる。ナイフを持つ手に力を入れる。
一歩、また一歩と近づいてくるヒイロ。
震える手を力尽くで抑えた、その瞬間。
「……殺すなら、今だぞ」
驚くほど穏やかな、ヒイロの声が響く。
「……!」
そのまま歩き出すヒイロ。洞窟の扉を開ける。雨の音がより一層大きくなった。
バタンッ。
扉が閉まる。
ナイフを持つ手が震えている。心臓の音がうるさい。レイはヘナヘナとその場に座り込む。
ガシャンッとナイフが手から滑り落ちた。
首を触る。
暗い。
寒い。
明かりを灯そうとマッチに火をつける。
小さな炎。
温かい、色をしている。
グッと唇を噛み締め、しばらくその炎を見つめる。
そして、吹き消した。
雨の音だけが、静かに響いている。
◇
森の中。レイは立ち止まった。風が吹く。
グルルルと腹から音がなる。気を紛らわそうと上を向いた。すっかりと嵐は止んだようで、燦々と太陽の光が降り注いでいる。首元にそっと手を当てた。周囲を見回す。どこを見ても木しかない。木。木。木。ヒイロが吊るされてた大木を探そうにも、この森の中一体どうやって探すというのか。洞窟から出てどれくらいのだったのだろう。かれこれ半日は歩いている気がする。
足の痛さに限界を覚えたその時、
ムシャ…ムシャ…。
何かを咀嚼する音が聞こえて来た。
(人がいる……?)
レイはゆっくりとナイフを手にかけて音のする方へ向かう。
(最悪、食糧を奪えば……)
坂道を下ると、そこには
男が寝転がっていた。
まだ雨でぬかるんでいる土の上。
その手には見た事ないキノコを握っている。
赤と青の色。知識がなくてもわかる。
毒。絶対毒だ。だが、男はそれを齧る。
もぐもぐ…。
ゴクリ。
「まっずいわぁ……」
そう言いながら食べ続ける。不機嫌そうな顔をしながら。
(な、なんだコイツ)
男はこちらに気がつくと
「食べる?」
そう言って食べかけのキノコを差し出してくる。
「い、いらない」
レイはナイフを構えながら後退する。
「てかアンタなんでズボンなんだよ。スカートならいいもん見れたのに」
男はゆっくり立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
(なんなんだこの森は、変人しかいないのか?)
男はレイの腕を掴み、その手に握られたナイフを自分の胸へゆっくり押し当てようとする。レイは思わずナイフを落とした。
(しまっ…)
ヒョイと男はレイのメガネを外す。
じっとレイの顔を眺める。全力で顔を顰めるレイ。
「返せ」
「嫌だ」
腕を掴んだまま男は話を続ける。
「ねぇ提案があるんだけどーー」
ニコリと笑う。ふわふわの白い髪に、赤い瞳が不気味に光って見えた。
「俺と」
「心中しない?」




