人の話は最後まで。
「げほっ、げほっ!え、何、助かっ……は?」
水浸しの石床に強かにぶつけた尾骶骨をさする。肌に張り付く服の気持ち悪さにも相まって、漏れ出た文句を追った視線の先に足。それも無数の。たじろいだ私の動きに合わせて、張り付いた服が小さな水音を立てた。
「ここ、どこ……!」
声がした方を振り返れば、びしょ濡れの体を抱き締めて震えている高校生ぐらいの女の子。ばちりと目が合って、助けを求めるように急いで体を寄せ合う。体に当たる服の冷たさにぶるりと小さく震えた。ポタポタと毛先から落ちる水滴が目に入りそうになるのも構わずに、見上げた先の見知らぬ顔たちが口々に言葉を吐く。
「*twōz wīhōz θewenōz?」
「*Misgandē-u?」
「*Hwaderaz istī waraz?」
明らかに日本人ではない容姿。耳に入ってくるのは意味のわからない言葉の羅列に戸惑う。英語ではないことだけはわかった。その響きはどこかドイツ語に似ている気がするが、それもなんか違う気がする。
眉根を寄せる私とは違い、目を見開く女の子。その唇が震えながら、小さく言葉を吐いたのを私は聞き逃さなかった。
「せ、いじょ……?」
「*Wīhō θewenō swartahwīrijō skullī.」
「聖女、黒髪……?」
こちらを振り返る茶色の瞳が揺れた。私をじっと見つめ、ぼそっと一言。
「あなたが……?」
「え、何?どういうこと?」
何がどうなっているのか、女の子に助けを求めても、視線を彼らに向けた彼女の瞳に私はもう映っていない。交わらない視線に困惑する私の前に進み出てきた二本の足。スラッと伸びた足を辿って見上げた先の顔があまりにも綺麗で、仕事柄海外の人を見慣れている私でも溜め息を吐きたくなるほどだった。
隣を見れば、同じく目の前の人に目を奪われている女の子。頬を赤く染め、どこか夢を見ているよう。
「*Wīhō θewenō is-u þū?」
「*Swartahwīrijō hwaderō istī, fraujō Forseti.」
「*Bōkōm inna gawissō was-at, hwene...」
訝しげに彼らを見つめる私の視線に気付いたのか、美人の男性がにこりと爽やかに微笑む。もしかして、話のわかる人かも、なんて期待を寄せて、とりあえず微笑み返してみれば——
「*Ni farstamdīs mīnō wardą.」
結局、異国語の羅列。さっぱりわからない、と顔を歪める。小さく頷きながら、何かを納得した美人が、座り込む私と女の子の前に膝をつくと、それぞれの額に手を翳した。そして、スパークする視界。訳がわからず、瞬きを繰り返す私に美人は微笑みながら、口を開く。
「これでどうだ?私の言葉はわかるか?」
「あ……わ、わかります!」
「そっちはどうだ?」
「……大丈夫です。」
急に言葉が通じるようになったことに感動している私とは対照的に考え込む女の子。どうしたのか聞こうと手を伸ばそうとした瞬間、バンッとけたたましい音が鳴り響く。反射で引っ込める伸ばした手。ドスドスという音が似合うほどの足音がこちらに向かってくると同時に、興奮した声が私たちの間を駆け抜けていった。
「成功したのか……!」
「兄上……お呼びするまでお待ちくださいとお伝えしたはずですが。」
「堅いことを言うな、フォルセティ。それでどうなん……二人?」
「はい。二人、ですね。」
人を掻き分けながら現れた、体格の良い男性。フォルセティと呼ばれた美人が、男性を兄上と呼び、呆れたように肩を竦める。全く似ていない二人の顔を交互に見て会話を追えば、急にこちらを振り返り、品定めする四つの目。
「どちらが本物の聖女だ?」
——聖女?
聞き慣れない単語に、女の子の体を抱き寄せる。下から上まで不躾に見てくる兄上とやら。視線が私の頭で止まり、にこりと笑って。
「あなたか!」
「え!」
投げられた言葉を反射で打ち返す。真っ直ぐこちらを見てくる視線に耐えられず、横を見れば、信じられないといった表情で私を見つめる女の子と目が合った。爪が食い込むほどグッと力を込めて握られる二の腕。痛みに顔を歪める私に気付いた美人の兄が彼女の腕を掴み上げた。
「痛っ……。」
「聖女に何をする!」
「いや、ちょ、ちょっと何するんですか!」
「彼女はあなたを害そうとしたではないか!」
「違います!もういいから離してって!」
渋々といった様子でパッと離れる手。彼女の腕にくっきりとついた手形の後が痛々しくて、目の前で仁王立ちしている男をキッと睨みつけた。そのまま詰め寄ろうとする私の前にスッと割り込む美人の姿。手で制しながら、私を見下ろすその瞳に、石化した。
「兄上、まずは彼女たちのお召替えをしなければなりません。」
「だが。」
「大事な聖女が風邪を召しては困ります。それに、まだ状況の整理もできておりません。」
「そうだな……では、おれは父上たちに報告に行ってくる。」
「はい、お願いします。」
「ちょっ……!」
止める間もなく、くるりと踵を返して颯爽と退場する男。こっちの話は無視して消えていく背中に、掛ける言葉を失って、代わりに開いた口から溜め息が漏れた。
とりあえず、と後ろを振り返り、彼女の腕を見る。先ほどより赤みは引いたが、そこにはまだ手形がしっかりと残されていて。瞳を濡らしながら、こちらを見つめる彼女に代わって、美人に向け、言葉を吐いた。
「冷やすものをください!」
「手当ての用意をする。だが、まずはお召替えを。風邪を引くぞ。」
「ちょっと……!」
他にも言いたいことがあるんだけど?!
もう用はないとでも言わんばかりに、私たちに背中を向け、羽織物を翻して歩き出す美人。さっきの男といい、この美人といい、ここの人間は人の話を最後まで聞かない奴ばっかりなのか?
震える拳を何とか治めて、彼女に手を差し出す。恐る恐る握り返された手に苦笑い。支え合うようにして二人で立ち上がると、重力でずしりと重たくなった服に身震いを一つ。見たことのない造りの建物に、吐き出した溜め息。終わりの見えない天井に吸い込まれて静かに消えていった。




