葵、お酒飲むってよ
「「かんぱーい」」
「…かんぱい」
さて、つい先日のことだ。
水無月家の御息女・水無月葵殿は、この度めでたく成人した。
学生の頃から既に大人びていた美貌は、より艶やかな雰囲気を纏う様になり、それでいて柔らかい自然な笑顔を浮かべることも遥かに増えた。まさにクールビューティーという称号を与えられるに相応しい美しさである。
『お酒、飲んでみたいです』
そんな彼女は、前々からどこぞのアル中を見ていたから悪い影響を受けてしまったのか、成人早々に飲酒を望んだ。
一足早く成人した人生の先輩として、何処かお洒落なお店でお洒落に乾杯してお洒落な夜をお洒落に過ごすこともお洒落に考えなかった訳でもないが、俺の成人時の様に、『待ってました!』と殴り込んできた年中アルコール女に『突撃!隣の晩酌』されて、夜が明けるまで連れ回された挙句、帰るなり玄関で二人揃ってぶっ倒れて、朝に仲良く正座して、絶対零度の視線を浴びせられながらお説教というのもあまりに夢が無い。
逢瀬を邪魔されたというのに文句一つ言わずに親子の時間を優先した結果がこれというのもあって、あの後の葵の拗ねっぷりは半端じゃなかった。
ということで、流石に反省したらしい酒カスが贈ってきたお高そうなワインで、葵の誕生日は二人で過ごすことと相成った。物珍しそうに一杯一杯を恐る恐る味わっていた葵であったが、終わってみれば特に何か問題が起こることも無く、いつも通りに無表情でちょっぴりほろ酔い、という結果に終わった。ただまあ、その後の触れ合いがいつもより濃いめだったくらいか。
そして、今回。
「気づいたら注がれてたけど、これ何?」
「日本酒ーっ!」
「おおー」
ぱちぱち。葵の乾いた拍手を浴びながら、『次は私とも飲んでね!?約束だからね!!飲んでくれなかったら飲むわよ!?』という意味不明の脅しをかけていた母さんが瓶を取り出して、勇ましく机に置く。この人はレディー二人だけでのサシ飲みを望んだらしいが、二人きりだと何をしでかすか分からないという俺の判断と、まだ信用が回復しきっていないおこの葵ちゃんの判断で三人で飲むことに。父さん?仕事。
「この子の話を聞いた限り、あおちゃんは割と飲める方らしいじゃな〜い♡」
「そうですね。意外と飲めました」
「んーふーふー…ならぁ、私もぉ、気兼ねなく羽目を外せるってもんよね。おい息子ぉ!!!」
「はい」
「お・つ・ま・みっ♡」
「はいはい」
羽目が外れていない時があるのだろうか。
まだ酒は入っていないはずなのに、情緒が奈落のジェットコースターと化している中年おばはんの傍若無人に従い、事前に作っておいた酒のつまみを並べていく。並べている間に、『待つ』という言葉を知らないおばはんのタンクにアルコールが注入されていた。
「Foo〜♪中々美味しそうじゃな〜い♡善哉善哉。あんたにお料理を教えた甲斐があるってものだわぁ」
「つまみで褒められてもなぁ」
「おばさんおばさん、これ、兄さんに教わって私が作りました」
「ま じ で!!!???む、義娘の手料理……っ!!!………〜〜ッッンよくやったわ息子ぉ!!!あんたを産んで本っ当良かったっっ!!!」
「初めてじゃないじゃん…」
「成人したあおちゃんに作ってもらったのは初めてだから」
怖…。そのうち、『◯月✕日□時△分のあおちゃんに作ってもらったのは初めてだから』とか言い出しそう。
「はい、あーん」
「あーん♡ん〜〜っしあわせ〜……」
可愛い義娘にあーんされて顔をだらしなく蕩けさせている四十某のメスおばの顔に脳内でモザイクをかけながら、俺も葵お手製のおつまみを口にする。うん、美味しい。葵の料理の腕は、ここにきて更に成長を続けている様だ。俺が抜かれるのも、そう遠い話ではないだろう。寂しいような、嬉しいような。
「あ」
「ん?」
と、口の中でつまみを転がしていたら、母さんにあーんし終わった葵が、コチラを見て何故か不満顔。何か粗相をしてしまったかと、無意識に佇まいを正す。
「どうした?」
「……私があーんしたかったのに…」
おっと。素晴らしく可愛らしい拗ね方をされていた。こんな拗ね方なら、何遍してくれても良い。
「いつだってしてくれていいぞ?」
「ですか。では兄さん、あーん」
俺の言葉に顔を綻ばせた葵が、こちらに身体を向け直す。この間、俺が美味しいと言ったおつまみを箸で丁寧に掴むと、手を添えながら俺に優しく差し出してくれた。
「あーん」
母さんが酒をご機嫌に呷ってこちらを見ていないことを確認すると、ぱくりとそれを口にする。程よい味付けに、まろやかな口触り。まさにおつまみのなんちゃら箱。そこに恋人の愛をひとつまみ。宝石程度では到底釣り合わない。
「美味しいですか?」
「うん」
「ふふ…。そうでしょうそうでしょう」
俺の即答に、満足そうに、そして誇らしげに胸を張った葵が、照れ隠しなのかぐいっと杯を呷る。俺の評価に相応しい出来であることを、自分でも理解しているのだろう。それくらい葵は努力を重ねてきたし、なのに、言われる度に嬉しそうにするのだ。そんなの、何度でも言ってあげたくなる。
頭を撫でる。これもまた、もう何度やったかも思い出せないくらい撫でた頭。なのに、葵は。
俺達は見つめ合うと、同じタイミングで小さくはにかんだ。
「総ちゃん総ちゃん、お母さんからも♡はい、あーん♡」
「チェンジで」
「あ゙あん!?」
空気読め四十。そうでなくとも、こちとら二十歳やぞ。二十歳が四十路にあーんされる光景を思い浮かべてみろ。そしてそこに親子という関係性をプラス。地獄ぞ。
「けーっ。全く、平然とイチャコラする様になっちゃって。それでこそ私の息子よこんちくしょう!」
「怒ってるのか、褒めてるのか、どっちだよ…」
「おめってる!」
「どっちだよ」
「……………」
既に大分出来上がってるなぁ。
葵が何を言われずとも母さんに酒を注ぎ、そして自分のグラスにも注ぐ。そんでもって仲良くぐいっと。全く、気配り上手で涙が出ますね。
「……………」
「…ま、それはともかく、これ美味いな…」
「…ふっふん。でしょ?こうして隠れた一杯を探すのもお酒の楽しみ方ってやつよ」
「まあ、確かにあの時もハズレは無かったっけ…」
「んで、子供と一緒に杯を交わすのが、親の楽しみってやつねっ」
「限度はありますけどね」
「「そ、その節はご迷惑を………」」
「ですか」
ちょっと図に乗り始めた母さん共々、今では然程珍しくもなくなったジト目で睨みつけられ、俺達親子は途端に揃って縮こまる。
正直、こんなところで親子の絆を再確認なんてしたくなかったものである。一夜の過ちとはいえ、最早、葵の中では俺と母さんは同じカテゴリに入れられているのだろう。あんなアル中にだけはなるまいと、子供の頃から固く決意していたのに。
打って変わってちびちびと酒を舐める俺達とは真逆に、葵が鬱憤を晴らすが如く酒を呷る。ちょっと心配になる勢いだ。
「あ、あおちゃん、盃が空よ……。注いだげる……」
「ありがとうございます」
呷る。何時になく豪快なその様子に、言葉少なながらに中々に溜まっていたことを否が応でも理解したのか、母さんがへーこらしながら遠慮がちに葵に酒を注ぐ。この二人、一応将来的には義理の母と娘の立場である。
「んっ、んっ、んっ……はぁ……」
注いだ側から飲み干した。吐き出された、熱の籠もった息がやけに色っぽく感じてしまう。
…ん?何か、いつの間にか瓶の中身が随分少なくなっている…様な。
「…………はや…………」
「おばさん」
「は、はい?」
「おばさんも空ですね。注いであげます」
「あ、うん。ありがと…」
首を傾げる俺を他所に葵が、お返しにと並々と母さんのグラスいっぱいに酒を注いでいた。
俺も少し飲んだので分かるが、このお酒、中々に強い。『羽目を外す』という言葉に偽りは無いのだと理解出来る程度には。
「はい、どうぞ」
「う、うん」
「さあ、一気に」
「え」
「はやく」
「え」
気のせいか、背筋に謎の悪寒が走ったのも束の間、葵が座った目で母さんに凄み始めた。何処か違和感を感じなくもないその様子に、母さんがちらりと俺を見る。
その時である。
「おばさん」
「ぐぇっ……」
葵が母さんの胸倉を掴み、強引に己の方へと向き直させたのである。
「あ、あおちゃん…?」
「私の酒が飲めないんですか?」
「へ?いや、あの……」
「おばさんの私への愛ってその程度だったんですね」
はああああー…。これ見よがしに失望のくそでか溜息をつく葵。これはもう間違いなく、何処からどう見ても酔っている。俺の葵はこんな悪い子じゃない。
「の、飲みます!いただきます!」
「ですか」
でも、葵ならとりあえず何でも大好きの母さんにそんなことが分かる訳も無く。
いかん、それは罠だ。
咄嗟に口を挟もうとするも、時既に遅し。
「んぐっんぐっ……」
「………」
「ぷは「はいおかわり」あああ!?」
「どうぞ」
「は、はひっ…………」
「どーぞっ」
「……………」
「ね」
「………………」
「 ね 」
「………」
しわしわなお顔と共に、無言で母さんが酒を呷る。空になったその瞬間、葵が並々と酒を注ぐ。
何度それを繰り返しただろうか。アルコールが追加されているはずなのに、どんどんと顔を青くしていく母親を、息子の俺はただただ震えながら見守ることしか出来なかったのである。




