葵、暴走するってよ
「ん〜……もう飲めにゃい……」
「定番みたいな台詞吐くなぁ…」
「ああ〜ん……そうちゃ〜ん……らめよぉ……わらひたちじつのおやこなのにぃ……まもぉ…みにゃいでえ〜……おかあさんのこんなはずかひいすがらぁ……えへ♡」
「おぞましい台詞を吐くな」
さて、意外でも何でも無く、予想外のカウンターを受けた哀れなアルハラの化身が向こうの世界へと羽ばたいていってしまったところで。
酒瓶を抱いて恐ろしい夢を見ている母さんに致し方なくブランケットをかけてやると、のそのそと、後ろから何かが四つん這いでにじり寄ってくる気配。まあ、何かも何も、考えるまでもないのだが。
「兄さん」
「……」
「にーいさんっ♪」
背中に覆い被さってくる柔らかい感触と、途端に鼻腔をくすぐるアルコールの強烈な匂い。
横から可愛らしい顔がひょこりと現れ、こちらを覗き込んでくる。その上には、かつてない程に蕩けた様な笑顔と、かつてない程に心配になる赤、紅、そして朱。
「二人きりですね?」
「………うん」
「ふたーりきり⤴ーですねぇー?あっはっはっは!」
「…………うん」
誰だろうこのめっちゃ輝く笑顔の女の子。俺こんな可愛い女の子知らないなぁ。
縋り付いて離れない葵を引きずりながら、母さんから離れたところでどうにかこうにか腰を下ろす。その間も葵は、後ろからこちらのうなじに顔を擦り付けたり、髪の毛に顔を埋めて匂いを嗅いだりとやりたい放題。
「むー…こっちむいてくださいよぉー」
「いだだだだだ」
構ってくれないつれない恋人に業を煮やしたのか、葵が今度は後ろから顔を鷲掴み、無理矢理首を動かそうとしてくる。やめてよぉ折れちゃうよぉ。
「あーわたしがいけばいーのかぁー。なーいすあいであ〜」
「あーほら…、危ない危ない」
「おーっとっと。こりゃしつれ〜…えへへ…」
笑顔が収まる気配を見せない葵ちゃん(20)が、ぬるりと後ろから前へと移動しようと動き出す。今にも頭から崩れ落ちかねない危なっかしいその動きを必死に支えるこちらを他所に、楽しそうにきゃっきゃとはしゃぎながらこちらの膝の上に乗ると、すぐに首に腕を回してくる。
「こんにちは、にーさん♡」
「こんにちは…」
「んー♡あいさつできてえらいですねぇー♡よちよち〜♡」
「あ、はい。どうも…」
こんばんはなのでは…といういらんツッコミは置いておいて。下からこちらを見上げてくる潤んだ瞳。濡れた唇。更にはそこに妖艶な笑みが加わるのだから、その威力は推して知るべしであろう。
しかし、ワインで全然だったから問題無いと思っていたのに。まさか日本酒でここまで悪酔いするとは。体質の問題か?それともやっぱり色々ストレスが溜まってたり…。
「………」
「はむはむ」
「うぉ…っ!?」
などと考え込んでいる間に、突然首筋に襲い掛かるぬるりとした感触。葵氏、再度の暴走。まさかの甘噛みと洒落込み始めたのである。
「ちょっ、葵さん…!?」
「これじゃま」
「ちょお……っ!?」
首元をぐいぃっと遠慮なく下に引っ張られ、鎖骨まで贅沢に顕にさせられてしまう穂村総護氏。これはあれか。『止めて!私になんちゃらかんちゃらするつもりでしょう!エッチな某みたいに!』っていう展開か。なんて――
「くんくん」
「ぅ゙っ……」
「ぺろり」
「ひぅっ!?」
「ちゅううう」
「いづっ…」
鎖骨の辺りを嗅がれるわ舐められるわ強く吸われるわ、思わず素っ頓狂な悲鳴を上げる。
やばい。アホなこと言っている場合じゃない。このままだと、まじで誰も望んでいない成人男性の濡れ場がお茶の間に放送される羽目になる。通報されてこの作品がBANされる。
「あ、葵葵っ、あおいおいおいあおいさん!!」
「いえ、あかいです(鎖骨)」
「ちょっ、ちょっとタンマ!落ち着こう!な!?」
「わかりました。はいまちました。じゃあつづき」
肩を掴んで身体を引き剥がすも、据わった瞳の葵は細い腕からは想像も出来ない怪力で俺を再度引き戻す。キスをせがんでいるのか、唇を突き出しながら迫ってくる顔を間一髪交わす。しかも三連撃だった。端から見たら、さぞかし間抜けな構図だったことだろう。
「なんでよけるの」
「そりゃあ……っ」
キスのミス(ギャグではない)を連発したこともあり、不満を存分に乗せたお顔で睨まれてつい口を噤んでしまった。
誤解しないでほしい。決してキスしたくない訳ではない。そんな訳無い。葵とだったら何時でも何処ででもしたい。
でも
これは何か違う気がする!
「あ、葵!?水!水飲もう!?ちょっと酔いを覚まして…」
「わたしはいたってしょうきです」
「え!?」
「ゆえににいさんをたべるのはいたしかたないことでそうろう」
「どういうキャラ?」
「にいさんがえっちだからいけないのです。なんですかそのさらけだしたさこつ。さそってるんですか?そんなのもうにいさんじゃなくてえっちさんじゃないですかえっち」
「お嬢さんにやられたんですが!?」
「ほむらのえいちはえっちのえいち。そうごのえすはせくしーのえす。うけるー。わっはっは(棒)」
「助けてー!!」
「それな」
などと叫んだところで、助けが来る訳も無し。俺はこのまま、目の前の雌狼に美味しくいただかれるしかないのだろうか。
「よいではないかよいではないかー」
「いやぁーーっ!!」
「あばれんなよあばれんなよ〜」
魔の手が再度、俺の服を剥ぎ取るべく伸ばされる。されど、下手に抵抗して酔っ払いに怪我をさせる訳にはいかない。俺は必死に身を守ろうとして―――
「うぐ………っ」
守ろうとした、その時だった。
「…………え?」
何故か葵の動きが、急に不自然な態勢で止まったのだ。あたかも自慢の長くて綺麗な髪の毛を後ろから引っ張られているような状態で。より例えるならば、まるで突然の金縛りにでもあったかの如く。
「う、ぐ、うぐぐぅ………」
「……………??」
な、なんだ。一体、我が恋人に何が起きているというのだ。
ぷるぷると全身を震わせながら、葵が必死にこちらに手を伸ばす。悪いとは思いながらも、俺にその手を取る勇気は無かった。いやだって…。
「なぜですか……―ぇさん……っ!なぜ……ぁ……あなたが……っ!じゃ、じゃまをぉ……するなあぁ………っ!」
「わたしはぁ……っにいさんとお……ちょっと、おたのしみを、するっだけっでぇ……!」
「し、しったことかぁ……!なにが…っ…せるふれーてぃんぐだぁ………!!」
「(ひえ)」
めっちゃ怖い。可愛い恋人が何か見えないものと戦ってるぅ。
「に、に、に゙いさん………さきっちょだけでも……っ」
ごき。
「ぅ゙ぐっ゙………!?」
そして、何か言いかけた葵がちょっと心配になる角度に首を曲げて、苦しげな呻きを上げたが最後、白目を剥いて俺に覆い被さる形で気絶する。
「………」
…な、何だったのだろうか、今のは。明らかに心霊とかポルターガイストとか悪魔的な某に取りつかれたとか、そういう類いの何かにしか見えなかったのだが…。
というか、腹の上の葵はぴくりとも動かない。
「――――――――――――――」
「……え、死、……、」
それを目の当たりにして、慌てて身体を抱き抱える。
「いや、……寝てるだけぇ……」
顔を覗き込めば、不穏な最後とは裏腹に、いつの間にか葵は何とも安らかな寝顔を見せながら小さな寝息を立てていた。
かたん。
「っ!?」
思わず脱力してしまったその瞬間、背後から微かに、けれど確かに聞こえてきた小さな物音。慌てて背後を振り向くも、勿論何も存在しない。そこには亡き姉の仏壇が静かに鎮座するだけだ。
「………?」
「あだっ」
そして、首を傾げる俺の頭に振ってくる、母さんが『前菜』とかいうイミフな理由で飲み干した空き缶。コーンと小気味良い音を奏でて床に転がったそれをじっと見つめて、そして振り替える。
「な、何故上から……?」
何とも不可思議だ。確認するまでもなく上には物を置くスペースなんてないし、ましてや缶をわざわざ上に置いた覚えも無いというのに。
…何か色々怖くなってきた。
俺も酔いが回ってきたし、葵を寝かしたらさっさと休むとしよう。母さんは……まあ、あの有様なら朝まで起きないだろう、きっと。
「葵、抱き上げるぞ?」
「………んん〜………?」
もぞもぞと身じろぎした葵をお姫様抱っこの形で抱き上げると、無意識なのか胸に頭を擦り付けてくる。さっきまでのにこにこ葵ちゃんも魅力的ではあったが、やはり俺にとっての葵は物静かな葵だ。まあ、物静かでも意外と感情は豊かだったりするのだが。
寝室の戸を開けて、布団の上に葵をゆっくりと寝かせる。
「お」
立ち上がろうとして、すぐに止まる。
僅かにつんのめる感覚。葵の指だ。たおやかな指先が俺の裾を摘んで離さない。
「…起きてる?」
「………」
寝ている…らしい。
ということは、またまた無意識ということか。嬉しいやら、むず痒いやら。
何度か引っ張ってみても離さないので、諦めて葵の横に寝転がると、目の前の黒髪に手を差し込んでゆっくりと撫でる。あれだけわちゃわちゃバタバタした後でも、葵の髪は全く乱れが無い。あれから何年経っても、何回撫でても飽きる気配が無い感触だ。
「………にいさん?」
何度か撫でたところで、葵がうっすらと目を開ける。
静かにこちらを見つめる瞳に酒気は無い。どうやら酔いは一旦落ち着いた様だ。
「……ごめん、起こした?」
「………ううん……」
無言でくいくい、と胸元を引っ張られたので、仰せのままに腕を広げて待ち構える。すかさずすっぽりと胸に収まった葵が猫の様に身体を丸くして、またすぐに寝息を立て始めた。
今度は髪ではなく、規則正しく上下するその背中をゆっくりと撫でる。薄っすらと弧を描く葵の口から漏れる、心地よさそうな吐息。
心底安らいでいる様子が愛おしくて、俺もまた笑みを漏らすと、葵を柔らかく抱き締める。先程までの喧騒が嘘の様に訪れた静かな一時に、自然とくすくすと肩を揺らしてしまった。
「…お酒は程々に…、だな」
だって、葵があんな笑顔を見せる相手は、俺だけで十分。
俺だけの特権でありたいから。
そんな子供じみた独占欲を覗かせながら恋人を抱き寄せると、俺もゆっくりと微睡みの中へと沈み込むのだった。
「…何か夢の中で女の子にどちゃくそ説教された気がする……」
「…奇遇ですねおばさん…。私もです……」
「ああ〜…頭が痛い……」
「……私は何故か首も痛いです……」
「「………はぁ………」」




