変わるもの、変わらないもの
「王手!」
「いや、それは無理じゃわ」
「ええ!?」
今日も変わらず客の来ない店内で、わしは近所のやんちゃな子供と将棋を指していた。
まだまだこの奥深さを理解するには程遠い年齢だと言うに、むきになって突っかかってくるものだから、つい興が乗って大人気なくねじ伏せてしまう。婆さんが見ていたら何と言うだろう。『幼気な子供を虐めるな』と、お玉でしばかれるだろうか。それもまた一興。
「〜〜っやっぱよく分かんないって!しょーぎ!!オセロやろーぜオセロ!」
「やーい負け惜しみー。やっぱ小僧だわ」
「ああん!?ならもっかいやったるわぁ!!」
立ち上がり、頭を掻き毟って抑えられない苛立ちを露わにする未熟者。ついでにもう一発煽ってやれば、何とも単純に乗ってくるものだから扱いやすくて大変助かるものである。ただ、自分はこのくらいの頃はここまで柄は悪くなかった気がする。多分。
「(さて)」
再度、どすんと胡座をかいて盤面と睨み合う少年を横目に肘をつくと、ふと店の方へと目をやった。
「……………おおー………」
そこにいるのは、小さな少年よりも更に小さく幼い少女。彼女は無垢な瞳を爛々と輝かせながら、寂れた店内に並んだ品々を物珍しそうに眺めている。
自分で言うのも何だが、この店にそこまで興味を惹く逸品が存在するとも思えない。が、我が類稀なるセンスはあの少女の感性にどんぴしゃということか。やはり、分かる人には分かってしまうのだろう。婆さんなんて
『使いにくい』
『歪』
『趣味が悪い』
『つーかシンプルにダサい』
『ここの凹み何か意味あんの?』
『臭そう』
と、剥き出しの刃物の様な評価をつらつら並べ立てるというのに。最後の評価だけ遺憾すぎる。
「……………そー……」
「坊。反則は格好悪いぞー」
「ぎっくぅっ…!」
そんでもって、顔を向けていないことをいいことに駒をそ〜っと動かそうとする愚か者に釘を刺す。小さな肩が弾かれた様に跳ねる様子が視界の隅に映った。
「お〜お〜。なっさけなぁ。そんなんじゃあの子も愛想尽かすこと間違い無しじゃわぁ」
「べ、別に悪さしようとしたわけじゃないし!じっちゃんの駒が邪魔だから動かそうとしただけだし!!」
「それを反則というんじゃい」
己を慕う少女をこんなにも味気ない店に連れてきて、あまつさえ放ったらかしで盤上遊戯という、もれなく失敗間違い無しのデートコースに案内してみせた少年は、自分の真っ当な指摘に慌てた様に佇まいを正し、何事も無かったかの様に盤面との睨み合いを再開させる。
「お兄ちゃん」
「う」
だが、少年は見えていなかった様だが、その反則行為をばっちりきっかり目撃していた優秀なジャッジが実はいた訳で。
「ずるは、めっ」
言うまでもないが、健気な少女その人である。
「あ、葵ぃ……」
「そうじゃそうじゃ。言ったれ、嬢ちゃ…」
「きょうしゃにもおくすることなくせーせーどーどーたたきふせた先にこそ、しょーりのえいこーはかがやくもの」
「嬢ちゃん人生何周目?」
まあ、少々個性が強いというか、尖った子であるのは間違い無さそうではある。
だが、子供なんてそれくらいが丁度いい。存分に尖って尖って、自分らしく育って行く方がよほど。そして、道を間違えた時に正してやるのが、大人の役割なのだから。
「(まあ、わしはとっくに大人を過ぎた、老いぼれじゃけど…)」
「ち、違うぞ葵…。これはな?立派な“せんりゃく“と言うものであって…」
「お兄ちゃんならそんな手をつかわなくともかてるはず。だってお兄ちゃんだから。お兄ちゃんはそんななさけないこと言わない。だってお兄ちゃんだから。お兄ちゃんはやくかって」
「…………ええ…………」
「はやく」
「………………王手ぇ!!!」
「はい無理〜☆」
「空気読めくそじじい!!!!」
「こらお兄ちゃん。めっ」
そして、老いぼれの特権は、無駄に生きた人生経験を悪用して上から悠々と小僧若僧を弄ってやれることである。これぞまさに理想の老後であろう。これがしたくて無駄に生き永らえてきたと言っても過言では……過言か。
「まだやるうぅ??」
「う、ぐぐぐぐ……っ」
「お兄ちゃん」
「ん?」
何も知らない大人が目撃したなら、恐らくは通報されかねないレベルの顔で煽り散らかしていたら少女が、顔を真っ赤にして悔しさに震える少年の肩を徐ろに叩く。
「あおいもやってみたい」
「ええ?」
少年の背中に凭れ掛かり、少女が店内を眺めていた時と同じ様に興味に瞳を輝かせながらそんなことを言って棋盤を指差すので、わしと少年は思わず顔を見合わせた。
「ええんじゃないか?別に拳でぶつかり合う訳でも無し」
「まあそうだけど…」
だが、お互い特に何か文句がでてくるはずもなく。
ぽりぽりと頬を掻くと、少年はあっさりと場所を譲る…が、少女が裾を握ったまま離さなかったため、すぐ横に並ぶ形になった。つまり実質2対1ということか。…ことか?
「どっかのぽんこつよりよっぽど手強そうじゃなぁ?」
「黙らっしゃい!いいか?葵。この『しょーぎ』っていうのはな?ただ駒を動かせば勝ちって訳じゃなくて、実に奥深い戦略というものが」
「うん」
ぱちん。
「あって……」
「………む?」
ぱちん。
「だな………」
「…………ふむ」
ぱちん。
「…………であるからして…………」
「坊ちょっと黙っとって」
ぱちん。
ぱちん―――――
■
「王手」
「……………………参りました」
今日も変わらず客の来ない店内で、わしは美しく成長した少女と将棋を指していた。
「また私の勝ちですね」
「〜〜〜っんも、もう一回ぃ!!」
「ですか」
まだまだこの奥深さを理解するには程遠い年齢だと思っていたのに、薄い表情で容赦なく隙なくこちらを攻め立ててくるものだから、ついむきになって突っかかってしまう。婆さんが見ていたら何と言うだろう。『お前今年で幾つ?』と、お玉でしばかれるだろうか。それもまた一興。
「く〜〜……っ!まさか嬢ちゃんがここまでの成長をしてみせるとは……じじい冥利に尽きるとはこのことか!」
「恐縮です」
「こんなんもうあおいじゃなくてふじいじゃろ!何なら竜王って呼ぶわ!」
「嬢ちゃんでお願いします」
倒れ込み、薄くなって久しい貴重な頭髪を掻き毟って抑えきれない苛立ちを顕にする未熟者。そんな子供老人の醜い姿を、彼女はただただ無の表情で見下ろしていた。
何か気まずくなって、そっと元の態勢に戻る。
「…のう、王ちゃん」
「王ちゃん」
「オセロやろ…」
「ですか」
わしは棋盤を奥に戻すと、今度は別の盤を持ってきて《《スイッチ》》を入れる。
その間、彼女は静かに『王ちゃん……』と何度も呟いていた。多分、『悪くないですね』とか思っていそうな気がする。見た目に反して子供なところがあるから。いや、年相応なんだけれども。
「便利じゃよね…。『世界のアソビ〇全51』」
「そこでス〇ッチを持ってくるところが、本当にお爺さんらしいですね」
だってお手軽なんじゃもん。
風情もくそも無い画面上の盤面を2人で覗き込みながら、わしらはポチポチとコントローラーを巧みに操る。
「ゲームなんて今や大抵電子の世界で遊べちまうものじゃよ。時代は瞬く間に移ろうもの。新しいものに適応出来なければどんどん置いていかれてしまうわい」
「ですか。流石えふぴいえすに一家言あるお爺さんのお言葉」
「じゃからわしが死ぬ前にキング〇ムハーツ完結してほしい」
「よく分かりませんが多分無理な気がします」
無理かぁー。
「…変わらないものなんて、無いのでしょうか」
彼女がわしの駒を幾つかまとめてひっくり返しながらぽつりと言い放ったその声は、いつも通り静かであったが、何処と無く寂しさを含んだもの…。長年の付き合いが、そう感じさせた。
「………」
横顔を盗み見ながら、あの日、初めて盤面と向かい合った彼女の姿を思い出す。
感情が豊かで、よく笑い、よく泣く、何処にでもいる普通の幼い少女だった。
「……私も、昔と随分……」
『今の自分とは正反対』。まさかそんなことを考えているのだろうか。
「そんなことはない」
「……?」
「少なくともわしにとっては今も昔も、嬢ちゃんは気の合う貴重なゲーム友達にして共に覇を競うライバルじゃよ」
ぽち。
淀みなく動き続けていた少女の指が、はたと止まる。
「…………」
「わしはそう思っとったけど、嬢ちゃんは違うとか?」
「………そう、ですね………」
少女は画面と向き合ったまま小さく震えると、鼻を鳴らす。あたかも、内からこみ上げる何かを無理矢理吐き出すかの様に。
彼女は今、何を思うだろうか。長い髪に隠されて顔は見えにくいが、僅かに覗く口元が穏やかに弧を描いた…様に見えたのは、都合の良い願望だろうか。
「私のライバルを名乗るなら、もう少し腕前を鍛えていただかないとお話にならないかもしれませんね」
「ア゙ッーーー!!いつの間にかわしの色が無ぁい!!!」
「私の勝ちです。何で負けたか、明日までに考えておいてください」
「おのれアオイミナヅキ!」
たかがオセロ。そう思っていませんか?
くすくすと、唇に手を添えて楚々と微笑むと、彼女は静かに立ち上がり、歩き出す。
その姿を追うようにして振り向けば、いつの間にやら店の入り口に一つの影が立っていた。
残念ながら客ではない。しかしよく知っている。昔よりも随分と大きくなったその影のことは。
「お待たせ、葵」
「はい。お帰りなさい、兄さん」
優しく微笑みながら、傍に歩み寄ってきた少女の頭を少年が撫でれば、今までの姿が嘘の様に少女の顔が淡く綻ぶ。
別に自分の前では笑わなかった訳ではない。ただ、そこに込められた想いが違うというだけだ。そして、それをまた表に出せる様になれたというだけだ。
やはり変わらない。
2人を小さな頃から見守ってきた大人の一人として、その変わらない2人の少し変わった関係が何よりも嬉しく、尊く――
「けーっ、見せつけおって!それ以上店でいちゃつくんなら金取るぞ!!外でヤれ外で!」
「おっと」
胸焼けする光景であった。だってさっきも散々見たし。
塩を勢い良く撒く素振りを見せて牽制してやれば、少年少女は苦笑い。
可愛い彼女を放って近所の小さな子供達とのお遊びに付き合っていたらしい、相変わらず男としての成長が無い彼氏殿であるが、彼女的には寧ろそんなところがお気に入りらしい。恋は盲目。
「逃げるか!」
「戦略的撤退、ですね」
「………ふっ」
手を振りながら楽しそうに走り去っていくその背中に手を振り返しながら、わしは今日も憎らしいくらいに澄み渡った青い空を見上げ、思いを馳せる。
「わしも……たまには婆さんに顔を見せに行くとするかのぉ………」
『明日も遊びに来る』という、年の離れた友との約束を心待ちにしながら。
「…あの、総、兄さん。お爺さんの奥様って………」
「ん?ああ、あのジジイが店のなけなしの売り上げを競馬に突っ込んだことにブチギレて絶賛別居中なだけだけど?」
「…………………………………………………………………ですか」
後日、某所にて道端で土下座する老人の姿が目撃されたという。




