7 物資売れません
帝国有数の大都市ディアタイザを本拠とする塩商人、ザルツゲーツ商会の商会長ボンデラはアリステアたちの申し入れに対して拒絶の意を示した。
「こう答えざるを得ないこと、誠に申し訳なく思います。しかしながら、帝国の現状を考えるに、保証なき信用取引には商売人として頷きかねるのです」
丁寧ながらも、断固とした口調である。
「理由を聞かせてもらえるだろうか」
エルアクスは冷静に尋ねた。
「もちろんでございます。
前提として、両殿下には現在食料などを買うための資金がない。まぁこれは良いでしょう。私どもとしては、将来確実に支払っていただけるのであれば、今資金がないことなど全く問題にならないのですから。しかし問題はそちらです。
理由は3つあります。
1つ目は、帝国のおかれた状況によるものです。ファフヌル平原における敗北、そして帝都の奇襲制圧。誠に痛々しいことです。そして、両殿下がお越しになる少し前、私のもとに陛下が戦死なされたとの情報も入っております」
「なんと、誠なのか!?」
「ヴァルカニアによる虚報の可能性もございます。確定的なことは分かりません」
ボンデラはちら、とアリステアの顔色を窺った。ファフヌル平原会戦に参加していたアリステアなら何か関連情報を知っているのでは、との探りである。
「私が無事ここまで来れているのだ。このような状況ゆえ撤退の最中異なる場所に向かうこととしたが、私が最後にお会いしたときはご存命であられた」
アリステアは巧妙な返答をした。嘘ではないが本当のことを正直に言っているわけでもない。そんな返事である。
「さようでございますか。お耳汚し失礼いたしました。
さて、それに加えて、ラガトニア公がこの難事に対応するためと帝位継承する意向を表明して諸侯に集結を呼びかけております」
これはアリステアらにとって新しい情報であった。
ラガトニア公爵は第3位の継承順位をもつ大貴族である。アリステアとエルアクスは、ラガトニア公の人となりを思い浮かべ、彼の野心あふれる性格ならやりかねないと思った。
「また、モードット公からは軽はずみな行動は慎むべきとの書状があちこちに送られているようです」
モードット公領はヴァルカニア国境に近い。
アリステアは舌打ちした。
「ヴァルカニアと通じたかな」
『軽はずみな行動』という抽象的な言葉で述べているが、要は軍を起こすなということだ。反ヴァルカニアで結集する動きを妨害しようというものであることが伺える。そういう行動をすることで自らの地位を保全してもらうよう話がついているのかもしれなかった。
「その他には?」
「私どもが伝えることの出来る情報はこの程度でございます。
そして理由の2つ目ですが、両殿下には軍勢がおりません」
2つ目の理由は端的だった。
「なるほど、理解した」
アリステアは頷いた。
「つまり、私たちは遅く、そして弱いということだな」
ボンデラは沈黙で返した。これは否定の意味ではなく、肯定の意を表せば無礼がすぎると考えたためであろう。その目はアリステアのまとめが正しいことを知らせてきていた。
「3つ目は?」
ボンデラは3つ理由があると言った。あと一つある。
「はい、これをお伝えするのは誠に心苦しいのですが……」
ボンデラは数秒言いよどんで見せた。
「私ども、貴族でない身には、どなたが支配者であろうと変わりはありませぬ。町が争いに巻き込まれないことのほうが重要でございます」
最終的にははっきりと言い切った。皇族を前に口にすれば、首が飛んでもおかしくないほどの内容である。
だがアリステアは、これが決戦で負け帝都を失ったということの結果なのだと痛感させられた。
「……わかった、ボンデラ殿。お時間を取っていただき感謝する。兄上、行きましょう」
アリステアは立ち上がった。
「お役に立てぬこと、誠に申し訳ありません」
ボンデラは恭しく一礼した。
アリステアたちが部屋から出ようとした時、廊下から複数の人が走ってくる激しい音がした。
ただならぬ気配にアリステアとその護衛レイナが腰の剣に手をかけた。
ボンデラも驚いた様子で慌てて首を振っており、何かを企んでいたような気配ではない。
勢いよくドアが開け放たれた。
敵襲か。
警戒するアリステアたちの目の前に、黒髪黒瞳の女が飛び込んできて五体投地した。
「私、帝国貴族の末席を汚しておりますオラリオ男爵令嬢イゼルと申します! 麗しく凜然たる帝国の薔薇アリステア姫殿下の御前にて見苦しき姿を晒しますことご容赦いただきますようお願い申し上げます!!」
怖ろしいほどの早口でそう口上を述べた。イゼルと名乗った彼女の後を追ってきたのか商会の使用人たちが、部屋の外で踏みとどまってドアの前に壁を作り上げた。
どうやら敵ではない。
アリステアはそう判断して、ボンデラに目線を送った。
「……私どもで商品の製作をお願いすることのある方でございます。決して両殿下に害をなす方ではないかと思います」
ボンデラは苦虫をかみつぶしていた。その顔を見るに、ボンデラはこの女とアリステアを会わせたくなかったのだろう。
「そうか。いかにも私がアリステアだが、兄上にも礼をしなくてよいのかな?」
そう告げるとイゼルはチラ、と目線を上げてエルアクスを見た。アリステアによく似た顔である。そしてアリステアに兄は一人しかいない。
イゼルは深く頭を下げた。
「失礼致しました! アリステア姫殿下の御兄様であられる皇太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう!」
「う、うん」
エルアクスは戸惑っていた。彼を表わす時にまず『アリステアの兄』から入る挨拶はまずあり得ない。だがそれを失礼だととがめることが躊躇われるほどの勢いがイゼルにはあった。
そもそも皇族に対して五体投地するような作法はどのような礼法にもないのだ。なにやらアリステアに対する過剰な尊敬を感じるところである。
「立つといい、イゼル殿。男爵令嬢がそのような姿勢を取るものではない」
「はい。それでは失礼させていただきます!」
アリステアの言葉にイゼルが素早く立ち上がった。
アリステアよりも頭一つ分ほど背が低い痩せ気味の女だった。年の頃は20前後、貴族の娘としてはそろそろ結婚適齢期を過ぎようかという頃合いである。黒髪は長いが、少し荒れ気味であまり気を遣っていないように見えた。ただ、その黒い瞳だけは、爛々と血走って輝いていた。
「それで、何用かな?」
「は、はい! アリステア様! その、私を貰って下さい!」
「……」
「私の忠誠、名誉、命、財産、魂も体もアリステア様のために! どうぞご自由にお使い下さい!!」
そう叫んで頭を下げてくる。
(私の味方になりたいということだな。オラリオ男爵令嬢、か。味方であると表明する1番手になりたいがその合理的な理由がない。そこで私への好意として押し切って家の浮沈を賭けて出てきた、というところであろうか)
アリステアはそう解釈した。今は1人でも支持者が欲しい。テンションが少しおかしいからといってこれを断る理由はない。
「どうしますか、兄上。合理性に欠ける理由とはいえ一番手です、受け入れてもよいのでは」
アリステアは小声でエルアクスに相談した。
「……アリステア、彼女を見てよくそう言えるね?」
「何か断るべき理由をお持ちですか?」
「いや、そういうわけではないが、お前はいいのか?」
「私は一向にかまいませんが?」
アリステアはなぜエルアクスに聞き返されたか全く理解できなかった。
「そうか、ならいいんじゃないかな」
相談完了。アリステアはイゼルの方に向き直った。
「わかった」
「ありがとうございます! ででででわさっそく……」
イゼルはなぜか自分の服に手をかけてボタンを外そうとし始めた。
「服を脱ごうとするな。いらん。そういう意味の体はいらん。いいな、いらん」
アリステアがぴしゃりと制止すると、イゼルは一瞬で土下座の姿勢になった。
「ももも申し訳ありません! そうですよね私みたいな貧相で見所のない女の体など不快なだけですよね申し訳ありません!!!」
アリステアは首を振った。緊張からだろうが、奇行癖があるのかもしれない。頭が痛くなりそうだった。
「私になにか他にお役に立てることはありますでしょうか!?」
「……そうだな。私たちは資金が必要なんだが、あてはあるか?」
無いだろうとは思いつつ、アリステアは尋ねた。ダメ元である。
イゼルは顔を上げた。
「お金ですか。私も貧乏で……はっ! いえ、一つ手がありました。アリステア様のためなら私……自分を売れます!」
「よさないか。自分を売る以外で何かできることはないのか?」
「申し訳ありません。多少魔法が使えて魔導具が作れる以外思いつきません」
イゼルはしゅんと肩を落とした。
「そうか」
「あああ。どうか、役立たずの豚と罵ってください!」
床にひれ伏すイゼルに、アリステアは静かに歩み寄ってその肩に手を置いた。
「いいか、世の中に役立たずなどいない。うまく使うことができない上が無能なのだ。味方になろうと駆けつけてきてくれたことだけでも私たちには十分に過ぎる」
「アリステア様……っ!!」
イゼルは泣き出した。




