5 神龍、土下座する
クラハッドはしばしアリステアを見つめてから慰めの言葉を口にした。
「友達程度にしておいて良かったですな」
「く。そうだな。そう考えるしかあるまい」
アリステアは呻いてから、クラハッドと共に砦の中へと戻った。ヴァルカニア軍が壊滅して状況が変わった。エルアクスも交えて、改めて今後どうするかを協議する必要があった。
アリステアたちはエルアクスのいる部屋に戻り、今起きたことを伝えた。
「なんと、神龍が……。そうか、神は帝国を見捨てていないのだな」
エルアクスは感極まって天上への感謝の祈りを始めてしまった。
「ただ、問題もあります。どうやら神龍は姫様のために戦うと述べているのです」
クラハッドがそれを伝えると、エルアクスはその政治的な意味を直ちに理解した。
「アリステアを帝位に、という話が出そうだな」
エルアクスの視線を受けて、アリステアは首を振った。
「兄上、私は兄上こそ皇帝にふさわしいと思っています。私は兄上の剣でいいのです」
アリステアは本心からそう言った。自身には政治的な方向での才覚はなく、エルアクスがそれを備えていると認識していた。皇帝に必要なのは軍事的才能ではなく、政治力なのだ。
「ありがとう。私もアリステアにそのような疑いは持っていない」
兄妹は互いに微笑んだ。
「それで、兄上。今後のことですが、少々ご相談が」
エルアクスはその内容に少し驚いていたが、それに協力することを約束した。
10分後、フレイはアリステアの前で土下座して頭を下げていた。
「勝手にいなくなって誠に申し訳ありませんでした」
アリステアはフレイが再び姿を見せてから今に至るまで彼を完全に無視していた。
「お前が質問にも答えずに急にいなくなったから激おこなんだよ。友達やめるってよ」
クラハッドがそうフレイに伝えた途端、彼はこの姿勢になった。
アリステアたちとしてはここまでさせるつもりはなかったのである。少し怒って見せて、「今後気をつけろよ」で終わらせるくらいのつもりだった。
ところがフレイが秒で土下座してしまったのである。
「緊急事態だったんです。本当なんです。何も説明せずに消えたことは謝るからぁ……」
今にも泣きだしそうである。
「……アリステア、彼も反省しているようだし、許してあげてはどうかな」
「お義兄様……!」
エルアクスの助け船に、フレイが顔を上げて感動した。
「は? 他人がなぜ私の兄上を義兄と呼ぶのか。分をわきまえろ」
アリステアの冷たい声がフレイを打った。
(すぐに土下座など、なんと情けない。誇りはないのかこいつには)
今やアリステアは当初のものとは別のことで怒っていた。
「ひ、ひぇ。ごめんなさい!」
再び平らになった。
これが、偉大なる神龍の姿である。
「偉大なる帝国の栄光を受け継ぐ御方、慈悲深く英知あふれる皇太子殿下に対するご無礼、何卒おゆるしください!」
「う、うん。私は別に良いよ」
エルアクスはその卑屈な姿に若干引いた。
「ありがとうございます!」
「アリステアも、そろそろ本当に良いだろう。緊急の事情があったと言っているのだから、少なくともその事情を聞いてあげるべきじゃないのか」
エルアクスはアリステアをなだめる。当初からそういう役割分担の計画である。脚本家クラハッドによる『あいつは一度上下関係をたたき込んだ方が良い』作戦。土下座という予想外の進行がありながらも役者は頑張っている。
アリステアはため息をついてみせた。いつまでも怒っていても仕方がない。それにフレイ、この神龍は、重要な戦力になる。
「兄上はお優しい。フレイ、緊急事態というのは何があったのか説明してもらおうか」
「は、はい。それを説明するために1人同席させたいのですが」
「いいぞ」
「その、この姿勢だとその者に対する神龍の威厳が……。立ってもいいでしょうか」
アリステアは目を細めた。
「威厳か、お友達枠か、好きな方を選んで良いぞ?」
「このままの姿勢で進めさせていただきます!」
フレイは一瞬で威厳の方を諦めた。
フレイの橫に霧のようなもやが立ち上った。もやは次第に濃さを増し、人の形となって、色がついた。長い褐色の髪を垂らした人間の女性だった。彼女もまた、フレイのように古い彫刻でしか見ないような服を着ている。
彼女は傍らで平伏しているフレイを見て一瞬ぎょっとした後、表情を取り繕って同じように平伏した。
「両殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。初めてお目通りをさせていただきます、フェルトと申します。神龍フレイガルド様の巫女をさせていただいております」
彼女はそう名乗った。
「私がフレイガルド様をお呼びしたばかりに、姫殿下のご機嫌を損ねることとなってしまったこと、私からも謝罪をさせていただきたく存じます。その罰はどうか私にお与えください」
柔らかな粛々とした物言いである。アリステアが本気で怒っていても宥められてしまいそうな不思議な響きがあった。
「良い。緊急事態とは何であるか、そなたが説明してくれるということかな?」
「はい、殿下。実は今、こちらの偉大なる神龍様が餓死しそうなために、このままでは私たち神龍の民全員も餓死してしまう瀬戸際にあるのです」
「……」
アリステアたちはどう反応したら良いのか迷った。一体どういうことなのか。
「餓死、とは?」
最も立ち直るのが早かったのはクラハッドだった。
「文字通りの意味でございます。先ほど神龍様が行われた攻撃で、神龍様に残された魔力は、水筒の底の最後の一滴にもならないほどになりました」
「つまり、魔力が枯渇する?」
「はい。あれほど力を込めた攻撃さえしなければ大丈夫だったのですが……。このポンコツが加減を知りませんで」
アリステアは愕然としていた。彼女の言うことが本当であれば、現在あのような攻撃はもうできないということを意味していた。
(帝都奪還、ヴァルカニア撃退の夢が……)
全ての計算が崩れていっていた。
「いやぁ、その、アリーと友達になれたから舞い上がっちゃってさ」
当のポンコツ神龍は、いかにもポンコツなことを言った。
「お腹すいたなぁ。アリーが腰に下げてる剣、すごく美味しそうだなぁ」
そして口からよだれを垂らした。
「これは食べ物じゃないぞ!?」
アリステアがとっさに椅子から立ち上がって腰の剣をフレイの目線から隠した。
「実は、神龍様は、強い魔力を持ったものが大好物なのです」
フェルトのフォローがフォローになっていない。
「じょ、冗談ではない。この剣は帝国建国以来帝室に受け継がれてきた由緒正しき聖剣だぞ。お前に食わせるなどありえんっ!!」
「そんなぁ」
悲しそうな声を上げたフレイの頭をフェルトのげんこつが襲った。
「殿下、バカ龍が失礼をいたしました。神龍様、人の持ち物を欲しがるなんて、なんとはしたない。め! です!」
「はい……」
フレイはしおらしくなった。もはやそこに神龍としての威厳はなかった。始めからなかった疑いもあるが。
クラハッドが咳払いをした。
「それで、食いしん坊のクソガキ神龍が飢えていることと、全員が餓死してしまう、との繋がりはどういうことなのです?」
話を本筋に戻す、いい質問であった。
「ありがとうございます。クラハッド様。実は、私どもは神龍様の体の中の空間で暮らしているのです」
「体の中」
「はい。私たち神龍の民2千名、神龍様の加護のもと、この中で生きているのです」
2千人となれば、大きな町レベルだ。それほどの人口がこの砦を背に乗せた神龍の中で暮らせるものだろうか。
アリステアは砦の大きさから内部空間の広さを想像してみた。神龍の胴体は、おおむね砦の外周と同じくらいの大きさだ。神龍の背の上に砦がすっぽり乗っかっている。そしてこの砦は千人も入れば満杯になる程度の大きさだ。この広さではどう考えても2千人が生きていけるだけの空間があるとは思えなかった。
「にわかには信じがたいが、どのように生活しているのだ?」
「ぜひその目でお確かめいただければと思います。そうすれば、私たちの置かれた状況もご理解いただけることと思います」
「分かった、行こう」




