3 告られる
「……死?」
エルアクスが少し抜けた声を出した。
「もちろん偽装です。兄上が生きている限り、奴らは追ってくるでしょう。そこでここで死んだことにしてしまうのです」
アリステアが説明するとようやくエルアクスも理解したようだった。
「そ、そういうことか。驚いたよ。可能なのか?」
問いかけてくるエルアクスには答えず、アリステアはクラハッドに視線を向けた。
「クラハッド団長も、それでよろしいか?」
何が、の抜けた質問に、クラハッドはため息をついた。お前なら分かるだろといわんばかりの聞き方だ。
「やむを得ないですね」
クラハッドの同意を得て、アリステアは視線をエルアクスに戻した。
「失礼しました、兄上。もちろん、上手く偽装して見せなければなりません。そこで、兄上の鎧をお貸しいただきたいのです」
「構わないが、どうするつもりなんだ?」
「私とクラハッドでこの砦にこもり、ヴァルカニア軍を迎え撃ちます。私は兄上になり切って敵に姿を見せるようにします。その間に兄上には砦を脱出していただきます」
「ふむふむ」
「こちらは少数、守り切ることは困難でしょう。そこで守り切れないとなったところで兄上になりきった私は敵軍に突撃し、敵に斬られます。最後はクラハッドに任せ、死体で判別ができないようにしてもらいます」
「……ま、待て。それはアリステアが死ぬということじゃないのか?」
エルアクスはその作戦の内容に怯えていた。
「クラハッドが隣にいれば、間違いなく敵は私を兄上と信じるでしょう。そして致命傷になりうる傷も負ってみせねば生存が疑われます」
「そ、それは……」
エルアクスは言葉を失っている。
「ク、クラハッド?」
それしか手はないのか、とエルアクス。
「申し訳ありません、殿下。今砦にいる騎士団の者に殿下の鎧を着られる体格の者はおらず、アリステア様以外に適任者がおりません。この作戦にするべきだと私も思います」
「いや、だが……」
「皇太子たる兄上と私では命の価値が異なります。ご理解ください」
アリステアは押した。自分の命が軽いのではない。皇太子の命が重すぎるのである。
「だが、そう簡単に死ぬなどと……」
「皇帝の子として、帝国のためにこの命を使うのは当然のことです」
皇帝の子とは政治的な道具である。そう生まれたのならそうあるべきだ。そういう考えがアリステアの根本にあった。
「それに、撃退できそうなら撃退してやるつもりです。無駄に死ぬつもりはありません」
エルアクスは黙った。
他に本当に手はないのかと考えているのだろう。そこを納得すればエルアクスは首を縦に振るしかない。アリステアはエルアクスがあきらめるのを待った。
しばらくして、エルアクスがため息を一つ吐いた。
「……他に手はないか」
落ちた。
「ではさっそく―――」
アリステアが準備に入ろうとしたとき、部屋に拍手の音が響いた。
エルアクスではない。クラハッドでもない。もちろんアリステアも違う。
アリステアとクラハッドが腰の剣に手をやりつつ、部屋中に視線を走らせた。
音の響きから、拍手の主は部屋の中にいるはずだった。だがドアが開いた気配すらなかったのだ。
部屋の真ん中に男が一人現れていた。
かなり古い絵画でしか見ないような服装をした30歳くらいの若い男だ。金髪金眼、顔立ちは整っているといっていいだろう。だがその額の生え際と側頭部に生える角が、明らかに人間ではないことを示していた。
「何者だ!」
クラハッドが誰何の声と共にその男を斬った。
男はよけもせず、クラハッドの方を見ることもしなかった。男を両断するはずの剣は、男の体をすり抜けてしまいただ空を斬っただけだった。
(なんなんだ、この男は)
魔術によって作られた幻像だろうか。果たして敵か味方か。
「素晴らしいお嬢さん。あなたの名前を教えてもらえないだろうか?」
その男はただアリステアを見ていて、その前に片膝をついた。
「まず貴殿の方から名乗るべきではないか?」
アリステアが返すと、男は大げさに手を広げて見せた。
「その通りだ! これは失礼した。俺の名前はフレイガルドという。さて、美しいお嬢さんのお名前は?」
クラハッドのこめかみに力が入った。偽名を使うにしてもこれでは嘘を自白しているようなものだと思ったのだ。それは帝国の名であり、帝室のファミリーネームだ。
(美しいお嬢さんだなんて。3年ぶり、いや5年ぶりかな。名前は嘘だろうが、ご褒美として名を教えるくらい、いいだろうな)
そんなことで喜んでいるアリステアだが、顔は鉄面皮である。
「私はアリステア。アリステア・フレイガルドという」
「アリステア! 良い名だ! 凛としていて誰にも屈さない芯の強い響きがある!」
男は天を仰いだあと自身の両肩を抱いて感極まっていた。
「ではアリステア嬢。どうか俺のお嫁さんになってもらえないだろうか?」
男は素早い動きでアリステアの手を取ると、誰も予想していなかった申し出をしてきた。
どうやら剣はすり抜けるが手を取ることはできるらしい。都合がいい存在である。
「なぜ?」
「久しぶりにここに人間が来たから、砦の様子をずっと見てたんだ。この状況であんなこと言いながら、君、全然諦めてないだろう。
君みたいな不屈の心を持つ強い魂の子を探し求めていたんだ! もしお嫁さんになってくれるのなら、俺は役に立つよ!」
めちゃくちゃだ。
だがアリステアは情報を得ることを優先することにした。
「どうやって?」
「見せた方が早いよ」
「説明できないのか?」
「秘密の方がかっこいいだろ?」
「……胡散臭いな」
「謎めいてるって言ってくれよ」
「そうか。なら答えを言おう。残念だがお断りだ。私には婚約者もいるしな」
アリステアは男の手を払い断った。男は口を大きく開いて、顔いっぱいに『ガーン』という表情を浮かべた。
「こ、ここ、婚約者っていっても人間だろ? じゃあ俺はノーカンだよ、人間じゃないし!」
「害をなすものではなさそうだが、さっさと消えろ」
話は終わりだとアリステアは男から視線をはずしエルアクスに向き直った。
「さ、兄上。準備を進めましょう」
アリステアはこの後あれこれと訴えてくる男を無視し続けた。
エルアクスの軍装を受け取ると部屋に戻ってそれに着替え、城壁の上へ。
「姫様、あいつはよろしいのですか」
アリステアが城壁に来るのを見たクラハッドが寄ってきて一瞬その背後に目線をやった。
さきほどフレイガルドと名乗った金髪の男がアリステアの後をついてきている。声をかけても無視されることに耐えられなくなったのかもう何も言わなくなっていた。
「邪魔ではあるが、さっきお前斬れなかっただろう。斬る方法が分からないうちはどうしようもない」
「そうですね」
クラハッドもそれ以上何も言わないことに決めた。
城壁上から見ると、こちらに向かってくる軍勢がよく見えた。2千名のヴァルカニア軍だ。
その中から一騎の騎兵が走り出てきた。手には弓。城壁の手前で大きく仰角を取って弓を引くと、その矢を放ってきた。
攻撃のためのものではない。その矢には矢じりがついておらず、代わりに紙が結び付けられていることが最初から見えていた。
矢が城壁の上に落ちた。
兵士の一人がそれを拾ってクラハッドに持ってきた。
クラハッドは矢から紙をはずして開き一瞥すると、アリステアにそれを渡してきた。
手紙であった。
そこには、エルアクスとアリステアに降伏を勧告する内容が記されていた。
(もう私がここにいることを知られたのか)
アリステアはまずそれに驚き、次に末尾に書かれている名に驚いた。
アリステアはヴァルカニア軍に再び目をやった。じっと注視すると、その中に一人帝国貴族の軍装をした者がいることを見て取った。
そして手紙の内容である。
中身を読んで、アリステアの手の中で手紙が握りつぶされた。
「裏切ったか、レイノーッ……!!」
レイノー、それが手紙の差出人の名だった。そう、アリステアの婚約者である。




