2 不屈の姫将軍
アリステアは帝都から逃げる人の集団の中に騎士の姿を見つけ、声をかけることができた。
近衛である神龍騎士団の副団長、レグルドであった。
「皇太子殿下は、ノルフレイガルド砦に退避しておられます」
帝都からさほど遠くない古い砦だ。建国の宣言が行われたという由緒ある砦だが、場所的に要衝でもなく、普段は無人となっているさびれた砦だ。
「建国の地で再起をはかるということ、それと砦は山の上にあるために帝都を襲ったあの岩亀にも対応できるだろうとのことです」
「なるほど、理解した」
理屈は通っている。
「私もそこに行こう。兄上と話すべきこともある」
「分かりました。ご案内いたします」
アリステアはレグルドの案内でノルフレイガルド砦へと足を向けた。
砦は帝都から2日ほど行った山奥にある。規模は小さいが、厚い石壁と堅牢な城門を備え、建国の地に相応しい立派な造りの砦だった。ただ、長年使われていないため石壁は黒ずみ、あちこちに苔が浮いている。
砦に着くとアリステアはまず鎧を脱いで身を清めた。ファフヌル平原での戦い以来鎧を脱ぐ間もなく、汗と汚れが限界だったためだ。
このような状況とはいえ、皇女が汗臭く髪もべたつかせていたのでは、兄とはいえ皇太子と話をするのはよろしくない。絶対にだ。
入浴して体を清めた上できれいな服に着替え、アリステアは皇太子が待つ部屋へと向かった。
皇太子エルアクスは椅子に座って待っていた。左手を布で体の前に吊り下げ、左足にも添え木代わりの短剣を当てて包帯が巻かれている。アリステアの兄だけあって、2人の外見はよく似ていた。
「見苦しい姿ですまないな」
「ご無事で何よりです」
アリステアはエルアクスの前の椅子に腰かけた。
「ファフヌル平原の状況は?」
「負けました。お父様はファルテの町で敵軍を防ごうとされています」
「そうか。我々も帝都を守ることができなかった。ふがいなくて申し訳ない」
「ファフヌル平原でもいいようにやられました。笑うことはできません」
アリステアの慰めとも取れる言葉にエルアクスは弱々しく笑った。少し気が弱っているのだろうな、とアリステアは思った。
元々エルアクスは武よりも文に長けていたし、本人の気質としてもそうだった。帝都が襲撃され逃げるしかなかったというのは、精神的に大きなダメージをもたらすだろう。
一方のアリステアは衝撃を受けている暇も無かった。
「兄上、お父様からこれを預かってきました」
アリステアはさっそく箱をテーブルの上に出して開けた。
エルアクスの目が大きく開かれた。
「王笏……」
「万が一に備えて兄上にと」
「……父上は死ぬ気なのだな」
エルアクスはその意味を正しく理解して落涙した。
「なんたること。父上を失い、帝都を失い、どうすればいいのか……」
エルアクスはみるからに動揺している。アリステアはぐっと腹に力を入れた。
エルアクスの感傷に彼女まで引き込まれてはならない。今は何が何でも奮起し立ち向かわなければならない時だ。泣いている暇などない。
「兄上、これは帝国の危機です」
「あ、あぁ。そうだな」
言うまでもないことだが、言葉にして確認しておくということは非常に大切だ。
「共にこの危機を乗り越えましょう」
そう呼びかけると、エルアクスは不思議なものを見るかのような目をしてきた。
「なんですか?」
「いや、その、なんだ。私は、お前が戦いに関することばかりに興味を持つのは、皇女としてふさわしくないと思っていたんだが、このようなことになると、本当に頼もしいなと思ってな」
「兄上、淑女に向かって頼もしいとは失礼ですよ」
アリステアは笑顔で反撃しておいた。
(もっとも、もう何年も淑女扱いされたことなんてないけど。ちょっとひどくないか)
「はは、そうだな。すまない。これからも頼むよ」
アリステアは話を終えると、自室としてあてがわれた部屋へと戻ってベッドに潜り込んだ。
久しぶりにきちんとした寝台を使うことができる。アリステアは睡眠不足を取り戻すべく早々と夢の国に旅立った。
翌日目を覚ましたころには、太陽はかなり上の方まで昇っていた。昼食のために煮炊きする匂いがそのへんに漂っている。
普段ならレイナが起きて来るはずだが、レイナはアリステアほどの化物体力の持ち主ではない。ファフヌル平原からここまでほぼノンストップの強行軍だった。疲れてまだ寝ているのかも知れなかった。
アリステアは寝癖を手でぱぱっと雑に整えると部屋から出た。
匂いだけを頼りに調理をしている場所を見つけ出すと、兵士に頼んで煮ている最中のそれを出してもらった。
鶏肉と野菜のシチューにパン、それがメニューである。
まずはスプーンでシチューに入っている芋を半分に割り、口に運ぶ。
(ふふ、まだ早いかと思ったが野菜の甘みが出ているな)
アリステアは満足げに次の一口に取り掛かった。
「姫様、何をなさっているのです?」
もぐもぐとやっていると、いかにも騎士という雰囲気の男が声をかけてきた。
つ、と目を向ければ、声の主は神龍騎士団長のクラハッドだった。やはりいたか、とアリステアは思った。灰褐色の髪を後頭部でまとめ真面目な顔をしているが、赤い瞳がやけに挑戦的である。アリステアは彼のことを殺しても死なないような男だと思っていた。
「見て分からないのか。食べれる時に食べておいているのだ」
アリステアはもっともらしいことを言って食べる手を止めない。
「分かるから呆れているのです」
「お前も食うか?」
「後ほどいただきます。私は規律を守らせる側の人間ですから」
「そうか。じゃあ教えてほしいんだが、この砦には今何人いる?」
「300人ですね」
「やはり少ないな」
300人程度では、敵の軍勢が来ればなすすべなくやられるだけだ。
「はい。なので副団長レグルドに帝都周辺へ行かせ、まだやる気のある兵を集めようとしていたのです。それなのにあいつは姫様を案内するという栄光を得てしまい、兵は見つけられなかったようですが」
「あれは実に運が良かった」
アリステアはクラハッドの皮肉を知らん振りした。アリステアが嫌いなのではなく、こういう男なのである。むしろこういう姿勢でありながら近衛の騎士団長をできるというところにこの男の凄さがある。
「で、騎士団長殿はこれからどう考える」
「敵に気付かれるまでにどれだけの兵をそろえられるかが勝負です」
「普通だな」
「軍事とは普通を積み重ねるものですよ」
「奇策士クラハッドが言うと含蓄があるな。だが―――」
アリステアはたった今駆け込んできた兵士に目を向けた。明らかに尋常ではなさそうで、緊急の事態が起こったに違いなかった。
「大変です、団長!」
言いながら、その騎士はアリステアに気が付いて直立不動の姿勢を取った。
「姫殿下におかれましてはご機嫌麗しく! お目にかかれて光栄であります!」
「見ろクラハッド、これが理想的な臣下の姿だぞ」
「幸運なことに彼はまだ姫様の真の姿を知らないのです。何があった、トマス?」
「ヴァルカニア王国の軍勢です、その数2千!」
時間というのは欲しい時には与えられないものだ。
「トマス、お前はすぐに皇太子殿下にも報告し、私も行くと伝えろ。その後は皆に飯を食わせて広間に集まらせておけ」
「はっ!」
トマスが駆けだしていった。
「クラハッド。私も行くから、お前もパンくらい腹に入れておけ」
「分かりました、姫様」
クラハッドはおとなしくアリステアの言葉に従った。間違いなくこの後食べる暇もなくなることが分かりきっていたからだった。300対2千。砦の防御施設があるとはいえかなり心もとない。
アリステアとクラハッドは食事をとった後、エルアクスの居室に向かった。
「あぁ、アリステア、クラハッド。どうしたらいいと思う?」
エルアクスは明らかに狼狽していた。
アリステアはここに来るまでに考えた案を述べることにした。
「兄上、私に考えがあります。兄上にはここで死んでもらいましょう」




