26 切り札
エルアクス軍は帝都に向けて歩みを進めていた。
行軍中、ヴァルカニア軍は影も形も見えない。偵察をしてもヴァルカニア軍が迎撃に来るような気配がまるでなかった。
「そろそろ帝都に着いちまうぞ?」
兵たちの間にそんな会話が交わされるようになった。
「もしかして、勝てないとわかって逃げたんじゃないか?」
「大軍だもんな、俺たち!」
兵士たちの会話など暢気なものである。それに反比例して、エルアクスとクラハッドの緊張感は高まっていた。
迎撃には来ない。しかし逃げたという情報もない。これはもう罠があるぞと言われているようなものだった。
「報告、報告!」
そしてついにそれがきた。斥候に出していた神龍騎士団員が、馬を並べているエルアクスとクラハッドの元に大急ぎで走り込んできた。
「何を見た、ノゼル」
クラハッドが尋ねた。
「こ、こここ、皇宮が歩いてきております!」
その言葉を聞いた者は最初何を言われているのか理解できなかった。
「落ち着いて話してくれ」
「は、はい。私が見たのは、確かに皇宮だったのです。見覚えのある塔、窓の並び、装飾、間違いありません。しかし、形が。岩亀のように四つ足を生やして歩いてきているのです」
岩亀のように。
「まさか」
クラハッドの脳裏に、フレイが岩亀の核を食べたことでただの岩山に戻った岩亀のことがよぎった。もしや逆もまた然り、核を付ければ岩山ではないものも岩亀に変えることができるのではないだろうか。
「やつら、皇宮を岩亀に仕立て上げたんだ」
クラハッドはそうだと思った。これがヴァルカニア軍の切り札。岩亀はもう1つあったんじゃない。もう1つ作り出せたのだ。
「諸侯軍含めた全軍に通達! ただちに戦闘隊形に移行だ! ノゼル、岩亀がここに着くまであとどれくらいと見積もる?」
「はっ。おそらくあと3時間ほどかと」
「隊列を変えつつ軍議の準備だ、すぐに諸侯を集めろ!」
エルアクス軍があわただしく動き始めた。
街道を歩いて進むための縦隊から横隊へと。そして諸侯や千人長がエルアクスのもとに集められた。
「やっと敵が来ましたか」
バルゲスト伯爵はやる気十分という様子であった。他の諸侯も似たり寄ったりである。
「来た。それも、例の岩亀が一基だ」
「ほう、ファフヌル平原で帝国軍を焼き、帝都をも焼いたというあの。アリステア様が奪われたのではなかったのですか?」
「もう一基あったようなのだ」
クラハッドはあえて詳細を省いた。
「なるほど。それで、戦うのですね?」
バルゲスト伯爵の言葉に、クラハッドは頷いた。
「奴の特性はもはや分かっている。軍はなるべく散開して展開する。一撃で受ける損害を小さくするためだ。
そして、騎兵で横や背後に回り込み、足元に対して泥濘化の魔術を仕掛ける。足を沈めて背に乗り移り、背中の中央にある核の破壊または切除を狙う」
クラハッドは作戦の概略を説明した。
「なるほど、作戦はすでに練られていたのですね」
「帝国軍が、そう何度も同じ相手にいいようにやられるわけにはいかない」
「頼もしい。さすがは神龍騎士団長殿だ!」
バルゲスト伯爵は素直に賞賛の言葉を口にした。
「方針に異議のある者はいないか? いなければ詳細を詰めていきたいと思う」
エルアクスの言葉に異論は出なかった。皆、岩亀と戦い、そして奪取した経験のあるクラハッドの言葉を信頼していた。
「では―――」
エルアクス軍は作戦の準備を進めていった。
地平線から、それが顔を出した。
それは確かに皇宮だった。
頭部には庭に建てられていた東屋がそのまま乗っかっていて、背は白い石で造られた3階建ての皇宮そのもの。尖塔が何本か肩や尻尾から突き出している。足には城壁が張り付いているようだった。
皇宮が、土台の土ごと岩亀になった姿だった。
そのあまりにも異質な姿に、エルアクス軍の者たちは言葉を失った。
現在の皇宮は約100年前に建て直されたもので、帝国の威信の高さを示す素晴らしい建物だった。
それがいま、四つ足を生やした姿で敵として歩いてきている。
冗談のようであった。
「騎兵隊、かかれぇー!」
クラハッドの命令が兵士たちを正気に戻した。
作戦開始のラッパが鳴らされ、両翼に展開した騎兵たちが機動を始めた。
火球攻撃を食らわないよう、大きく迂回しながら側背を目指して回り込んでいく。
皇宮岩亀は両側から迫ってくる騎兵たちに首を巡らせて観察したようだったが、口を開くことはしなかった。
火球攻撃はしないのか。
誰もがそう思った瞬間、背から生えていた尖塔の一つが強烈な光を放った。光は一条の光線となって一直線に皇宮岩亀の右側を走る騎兵たちへと向かい、薙ぎ払った。
光の直撃を受けた騎兵が馬もろとも体を切断され、その後に光が当たった地面が発熱、膨張して爆発を起こした。
未知の攻撃手段であった。
皇宮岩亀が左前脚を上げ、その場に踏みつけた。
ずしん、と地面が揺れたかと思うと、その足元から氷が広がり、左側から回り込もうとした騎兵たちの足元まで達した。馬の蹄が氷で滑り、騎兵たちが転倒した。
皇宮岩亀はもう一度左前脚を踏み鳴らした。
すると広がった氷から棘状の氷が一斉に生え、氷の上に倒れた馬と人間を串刺しにした。
どちらの騎兵隊も一瞬で壊滅した。
「……クラハッド」
その光景を見たエルアクスが、呆然としてクラハッドを呼んだ。
「はっ」
「奴が攻撃する瞬間、その部位に光るなにかが現れていた」
「はい」
それはクラハッドも見ていた。
「あの形、尖塔に生じた物は秘宝の一つ、光槍ブリュベレット。左前脚はスノーランスの靴だった。あれは、帝国が保有していた秘宝だ……」
エルアクスがその両方を判別していた。帝国の秘宝の大半は人目に触れさせることはない。ただ帝室に連なる者のごく一部だけがそれを見て、管理し、どのような物であるかを受け継いできていた。
皇太子としてエルアクスにはそのすべての知識があった。
「……皇宮だけでなく秘宝の力も取り込んだ岩亀だというのですか」
(そうだ。神龍が岩亀の核を食べたとき、似たようなことがあった。力がよみがえった可能性もあったが、あれは敵の力を奪っていたのだ……)
クラハッドはすぐに真相にたどり着いた。推測できるだけの情報はあったのに、それに今まで気づかなかった。
クラハッドは両手を握りしめた。
「殿下、ということは、あやつは今、皇宮にあった帝国の秘宝のほとんどをそのまま兵器として使えるということでは?」
「……そうだな。無理だ」
そう、無理だ。
膨大な帝国の秘宝の数々、神話の時代から継承されてきた超兵装たち。それを、皇宮岩亀はそのサイズに見合う威力に拡大して放ってきている。
無理である。
「殿下、撤退を」
「わかった」
クラハッドの進言をエルアクスが認可した。
「撤退だ!」
撤退のラッパが鳴る。
兵士たちも、騎兵が瞬く間に薙ぎ払われたのを見ている。そんな中逃げていいと言われたのである。
半分以上が新兵に毛が生えた程度でしかないエルアクス軍は、たちまち崩壊した。




