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25 山地の突破

 熱狂。

 それは軍事的には利点をもたらすと同時に、危険ももたらす諸刃の剣である。

 しかしこの時においては、それは完全に長所だけを発揮していた。


 ルーク隊とレイナ隊は、前日の戦闘においてかなりの時間アリステアと共に戦っていた。それゆえ、彼らのアリステアへの思いはすでに信仰とさえ呼べるほどの域に達していた。

 その一方で他の隊についてはまだそこまでのものはない。

 その温度差がちょうど危険を打ち消すように働いた。2隊が驚異的な突破力で敵陣に打ち込まれるくさびとなり、他隊がしっかりとそれを広げるという理想的な攻撃が完成していたのである。


「ルークごときに先を越されるとは。かくなるうえは直属である我々が戦果で負けてはなりません。いざ姫薔薇のために!」


 この日のレイナは、アリステアの後ろでその火に油を注ぐ係であった。アリステアは姫薔薇呼びに苦笑しながらも、やめさせようとはしなかった。


 帝国軍が正攻法の強攻でくれば、ベガートも奇抜なことはできない。突破されそうなところに予備隊を送り、最終的には放棄を指示して防衛線を下げ、一つ一つの攻撃に対処していかなければならなかった。

 地道な戦いである。


 この日、アリステアたちはヴァルカニア陣地の下から3分の1を突破した。


 明くる日も帝国軍はひたすら押しに押した。

 士気が上限突破しているような帝国軍の猛攻、傷ついても怯まずにより深く踏み込んでくる兵士たちを前に、ヴァルカニア軍は押されっぱなしにならざるを得なかった。


「いかんなこれは」


 帝国軍の一部がヴァルカニア軍の退路を断つかのように山腹を横に移動し始めたのを見て、ベガートは両手を上げた。


「これ以上は厳しいですね」


 部下も同じ結論に至っていた。


「あぁ。手筈通りに撤退しよう」


 ベガートは用意していた手札を切ることにした。ベガート率いる騎兵が前線に出て、歩兵たちを順次山の上の方へと徹底させ始めた。

 そして歩兵の撤退が終わると、その道を落石や丸太でふさぎ、一時的に帝国軍が登ってこられない障害物としたのである。


 そして最後、ベガートたちは退路に向けて一斉に山を下って突撃した。

 ヴァルカニア軍は退路を断とうとしていた部隊を蹴散らして道を確保すると、整然と帝都の方面へと走っていったのだった。


 こうしてアリステアたちは帝都への道を確保した。アリステアには知る由もなかったが、それはベガートの当初の狙いよりも1日半近く早い突破であった。


「勝ち切らせてはくれませんでしたな」


 オラリオ男爵はそう口にしながらも全く残念そうではなかった。


「無事突破した。十分な勝利さ」

「そうですね。さて、損害ですが、死者は現時点で146人、動かせない重傷者は203人といったところです。それ以下の軽傷者は多いですが」

「速やかに収容を。けが人については事前に取り決めた通りにな」

「はい」


 アリステア軍は、死傷者を含む全軍を神龍に収容し、エルアクス軍との合流予定地点へと進み始めた。




 エルアクス軍1万3千名は、フィーラン街道を進み、既に予定された合流地点にいた。

 新兵7千名に諸侯兵6千からなる連合軍である。


「殿下、今すぐ帝都へ向けて進軍いたしましょう」


 エルアクスの幕舎を訪れたバルゲスト伯爵は、そう訴え出てきた。


「伯爵、我々は昨日ここに着いたばかりだし、予定の合流日にもまだ余裕があるではないか?」


 エルアクスはバルゲスト伯爵の提案に消極的であった。


「えぇ、そうですとも。しかし、今こそチャンスなのではありませんか?」

「チャンス、か」


 エルアクスはバルゲストの言葉に悩む様子を見せた。彼が連れてきた騎兵1千のことはもちろんのこと、将来侯爵位を継ぐだろう有力貴族ということも含めて、エルアクスは彼を尊重してやらねばならないのだった。


「えぇ。このあたりの農民から、ヴァルカニア軍がアリステア殿下の軍勢を迎え撃ちに行ったという情報が寄せられているのはご存じのことかと思います。

 敵兵は最大でも7千とおっしゃった。それがさらに分散している。今なら帝都はもぬけの殻といっても過言ではありません。行きましょう。行くべきです!」


 バルゲストの鼻息が荒くなったのはその情報が原因である。

 それは確かに無視できない情報だった。アリステア軍が勝つか負けるかに関係なく、今がチャンスだと判断するには十分すぎた。


「アリステアと合流してからという計画だが?」

「我々が計画より早くたどり着いたことは確かです。しかし、勝機がそこにあるのにそれに間に合わないのであれば、アリステア様にはご運がなかったと考えるほかありますまい」


 これは、そもそもアリステアをハブるために別ルートを行かせたんだろう、という指摘でもあった。誤導とはいえそれを匂わせたエルアクスとしては否定しにくいネタである。


「なるほど一理ある。とはいえ、集めたばかりの新兵はまだろくに訓練もできていない。進撃するべきではないと思うが」

「ご安心ください。敵が分散した今、我々諸侯の兵のみで奪還することも可能でありましょう。殿下には後詰として大きく構えていただくという方法もございます。賢くも勇敢な殿下が率いるのです、殿下の指揮があれば新兵もたちまち歴戦の勇士になりましょう!」


 エルアクスにそんな力などない。エルアクスにできることと言えば最初に進め、と命じるくらいのものだ。細かい指揮はクラハッドや神龍騎士団の力を借りなければ何もできないに等しい。エルアクスが指揮すれば歴戦の勇士になるなど、全くあり得ない話である。


 だがエルアクスは、バルゲスト伯爵の言葉の裏を正確に理解していた。

 エルアクスが行かないなら諸侯軍だけで帝都を奪還しにいくぞ、という脅しである。彼はそれを口にするためにただそのような虚構を述べてているに過ぎない。

 ここまで進軍しておいて、諸侯の軍だけで帝都を奪還したとなればエルアクスの面目はなくなる。


「そうか、私は軍事には明るくないが、そういうものなのだろうか」

「帝国存続のために勇ましく立ち上がった殿下のお姿、感激しないものがありましょうか。必ずや神龍の加護があるでしょう」


 しらじらしい会話である。語っている双方とも、それが幻想だと知りながら口にしている。


「そうだな。わかった。卿の進言を入れ、明日にでも出発しよう!」

「明日、でございますか?」


 バルゲスト伯爵は不満そうだった。


「そうだ。むろん私が出ると言えば全軍直ちに動くべきだが、我が兵は今日訓練をしていてすぐ出発できる状況にはない。時間がかかることを許してほしい」


 エルアクスにできることと言えば、そういう理由で出発を一日遅らせることだけであった。その間にアリステアたちが敵軍を秒殺してここにたどり着いてくれれば万事解決である。エルアクスは、アリステアが足止めされてしまったことをまだ知らなかった。


「なるほど、承知いたしました!」


 バルゲスト伯爵は意気揚々と幕舎を出ていった。


 十分離れただろう頃合いを見計らって、エルアクスは拳で机をたたいた。


(くそっ)


 行こうと返答するほかなかった。バルゲスト伯爵の今すぐ攻めようという提案は合理的であったし、分散したヴァルカニア軍なら諸侯軍だけでも撃破できる程度の数だということもよくなかった。それらすべてが、エルアクスが断れない状況を作っていた。


 クラハッドがここにいれば反対しただろう。クラハッドが反対すればエルアクスも腹心の意見を汲んだ、と拒絶の言い訳が立つ。だからこそバルゲスト伯爵はクラハッドのいないタイミングを見計らって訪ねてきたのだ。


 夕方になってエルアクスの元に来たクラハッドは、エルアクスの予想通りのことを言った。


「私は反対です。が、もうどうしようもないのでしょうな」

「そうだ。やられたな」

「ヴァルカニアに、ですね」


 クラハッドの言葉は、エルアクスが合流を待たずに進撃せざるを得ない状況にしたのはヴァルカニアの企みではないか、ということを意味していた。


「あり得るとは思った。だがなぜだ。帝都の岩亀は撃破したのだろう?」


 岩亀なしで兵士同士の戦いになれば、それは練度と数の勝負になり、ヴァルカニアに勝ち目はないのだ。そのためエルアクスはこれがヴァルカニアの罠だと断定できないでいた。


「我々が知らぬところでもう1つある、ということもありえるかもしれません。むしろそう考えなければ、ヴァルカニア軍がアリステア様を迎撃に行ったことの説明が付きません」

「なるほどな。クラハッド、お前には苦労を掛ける」


 クラハッドは無言で頭を下げた。


「岩亀がいる可能性まで含めて作戦を考えておきます」

「うん、頼むよ」


 翌朝、エルアクス軍は帝都に向けて進撃を開始した。


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