20 初日
翌朝、アリステア軍4千5百は神龍の砦から出て、地面の上に整列した。
アリステアはその先頭で馬に跨がり、背の4千5百人が放つ圧を感じていた。
ファフヌル平原で彼女が率いた数の4倍以上。
(だが、できる)
副将のオラリオ男爵は優秀な男だ。その下の千人長は歴戦の神龍騎士団員。指揮官クラスに不安はない。
眼前には、柵を並べ陣を固めたヴァルカニア軍がいる。一見するとファフヌル平原会戦での状況に似ている。
アリステアは腰の剣を抜いた。
帝室の秘宝にしては珍しく、その名が伝わっていない。ただ剣と呼ぶには忍びないので、聖剣と呼ばれていた。
アリステアはそれを頭上に掲げた。
銀色の刀身が陽光に煌めく。
4千5百人の瞳がその輝きを見た。
「かかれ!」
剣を振り下ろし、号令した。『進撃命令』を伝えるラッパが吹き鳴らされた。
先陣を切る名誉を勝ちとった最前列の千人が前進を始めた。
初日の戦いは、軍議でも語られたとおり兵たちに経験を積ませるのが主眼である。
武器を振るより走っている時間の方が長かった新兵たちが歩いて行く。初陣の緊張感が体を硬くさせているが、隊列はさほど乱れていない。
アリステアの初日は、山を攻める兵士の背中を見て終わった。
攻める度に前線の部隊を入れ替え、入れ替えては攻め、攻めては入れ替えまた攻めた。
1段、また1段と敵陣を抜いていく。
だがその速度は遅々として進まない。ヴァルカニア軍の抵抗は頑強であり、陣地をひとつ占領してもその上の陣地から効果的な攻撃がされるように配置されている。
昼過ぎになって、アリステア軍は撤退した。
占領した陣地まで放棄する徹底した撤退であった。
「どう思う?」
戻ってからの軍議で、アリステアは率直な感想を聞いた。
「まごうこと無き初陣新兵の寄せ集めでした。敵は自信を深めたでしょう」
その意図をくみ取ってオラリオ男爵が辛口の感想を述べた。
「その一方、新兵がやりがちな興奮に任せた無謀な突撃が余り発生しなかった分、損害は軽微です」
彼の意見を皮切りに様々な意見が出された。
アリステアはその全てを聞いた。
「ありがとう。では明日は予定通りリフトを使う。私が言うまでもないことだろうが、兵たちを良く休めてやってくれ」
「肉と酒を振る舞いましょう。初陣祝いになりますし、戦いの興奮を落ちつかせ、戦死した者の弔いにもなります」
「そうだな」
「では姫殿下からの振る舞い酒ということで配ります」
「頼む。貴殿らへの振る舞い酒は、勝利の後特別上等な物を用意するから、まだ我慢してくれよ」
アリステアの冗談に一同は笑った。
「酒以外の褒賞もお願いしますよ」
軽口を叩いたのは神龍騎士団員の千人長ルークだった。クラハッドの子飼いの男だけあって彼も口に遠慮が無い。
「もちろんだ。戦功第一になったらデートしてやろうか?」
軽口には軽口で返す。
「誠に光栄な申し出ですが、自分は嫉妬の炎に焼かれたくはありませんので別の物でお願いします」
ルークは逃げた。
夜になって、アリステアは神龍空間内に作られた軍野営地に足を運んだ。
野営地は都市から少し離れた川沿いに設営されている。部隊ごとに区画を分けてテントが張られていた。
あちこちに酒を飲んで楽しそうに火を囲む兵士の集まりができていた。中には怪我をして包帯を巻いている者の姿もある。
行軍中の野営であれば、普通は侵入者や夜襲を警戒して歩哨を立てる。しかしここではその心配をする必要がない。それだけに兵士たちは気を抜いて楽しむことができているようだった。これもまた、神龍での行軍のメリットである。
アリステアは護衛のレイナだけを連れ、兵士の邪魔をしないよう声をかけることもせず、ただ野営地を歩いた。アリステアに気付いて直立した者たちだけには手を振った。
兵たちは総じて元気そうに見えた。
兵士の元気はほとんどそのまま士気のバロメーターになる。この様子であれば明日も十分戦えるだろう。
そんなことを考えながら野営地を見て回っていると、正面からオラリオ男爵が歩いてきていた。
男爵も部下2人だけを連れた少数だ。
「やぁ男爵」
「これは姫殿下。見回りですか?」
「あぁ。明日は大事だからな」
オラリオ男爵は頷いて同意を示した。
「少し一緒に回るか?」
「はっ、お供いたします」
アリステアとオラリオ男爵は並んで歩き始めた。
「殿下、怖ろしいものを手になさいましたな」
「ほう?」
アリステアはオラリオ男爵の言葉に片眉を上げた。
「歩いて行軍する必要が無い、奇襲を受ける心配が無い、新鮮な水の心配も無い、大量の物資と共に行軍でき、そしてそれ自体も強大な兵器になる。誠に怖ろしく思います」
「分かるか」
「もちろん。私は頭が堅い方の人間ですが、目の前で見せられて理解できないほどではありません。ヴァルカニアはあと10基もこのような物を持っているのかと思うと……」
公式の扱いでは神龍は『ヴァルカニアから奪った岩亀』である。
鉱山で戦った岩亀の状況から推測するに、ヴァルカニアの岩亀にはこのような空間は存在しない。
そのためオラリオ男爵の心配は杞憂なのだが、アリステアがそれを訂正してやることは出来なかった。
「ひとつずつ打ち破れば良いだけのことだ。今気にすることもあるまい」
「そうですね。今は目の前の敵に集中いたしましょう。明日の作戦、うまくいくでしょうか」
オラリオ男爵の声は小さかった。表情は言葉と裏腹に笑顔で、いつ兵士たちに見られても不安を与えないよう配慮している。
「不安がないではない。だがそれはリフトの出来の問題ではなく、全く新しい戦術だからだな。やってみなければ分からん」
「はい」
「リフトが上手く動いたら、イゼルを褒めてやってくれよ。あれは天職だな」
「……お心遣い、感謝いたします」
アリステアとオラリオ男爵は、それからしばらく野営地を巡り、別れた。
アリステアが神龍都市に設けた自宅に帰ると、フレイの底抜けの笑顔が出迎えてくれた。
「アリーお帰り!」
フレイの人型に尻尾が付いていれば激しく振られていただろう。
(小さい頃、飼っていた犬がこんな感じだったな)
そう思うとフレイがよく懐いた大型犬に思えてくる。
「ご飯にする? お風呂にする?」
「飯だな」
「オッケー! フェルト、まずご飯だってー!」
フレイが奥の方に声を飛ばした。
「はい!」
フェルトの声だけが返ってきた。
すぐに食卓に料理が並べられていく。パンにシチュー、少々の葡萄酒。シンプルなものである。
「いただきまーす!」
アリステア、レイナ、フレイ、フェルト。妙な組み合わせであった。
軍がいる間フレイに大人しくしていて貰おうと話をしたところ、フレイが夜にアリステアと話せる時間を要求し転がり込んでくることになった。フレイだけでは何もできないのでフェルトが追加で巻き込まれ、その結果の謎の4人グループができあがったのである。
「おいしー、フェルト、料理うまいね!」
「ありがとうございます、神龍様」
フェルトは一応神龍の巫女なので、フレイの世話をできるこの状況に不満はないらしい。
「フレイ、明日はお前も仕事があるからな。頼んだぞ」
「じゃあずっとアリーといられるね!」
戦争が始まってもフレイのノリは変わらないのであった。
アリステアは、いつの間にか、この妙な4人で食卓を囲むことにも違和感を覚えなくなっていた。




