13 逃げろ
人類は、パンに食べ物を挟むのが好きだ。
あらかじめ茹でておいた腸詰肉を、注文が入ってから細い鉄串に刺して火で炙り、少し焦げ目がつき表面がパリッとなったタイミングで引き上げ、薄く切ったパンの上にのせる。その脇にはよく漬け込んだ野菜の漬物少々を添える。
仕上げには茶色いどろりとしたソースをかけて、パンを折りたたむようにして丸め、手に持ちやすくする。
「はいよ」
屋台の店主が手際よく作ったそれを、アリステアとフレイは一つずつ受け取った。
「ホットドッグみたいだ」
「なんだそれは?」
フレイが口にした名詞に心当たりがなく、アリステアは怪訝な顔をした。
「こういうパンにソーセージを挟んだものを昔はそう呼んでたよ」
「へぇ」
「むしろアリーはなんて呼んでるの?」
聞かれてアリステアは困った。宮廷ではもっと手が込んだ料理が出てくる。一方従軍中はただ焼いた肉として、同じように手が汚れないようパンに挟んで出されることが多かった。名称など気にしたことがない。
「……肉?」
「それは食材名だね」
フレイはアリステアにツッコミを入れた。まさかフレイが、である。
「……店主、これにはなにか料理名のようなものがあるのか?」
「そっちのあんちゃんが言ってたろ、ホードグだよ」
「そうか、どうも」
微妙に細部が違うが、おおむね同じだ。アリステアはそう結論付けた。
「いただきまーす」
フレイは歩きながらホットドッグにかぶりついた。
もぐもぐ。
「おいしー!」
「フレイ、その食べた物は一体どうなるんだ?」
素朴な疑問である。
目の前のフレイのこの体は、彼自身の説明によればいわゆる肉体ではない。一番近いものでいえば幽霊だと説明されている。
その幽霊が今目の前で食事をとっている。聞かずにはいられなかった。
「もちろんすぐに魔力に変換されてくよ。魔力量的にはゼロみたいなものだけど、美味しいものを食べるのは楽しみの一つだからね」
無駄に高機能である。
「なるほど、いざとなったらその口に魔石を放り込めばいいわけか」
「いくら俺でも、人間の姿で石を食べてたらびっくり人間扱いされるってことくらいわかるんだけど?」
「さては昔やったな?」
「……」
返事がない、ただの図星のようだ。
アリステアは自らもホットドッグにかぶりついた。甘みのあるソースと酸味の効いた漬物がソーセージに良く合う。
「これは美味いな」
「美味しいよねぇ」
2人の意見が一致した。
ホットドッグは瞬く間に消えた。
「さて、次は―――!?」
どこに向かおうか、と口にしかけたアリステアの背筋を悪寒が走った。
(これは!?)
戦場で何度となく感じた気配。遠くから魔法や弓矢で狙われている気配だ。
(狙撃、まさか暗殺?)
アリステアは一瞬で精神のレベルを闘争まで引き上げ、気配を感じたそちらへ目を向けた。
視線の先20メートル。そこに。
殺意とは違う、しかしそれ並みに濃密な何かを目に宿したイゼルがいた。
「イゼル、なのか……?」
その黒髪、立ち姿、イゼルのはずだ。見間違えるはずもないが、その背から立ち昇る負のオーラで見間違えるようだ。
「む、イゼルだって?」
フレイもイゼルに気付いた。
ゆらり、ゆらりと揺れながらイゼルがゆっくりと歩み寄ってくる。
「アリー、急いで離れよう」
「いや、何か大変なことに巻き込まれた様子じゃないか?」
アリステアの恋愛偏差値は底辺である。アリステアはイゼルの負のオーラの原因を完全に勘違いしていた。
「そういうんじゃないよあれは」
「そうなのか? だが万が一ということもあるだろう。聞いてみなければ」
ゆらりゆらり。ひたりひたり。
イゼルが近づいてくる。
「あぁもう!」
フレイはしびれを切らし、アリステアの手を取ると走り出した。
「おい、フレイ!」
アリステアは抵抗することなく足を合わせた。
「今日一日はデートだろ、邪魔はさせないよ!」
「だが」
「本当に緊急なら騎士の人が来るでしょ。それに本体の方で何かあれば俺にはわかるけど、あっちでは何も起こってないよ。だからあれはトラブルに巻き込まれたんじゃない。あれがトラブルなんだ!」
フレイが喝破した。
「まぁぁぁぁてぇぇぇぇえええ!!!!」
背後からイゼルの怨念が響いた。
「追ってくるぞ!」
「元気そうでしょ! あいつはもう、イゼルじゃない。ただデートを邪魔したいだけの怪物なんだ!」
人の流れをよけながら、フレイとアリステアは走る。
イゼルも標的を逃がすまいと走り出してきていた。
「つまり、逃げ切ればいいわけだな」
アリステアの持ち前の現場力は、「なぜ」よりも「今どうするべきか」をはっきりさせることを要求してきていた。
「そうだよ!」
「よし、わかった。市街の地図は頭に入れてきている。撒くぞフレイ!」
思考が切り替わった。
アリステアが本気を出せば難しくはないはずだった。アリステアとイゼルでは比較するまでもなく体力レベルが違う。古来軍隊とはひたすら走るものであり、アリステアとてその訓練は十分に受けていた。
イゼルが追いかけてこられなくなるまで走り続ける。それでいいはずだった。
角を幾度となく曲がり、遊んでいる子供を紙一重で避け、小屋の屋根に駆け上って隣家へ飛び移り、それを2階の窓から見ていた住民に怒鳴られ、料理のにおいの漂う木箱の陰に隠れ、人込みさえ利用してイゼルを引きはがそうと試みた。
護衛のレイナさえ、アリステアたちの姿を見失いはぐれた。
それでもイゼルは信じられない体力と鋭さで追いすがってきた。
アリステアたちがようやくイゼルが追ってこないのを確認できたころには、もう日が傾き始めていた。
「やっと、か」
アリステアは建物の陰で息を整えていた。額には大粒の汗が浮かび上がっていた。
「しつこかったねぇ」
その横で、フレイは涼しい顔をしている。体力の問題ではない。幽霊ゆえである。
「人間に追いかけられている気がしなかったぞ。あいつ、兵士の才能あるんじゃないか」
「あるかな?」
「兵士に一番必要な才能は、体力だからな」
「うんそうだね」
「……で、だ。フレイ。そろそろ戻らないといけない時間になってしまったな」
まだ日があるうちに町を出て、近くに待機させている神龍まで戻る必要がある。当然それにはタイムリミットがあり、ついさきほどそろそろであることを告げる町の時鐘が鳴っていたところだった。
「そうだね」
「結局半分以上イゼルから逃げるだけだったな、すまない」
逃げ続けているのはデートとは言わないだろう。そう考えてアリステアは謝罪を口にした。
「え? 大丈夫だよ。アリーと走り回るのも楽しかったし」
フレイはいつも通りのほほんとアホな笑顔を浮かべていた。
「そうか。……実は、わたしもちょっと楽しかった」
アリステアも笑顔を返した。
「フレイ」
アリステアは表情を引き締めて呼び掛けた。
「なあに?」
「この町は豊かだと思うか?」
「俺は他の町を知らないからよくわからないけど、活気はあったと思うよ」
「そうだったな」
「アリーはどう見たんだい?」
「豊かだし、戦いへの不安もさほど感じていないようだった。先日ある商人が支配者など誰でもいいと言っていたが、ヴァルカニアは帝都に火をつけるような連中だ。
この町にも同じことをしない保証はない。この町の豊かさは帝国の治世が作ったもの。私はこれを守るために戦うべきだと思った。
そろそろ兄上の呼び掛けに応えた諸侯が集まってくるだろう。フレイ、お前の働きにも期待している」
フレイはいつも通りの様子であっけらかんと笑った。
「そうだね、任せてよー!」
役立つか不安になる笑顔である。
「簡単そうに言うじゃないか」
アリステアの指摘に、フレイはきょとんとした。
「だって、俺には負ける理由がないもの」




