第一話 アルス編 証拠の網——積み重なる糸
王都に戻ってから三日が経った。
南方の支援は後任に引き継いだ。
民の容態は安定している。
しかし——右手の鱗の痕はまだかすかに残っていた。
あの痕を見るたびに、アルスは確かめた。
夜の「誰か」がいる。
同じ体の中に。
同じ目標を持って。
確かめてから——書類を開く。
アルスは執務室の机に向かい、書類の束を開いた。
ガロン典医の件。
七賢院の下部組織「三角商会」との送金記録。
王宮内の不審な人事異動。
軍部の資金流入。
それぞれは細い糸だ。
しかし今や、糸と糸が少しずつ繋がり始めている。
全体の形が、輪郭を持ち始めている。
「シルヴィア」
「はい」
「三角商会の帳簿と、軍部への送金記録——照合できるか」
シルヴィアは既に手元の書類を広げていた。
昨夜のうちに準備を済ませていたのだろう。
「昨夜のうちに照合しました。一致する数字が四件あります。うち二件は、七賢院の賢者三番が管轄する財務部門を経由しています」
「賢者三番まで辿り着いた」
「証拠として出せる水準かどうかは、もう少し精査が必要です。しかし——骨格は見えています。賢者三番の名前と、資金の流れを繋ぐ書類が揃えば、法廷に出せます」
アルスは書類を手に取った。
ページをめくりながら、頭の中で地図を描く。
七賢院の賢者七人。
それぞれが担当部門を持ち、評議会の顔を借りて王国に根を張っている。
賢者一番が全体を統括し、二番が軍事、三番が財務、四番が情報、五番が外交、六番が司法、七番が学術。
その根を一本ずつ、証拠で断つ。
「ライト」
「はい」
「騎士団の調査局——セリア・ハルト調査官に、正式な連絡を取りたい。教会と騎士団の協力体制について、話し合いの場を設けてほしい」
ライトが少し驚いた顔をした。
これまでアルスは、証拠の収集を単独で進めてきた。
騎士団との正式な連携は、初めてだ。
しかしすぐに「承知しました」と言った。
窓の外に目を向けた。
王都の午後の光が、石畳の上に柔らかく落ちている。
今まで、証拠は一人で積んできた。
七賢院の工作を避けながら、誰にも知られないように。
しかし——一人には限界がある。
法廷に出せる証拠を作るには、第三者の目が必要だ。
騎士団の正規の手続きを通じた証拠収集は、法廷での証拠能力が高い。
いくら精度の高い証拠でも、裏社会の「亡者」が集めた証拠では法廷に出せない——そう夜の「誰か」も考えているはずだと、アルスは思っていた。
セリア・ハルト。
あの真っ直ぐな目の女性が、今何を掴んでいるか。
「……早めに」
アルスは言った。
「できれば明日にでも」
「かしこまりました。本日中に連絡を取ります」
ライトが下がった後、シルヴィアが静かに言った。
「セリア・ハルト調査官は優秀です。しかしアルス様——彼女は亡者を追っています。連携の過程で、アルス様の『夜』の件に気づく可能性があります」
「分かっている」
「それでも、連携を選びますか」
アルスは窓の外を見た。
「七賢院を断罪するには、正規の証拠が必要だ。そのためには、セリア・ハルトの力が必要だ。——それだけだ」
シルヴィアは少しの間、アルスを見た。
それから、「分かりました」と言った。
何かを察したような目だった。
しかし何も聞かなかった。
「騎士団と正式に連携する——それだけでいいか」とシルヴィアが聞いた。
「七賢院の証拠を法廷に出すには、正規の手続きが必要だ。騎士団の調査記録として残さなければならない」
「セリア・ハルト調査官を信用するということですか」
「信用する、というより——信用しない理由がない」
シルヴィアは少しの間、アルスを見た。
「アルス様は、この方の動向をよくご存知ですね。以前から注目されていたのですか」
「……少し前から」
アルスは窓の外を見た。
セリア・ハルト。
あの真っ直ぐな目の女性。
なぜ気になっているのか、自分でも説明できない。
しかし——気になっていた。
「分かりました。連絡を入れます」
ライトが手帳を開いた。
「今日中に面会の申し込みをします。明日の昼以降で調整できると思います」
「頼む」
アルスは書類に目を戻した。
七賢院の根を断つ。
証拠を積んで、法廷で断罪する。
その日が、少しずつ近づいている。
窓の外の光が、少し傾いてきた。
「シルヴィア、今日の残りの予定は」
「午後に王宮の財務部門との会議があります。それから、ガロン典医の監視報告が入る予定です」
「ガロンは今でも動いているか」
「はい。七賢院への報告を続けています。ただ——報告の質が、一か月前と比べて著しく落ちている。意図的に薄い情報を渡しているのでしょう」
「怖いんだな」
アルスは静かに言った。
「七賢院も怖い。私も怖い。どちらにも深入りできない」
「泳がせます。七賢院の接触者が動くまで」
「七賢院側がガロンに何かを命じた時——それを記録する。そこが証拠になる」
「承知しました」
シルヴィアが立ち上がった。
「では、会議の準備に入ります」
「頼む」
ライトも立ち上がった。
「アルス様、夕方にセリア・ハルト調査官への連絡を入れます。明日の昼以降で面会の調整をします」
「ああ。よろしく」
二人が部屋を出た後、アルスは一人になった。
机の上に、書類が積まれている。
一枚ずつ、丁寧に読む。
数字を追う。
人の名前を確認する。
これが——昼の仕事だ。
夜の「誰か」は、今頃何をしているのだろう。
同じ書類を、別の場所で読んでいるかもしれない。
「……共有したい」
アルスは呟いた。
いつかは——共有できる日が来る。
そう思いながら、書類に目を戻した。




