第二話 ノクス編 昼の断片——夢の中の声
夜明け前に目が覚めた。
珍しいことだった。
ノクスは通常、夜が明け切る前まで働き日が昇る頃に眠りに就く。
しかし今夜は——まだ夜明け前だというのに目が覚めた。
夢を見ていた。
白いローブが風に揺れている。
子供たちの笑い声が聞こえる。
孤児院の庭——石畳と、小さな花壇と、洗濯物が干された縄。
その庭に、誰かが立っている。
声が聞こえる。
子供の一人が「また来てください」と言っている。
その声に、温かく答える誰かの声。
言葉は聞き取れなかった。
しかし——声の質は、分かった。
自分の声だ。
子供の一人が駆け寄ってきて、その「誰か」の手を引く。
白いローブの裾が翻る。
顔が——こちらを向く直前で、目が覚めた。
「……」
ノクスは天井を見ていた。
隠れ家の天井は、石造りで低い。
ランタンの灯りが揺れている。
夢の中の声がまだ耳の奥に残っている。
言葉にならない声。
しかし——懐かしかった。
懐かしい。
会ったことのないものが懐かしい。
ノクスは起き上がり、水差しの水を飲んだ。
喉が渇いていた。
夢の中で、何かに向かって声を出していた気がした。
いや、夢の中の「俺」が声を出していた。
「……俺には昼の自分がいるのかもしれない」
声に出した。
誰もいない部屋で。
ヴァルガンにそれを告げられた時、ノクスは驚かなかった。
水鏡の顔、廃神殿の碑文、毎朝の右手首の傷——全てが繋がっていた。
ただ、認めることを先延ばしにしていた。
口にすると——思ったよりその言葉は重くなかった。
むしろ、長い間胸につかえていたものが少しだけ動いた感覚があった。
子供たちの声。
白いローブ。
自分の声で子供に答えている「誰か」。
それが——今この瞬間もどこかで動いている。
同じ王都の昼の光の中で。
ノクスは窓を開けた。
夜風が入ってきた。
東の空はまだ暗い。
昼の「俺」が昨日、南方から帰ってきた——エルザがそう報告していた。
支援隊を率いて民を癒して帰ってきた。
南から戻ってきた「俺」と、今この隠れ家は——同じ王都にある。
「今夜はまだ長い」
呟いて、地図に目を戻した。
しかし——いつもより少しだけ地図に集中できなかった。
夢の中の子供たちの顔が、頭の端に残っていた。
ノクスは地図を折りたたんでテーブルの端に置いた。
代わりに証拠書類を手に取った。
今夜整理すべき書類が三枚ある。
ドゥルスが内部から持ち出した、賢者三番の財務記録だ。
数字を追いながらノクスは思った。
昼の「俺」も今頃、書類を読んでいるかもしれない。
神殿の執務室で、ランタンの下で。
同じ夜に、同じことをしている。
違うのは——書類の種類だ。
昼の「俺」は表の書類を読む。
夜の「俺」は裏の書類を読む。
どちらも、七賢院の証拠だ。
「……なるほどな」
ノクスは静かに言った。
表と裏から、同じ組織を追っている。
それが——「二人でやっている」ということか。
書類に目を戻した。
今夜の仕事を終わらせよう。
昼の「俺」も今夜の仕事を終わらせているはずだ。
同じように。
エルザが部屋に入ってきた。
「ノクス様、影糸の新しい情報が入りました」
「報告しろ」
「はい。賢者四番の王宮内接触者——特定できました」
ノクスは書類を置いた。
「全員か」
「はい。工作員リストが確定しました」
「…よし」
ノクスは静かに言った。
「法廷に出せる」
一つ、また一つ、証拠が揃っていく。
これが——今夜の仕事だ。
隠れ家の窓の外、東の空はまだ暗い。
夜はまだ長い。
やるべきことがある。
賢者四番の工作員リストの残り一割を確定させる。
七賢院の次の動きを読む。
シルヴィアの安全を確保する。
しかし——今夜は少しだけ、地図に向かう前に、もう一度目を閉じた。
子供たちの声を、もう少し聞いていたかった。




