表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光と影、二つの魂  作者: そら
第四章 竜と、二つの影
47/54

第四・五話 幕間 オルム視点 ——聖者の手が触れた時

オルム・ハーゲンは医師として三年間働いてきた。


王都の病院で学び、教会の医療部門に入り今は教会直属の医療班の一員だ。


二十四歳。


まだ若いと言われる年齢だがそれなりの経験を積んできたと思っていた。


そう思っていた。


今日の午後まで。


集落の端に一人の老婆がいた。


竜の黒い霧を直接浴びた者だった。


霧は炎ではなく魔力の毒だ。


皮膚の奥まで浸透し細胞を内側から壊していく。


オルムが診た時——もう手の施しようがなかった。


通常の解毒薬は効かない。


回復魔法でも3段階や4段階では表面を撫でるだけだ。


オルムの持つ補助的な回復術では痛みを緩和する程度が限界だった。


「こちらは」


オルムは聖枢機卿に声をかけた。


正直に言うべきか迷ったが言った。


「私どもでは、手が届かない状態です」


聖枢機卿は老婆を見た。


静かな目だった。


悲しむ目でも、諦める目でもない。


ただ——何かを決めた目だった。


膝をついた。


両手を老婆の体の上にかざした。


白金の光が広がった。


オルムは隣で見ていた。


光の量が——おかしかった。


回復魔法の光は段階によって色と密度が違う。


1段階は薄い白。4段階は明るい白。6段階は——文献では「白金」と表現されていた。


しかし今、オルムが見ている光は。


白金どころか、天幕の天井を貫くほど明るい。


光源は聖枢機卿の両手だ。


しかしその光量は太陽を見ているようだった。


周囲の医療班員が思わず目を細めた。


三分。


老婆が目を開けた。


「……痛くない」


老婆が言った。


声に力があった。


オルムは老婆の容態を確認した。


竜の魔力毒が——消えている。


皮膚の色が戻っている。


呼吸が整っている。


脈が安定している。


「……」


オルムは声が出なかった。


聖枢機卿はもう次の重症者へ向かっていた。


穏やかな顔で。


まるで今やったことが日常のように。


竜の魔力毒を三分で完全に除去した例など文献にも存在しない。


オルムは医師として三年間、様々な症例を見てきた。


しかし今日初めて、「限界」という概念が意味を失う瞬間を見た。


「……6段階で、できることですか」


隣にいたライト補佐官にオルムは思わず聞いた。


ライト補佐官は少しの間沈黙してから言った。


「……私も、よく分かりません」


その答えがオルムには一番正直に聞こえた。


夕暮れに全ての治療が終わった。


重症者十三名。


そのうち三名はオルムでは手が届かない状態だった。


三名全員が今夜——生きている。


オルムは手帳を取り出した。


今日の記録を書こうとしてペンが止まった。


「重症三名。竜の魔力毒。聖枢機卿により完全解毒。所要時間三分から五分」——それは書ける。


しかし——それだけでは足りない気がした。


「……何者なんだ」


オルムは手帳にそう書いた。


記録として残す言葉ではないと分かっていた。


しかし——他に書くべき言葉が見つからなかった。


手帳を閉じた。


遠くで聖枢機卿が老婆と話している姿が見えた。


穏やかな声で何かを話している。


老婆が笑っていた。


さっきまで死に向かっていた老婆が笑っていた。


オルムはそれを見て思った。


もう少し長くこの人のそばで働こう。


理由は分からない。


ただ——そう思った。


天幕に戻る途中オルムは空を見上げた。


夕暮れの空が橙色に染まっていた。


今日一日を振り返った。


重症者三名が生きている。


そのうち三名は自分の力では届かなかった。


聖枢機卿が届けた。


その事実は——変わらない。


しかし——聖枢機卿は「私一人では間に合わなかった」と言った。


そうだろうか。


自分たちがいなくても聖枢機卿は重症者を全員救えたはずだ。


それだけの力がある。


しかし——聖枢機卿はそう言わなかった。


「君たちが来てくれたおかげだ」と言った。


その言葉の意味をオルムはしばらく考えた。


強さを持っていて、しかし謙虚に振る舞う——そういう人間をオルムは初めて見た気がした。


「……いつか、あの領域に届きたい」


オルムは独り言を言った。


届けないかもしれない。


6段階に届く者が百年に一人かどうかというのに。


しかし——目標にする価値はある。


そう思った。


テントを後にしながらオルムはライト補佐官に追いついた。


「ライト様」


「はい」


「先ほど、私が6段階について聞きましたね。あの答えは——」


「私も、よく分かりません——でしたね」


ライトは少し止まってから言った。


「正確には——文献で読んだ6段階の定義が、今日の出来事に当てはまらないことは分かっています。しかし、それが何を意味するのかは、私には判断できません」


「そうですか」


「……ただ、一つ言えることがあります」


「何ですか」


「アルス様の力が何段階であれ——それを使う目的が変わることはありません。民のために使う、ということが」


オルムはしばらく黙った。


「……ありがとうございます」


それだけ言って先に歩き始めた。


今日見たことをこれから何年もかけて——意味を考え続けるだろうと思った。


その夜、オルムは星空を見上げながら思った。


医師として三年目が終わる。


四年目は——もっと遠くまで届けたい。


その目標が今日初めて具体的な形を持った気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ