第四話 アルス編 支援の現場——既視感の正体
集落に着いた時、空はまだ明るかった。
黒く焦げた家屋の跡が三軒。
炭になった梁が空に向かって突き出している。
周囲の土地が変色していた。
竜の吐く黒い霧が触れた跡だ。
避難した民が周囲の森の縁に集まっていた。
老人と子供の割合が多い。
若い男たちはすでに片付けに動き始めていた。
アルスは馬車から降りた。
足がこの場所を「知っている」感覚があった。
来たことはないはずだ。
しかし——この匂い、この空気の重さ、焦げた土の色。
どこかで感じたことがある。
夢の断片の中にある光景と重なる。
医療班が動き始める。
負傷者の確認、軽症者への処置、重症者のリストアップ。
アルスは「戦えない聖者」として、民の避難の指揮と重症者への回復魔法を担当した。
一人の老人がアルスに声をかけた。
「竜は……北に行ったと聞きました。王都に向かうんですか」
「騎士団が対処します」アルスは穏やかに答えた。「皆さんは今夜、安全な場所で休んでください」
「竜を——倒した者がいると聞きました」
老人が言った。
「昨夜、北の空で大きな魔力の光が見えたと。竜の炎より白い光が、一瞬だけ——まるで、夜が昼になったような、と言う者もいました」
アルスは手を止めた。
「北の空で?」
「夜中でしたが、明かりが見えたと言う者が複数いまして。それから——静かになったと」
白い光。
——それを聞いた瞬間、胸に「自分がやった」という感覚が走った。
根拠はない。
昨夜、アルスは王都にいた。
南方に向けて出発したのは今朝だ。
しかし——胸の奥に確かにあの感覚がある。
魔力を全解放した時の体の奥から何かが動く感覚。
竜の魔力と向き合った時の根源の反応。
それが昨夜あった——という記憶が朧げにある。
夢か。記憶か。あるいは——
「……そうですか」
アルスはそれだけ言った。
「竜の件は、必ず対処されます。今夜は安心して休んでください」
老人は深く頭を下げた。
アルスは次の患者へ向かいながら右手を一度だけ見た。
手のひらに、ごく薄く、鱗のような模様がある気がした。
その夜、民の治療を終えて天幕の中で横になりながらアルスは考えた。
昨夜の「誰か」が竜と戦いこの手に痕を残した。
そして今日、自分は南で民を癒している。
一つの体が昼と夜で別の仕事をしている。
それが——「二つに分かれている」ということか。
アルスは右手を見た。
「……ありがとう」
呟いた。
夜の「誰か」に向かって。
誰も聞いていない天幕の中でアルスは初めてその言葉を口にした。
その言葉が夜の闇に消えた後、アルスはしばらく目を開けていた。
返事はない。
当然だ。
しかし——体の奥がわずかに温かくなった気がした。
気のせいかもしれない。
しかし——その感覚をアルスは大事にしようと思った。
夜の「誰か」への感謝が確かにそこにある。
その夜、もう一つのことが起きた。
集落の端に重傷者が一人残っていた。
竜の霧を浴びた老婆ではない。
別の者だ——家屋の倒壊に巻き込まれた四十代の農夫だった。
肋骨が数本折れ内臓に損傷がある。
王都まで運ぶには体力が持たない。
「こちらも、難しい状態です」
オルムが小声でアルスに言った。
アルスは農夫を見た。
農夫の妻が夫の手を握っていた。
何も言わずにただ握っていた。
アルスは膝をついた。
「少し痛みが出るかもしれません。しかし——終わったら、楽になります」
農夫は頷いた。
白金の光が広がった。
骨が元の位置に戻る感覚。
損傷した組織が修復される感覚。
細胞があるべき状態に「帰っていく」感覚。
それをアルスは手を通じて感じ取っていた。
二十分。
農夫が、深く息を吸った。
「……痛くない」
農夫が言った。
妻が声を上げた。
声にならない声だった。
アルスは立ち上がり、農夫の手を握った。
「明日から少しずつ動けるようになります。無理をしないでください」
農夫はアルスの手を両手で包んだ。
「……ありがとう、ございます」
その感謝の言葉が、アルスの胸に染み込んだ。
これが——昼の「俺」がやっていることだ。
夜の「誰か」が竜を倒した。
昼の「俺」がその被害を癒す。
二人で一つの仕事をやっている。
夕暮れが近づいた頃、オルムが報告に来た。
「本日の治療が全て完了しました。重症者三名は安定。軽症者は全員、自力で動けるようになっています」
「よかった」
アルスは答えた。
「アルス様が来てくださったおかげです」
「君たちが来てくれたおかげだ。私一人では、軽症者の対応が間に合わなかった」
オルムは少し驚いた顔をした。
聖枢機卿が「私一人では間に合わなかった」と言うとは思っていなかったのかもしれない。
「……私は」
オルムは少し迷ってから言った。
「医師として、まだまだ足りないと思っています。今日、それを改めて感じました」
「それは良いことだ」
アルスは答えた。
「足りないと思える人間が、成長する。十分だと思った瞬間、止まる」
オルムは深く頭を下げた。
その言葉を大事にします——と表情が言っていた。




