ヴァルミナ攻防戦④
<門突破>
高台の縁に、エレナは一人立っていた。
足元の先は、切り立った崖だ。
その下に広がるのは、ヴァルミナの街。
そして、その入口にある門。
——そこを開ける。
それが、彼女の役目だった。
視線を落とす。
門の前では、すでに戦闘が始まっている。
矢が降り注ぎ、それを盾で受け止めるダリウスの姿が見えた。リューン隊もまた、押し上げるように前進している。
だが、進みは鈍い。
門を開けられなければ、あのまま消耗戦になる。
「……みんな、やってるわね」
小さく呟く。
その声に、迷いはなかった。
「早いとこ決めてあげなくちゃ」
エレナは目を閉じ、短く息を整える。
そして——
「風の衣よ……」
詠唱とともに、彼女の周囲に風が集まる。
身体を包み込むように、柔らかな流れとなって纏わりついた。
エレナは一歩、踏み出す。
そのまま、崖から身を投げた。
重力に引かれ、身体が落ちていく。
だが、落下は緩やかだった。
風が彼女を受け止め、速度を削ぎ、静かに導く。
十数メートルの落下。
音もなく、ふわりと着地する。
膝を軽く曲げ、衝撃を殺す。
すぐに顔を上げ、周囲を見渡した。
——気付かれていない。
敵の視線は、すべて門の方へ向いている。
戦闘に意識が集中しているのだ。
だが、それでも油断はできない。
エレナはゆっくりと、影から影へと移動を開始する。
その時。
ふと、正面から一人の野盗が歩いてくるのが見えた。
目が合う。
一瞬、息が止まる。
だが——
男は、そのまま通り過ぎていった。
「……陽炎の効果かしら」
小さく呟く。
出発前にリューンが施した魔法。
完全に姿を消すわけではない。
だが、認識をぼかす。
視線を滑らせる。
それが、今の状況を支えていた。
「……でも万能じゃないわね」
注意を向けられたら露見してしまうだろう。だからこそ、慎重に進む。
少しでも気を抜けば、終わりだ。
門までは、まだ距離がある。
だが、確実に近づいている。
その時、ふと脳裏に浮かんだのは、出発前のやり取りだった。
…
「エレナさん」
意外なことに、声をかけてきたのはフィーネだった。
「何?……フィーネ、だったかしら」
「はい。気軽に呼んでいただいて構いませんよ」
そう言って、彼女は小さな瓶を差し出してきた。
「これを、役に立つかと」
「……これは?」
「日焼け止めです」
「え?」
一瞬、言葉を失う。
だが、フィーネは淡々と続けた。
「ただし、衝撃を与えると爆発します」
「ええっ?!」
思わず声が裏返る。
そのやり取りを見ていたレオンが、すぐに口を挟んだ。
「あっ、それは……。取り扱いには気をつけろよ、エレナ」
「ええ……?」
説明になっていない。
その後、レオンから何があったかを聞いた。
…
——危険な代物。爆発物。
現実に意識を戻す。
エレナは懐に手を当て、小瓶の存在を確認した。
「門の内側で使えば……閂ごと吹き飛ばせる」
そう判断する。
だが、問題は——
「どうやって近づくか、よね」
門前は、さすがに警戒が厳しい。
その時だった。
複数の気配が近づいてくる。
「……!」
即座に反応し、エレナは近くの建物へと滑り込んだ。
息を潜める。
だが、足音は止まらない。
むしろ、こちらに向かってくる。建物に入ってくるようだ。
(まずい……)
陽炎があるといえど、複数の目で見られては流石に見つかってしまう可能性が高い。
視線を走らせる。
隠れる場所。
逃げ場。
そして——
(あれだ!)
目に入ったのは、大きな木箱だった。
中には鉄くずのようなものが詰められている。
迷う暇はない。
エレナはその中に身を滑り込ませた。
直後、扉が開く。
「おい、こっちだ!」
野盗たちが入ってくる。
息を殺す。
動かない。
ただ、じっと。
「これ全部運べってよ……うお、重いな……」
次の瞬間、身体が浮いた。
(えっ……?)
箱ごと持ち上げられる。
揺れる。
運ばれている。
「どうするんですか、こんなもん」
「門の前に置いて補強代わりだとよ。少数相手にビビりすぎだろ」
会話が聞こえる。
——門の前。
(……ラッキー)
思わず、そう思った。このまま辿り着けそうだ。
自力で近づくよりも、ずっと早い。
だが——
この時、まだ知らなかった。
この幸運が、すぐに裏返ることを。
ドン、と音を立てて箱が地面に置かれる。
「しっかり門に寄せとけよ!」
足音が遠ざかっていく。
(よし……)
エレナは、息を整えた。
タイミングを見て出ればいい。
そう思った、その時。
ドン。
さらに衝撃。
(……え?)
上に、何かが置かれる。
さらに、もう一つ、二つと周囲にも置かれる音。
重い。手をふたに当ててみても動く気配がない。
完全に塞がれた。
「こんな箱、何個も持って来れねぇっすよ」
「文句言うな、さっさと行くぞ」
足音が遠ざかる。
静寂。
そして——
(で、出れない……)
完全に閉じ込められていた。
身動きが取れない。
上からの重みで、押し上げることもできない。
だが、すぐそこに門がある。
閂も、すぐ近くにある。
手を伸ばせば届きそうな距離。
なのに——届かない。
(どうする……?)
魔法で壊すか?
だが、それでは目立つ。
意味がない。
思考を巡らせる。
そして——
(……これしかないわね)
結論に至る。
フィーネの小瓶。
元々、これで門を吹き飛ばすつもりだった。
だが、今は——
自分も巻き込まれる。
逃げ場はない。
(シルヴィアの防護はまだ効いている……それに、自分でも重ねる)
風と土の魔法で、即席の防御を構築する。
それでも、不安は消えない。
(……怖いわね)
小さく、呟く。
だが、迷いはない。
「……頼んだわよ」
エレナは小瓶を取り出し、箱の隙間から外へと腕を伸ばす。
そして——
「えいっ!」
地面に叩きつけるように、投げた。
一瞬の静寂。
次の瞬間——
視界が、真っ白に染まった。
轟音が、世界を引き裂いた。




