宴もたけなわ④
<リリスの報告>
魔王城――執務室。
書類の山に囲まれながら、ゼノは淡々とペンを走らせていた。
その静かな空間に、扉をノックする音が響く。
「どうぞ」
扉が開き、リリスが姿を現す。
手にはいつものようにワイングラス。優雅な足取りで部屋へ入ってくる。
リリスはラグノールでの経過を報告するために魔王城へ戻ってきていたのだった。
まずは軽く口頭で伝える。
「……以上になります」
簡潔に、だが要点を押さえた報告だった。合わせて、詳細にまとめた書類を渡す。
ロキからすでに報告を受けていたゼノだったが、当事者から聞くと詳細が分かる。
ゼノは差し出された書類を受け取りながら、軽く頷く。
「そうか、ありがとう」
ぱらぱらとページをめくる。
ラグノール方面の戦況は概ね良好――そのはずだったが。
ゼノの手が、ある箇所で止まった。
「この……港が大爆発したってのはなんだ?」
ロキの報告にもあった話だ。リリスの視線がわずかに泳ぐ。
「それはえっと……そのぉ……」
珍しく言葉を選んでいる。
「意図せずして火薬庫に火が入りまして……」
ゼノは一瞬、無言になった。
「事故じゃないかそれ」
「でも敵に占拠されていた港だったから、結果的には有利に働いたわ」
「……まあ結果オーライか」
少し考え、あっさり流す。
最近はそれくらいでは驚かない。
部下たちが予想外のことをするのにも、すっかり慣れてしまっていた。
再び書類に目を落とす。
「……ん?クラリス?」
ゼノの眉がわずかに動く。そういえばロキからの報告にも名前が出ていたことを思い出しつつ確認する。
「……あのクラリスか?」
リリスはグラスを傾けながら答える。
「ええ、王国軍にいた剣士よ」
ゼノは小さく息を吐く。
「ヴォルクとは大丈夫なのか……?」
かつての戦いで、クラリスはヴォルクに重傷を負わされた。
その記憶が脳裏をよぎる。
リリスは肩をすくめる。
「そのあたりはあまり……気にしていないんじゃないかしら」
「……まあ、あいつらしいか」
深く追及はしない。
そのままページをめくろうとしたところで、リリスが懐から紙を取り出した。
「ところで、これ」
ゼノに差し出す。
「敵が落としたものよ。何か分かるかしら?」
ゼノは紙を受け取り、目を細める。
「……これは」
一瞬で理解した。
「バルヴェルクの印だな」
リリスが眉をひそめる。
「バルヴェルク?砂漠の?」
「ああ。旅をしていた時に何度か見た。公的文書に使われる正式な印だ」
ゼノは紙を軽く叩く。
「これを海賊が持ってるのは……おかしいな」
リリスもグラスを口元に運びながら考える。
「つまり、ただの海賊じゃないってことね」
その時。
コン、コン――
窓を叩く音がした。
リリスが顔を上げる。
「あら、フェンリルの魔鳩ちゃんね」
窓を開けると、一羽の鳩が飛び込んできた。
そのままゼノの肩に止まる。
「……俺宛の手紙だな」
手紙を外し、開く。
「フィーネからか……」
横からリリスも覗き込む。
ゼノの顔がわずかに歪んだ。
「変態聖騎士……」
こめかみを押さえる。
「レオン、何してるんだ……」
かつての親友の名前に、複雑な感情が混じる。
リリスはくすりと笑う。
「でもこの書き方なら、割と気に入ってそうね」
「それよりここよ」
リリスが指で示す。
バルヴェルク印の文書についての記述。
「向こうでも……見つかった?」
ゼノは続きを読む。
「……なるほど」
視線が鋭くなる。
「野盗の拠点はヴァルミナにあるらしい」
リリスの表情が変わる。
「それは聞き捨てならないわね」
すぐに机へ向かい、手紙を書き始める。
「ヴォルクのところに送るわ」
書き終えた紙を鳩に結びつける。
「お願いね」
鳩が飛び立つ。
しかし。
間もなく、また別の鳩が窓を叩いた。
「あら?」
リリスが首を傾げる。
「違う鳩ね……」
今度はゼノの方へ飛んでくる。
「またか?……今度はフローラからだな」
手紙を開く。
目を通した瞬間――
ゼノの動きが止まった。
『フィーネさんがレオンさん達とヴァルミナに行くらしいので、私達も二次会でヴァルミナまで行ってきます。ご飯は食べて帰るつもりです。胃薬は冷蔵庫に入ってます』
沈黙。
「……なぜ?」
ゼノは静かに呟いた。
理解できない。
フィーネがヴァルミナへ行くのはわかる。
捕まっているなら仕方ない。
だが――
フローラがなぜ?
二次会とは何だ?
思考が追いつかない。
その時、扉が勢いよく開いた。
「ただまー」
レミが入ってくる。
ゼノは即座に振り向いた。
「お前!フローラ見張ってろって言っただろ!」
いきなり怒鳴る。
レミは目をぱちぱちさせる。
「え?なになに?」
ゼノは無言で手紙を押し付けた。
レミは目を通し――
「……あっはははは!」
爆笑した。
「さすがあの子はやることが違うね!」
ゼノはこめかみを押さえる。
「だからこうならないように見張ってろって言ったんだがな」
レミは肩をすくめる。
「いやー、ルシアン達の戦闘終わったしもう何もないと思って帰ってきたんだけど……甘かったね!」
ゼノは深く息を吐く。
「あいつは昔から予測できないところがあるんだよ……」
そして、ふと止まる。
「……待て」
顔を上げる。
「戦闘?」
レミを見る。
「ルシアンが戦ったのか?」
「誰と?」
静寂が落ちた。
点と点が、ゆっくりと繋がり始める。
――王国軍。
――フィーネ。
――フローラ。
――ヴァルミナ。
嫌な予感が、胸の奥に広がる。
ゼノは椅子に深くもたれた。
「……誰か、まともに報告できるやつはいないのか……」
天井を見上げる。
その目は、どこか遠くを見ていた。
――魔王の胃痛は、まだ始まったばかりだった。




