混乱する戦場⑮
<ミレイユの魔法攻撃>
高台の上から見下ろす戦場は、まるで荒れ狂う海のようだった。
砂煙が幾筋も立ち上り、金属がぶつかる鈍い音が断続的に響く。怒号と悲鳴が混ざり合い、ひとつの巨大な唸り声となって空を震わせていた。
レオンは崖の縁に立ち、じっとその光景を見つめている。
「……難しい状況だな」
低く呟いた声は、風に溶ける。
視線の先では、ダリウスの陣が魔族の群れに押し込まれていた。盾列は崩れず持ちこたえているが、突撃の勢いは凄まじい。まるで暴走する獣の群れだ。
剣に手が伸びる。
――今なら間に合う。
そう思う自分がいる。
だが、背後には三人。
カイル。リーナ。そしてフィーネ。
カイルは聖騎士団員ではあるが非戦闘員。リーナは救出されたばかりで装備も心許ない。そしてフィーネは――魔族だ。
今はおとなしくしている。だが、完全に信用できる存在ではない。
(俺が前に出れば……この高台は空く)
ここは安全地帯ではない。
戦場を俯瞰し、判断を下すための中枢だ。
もしここが崩れれば、全体が崩壊する。
「頭では分かっているんだがな……」
それでも、胸の奥が焦げるように熱い。
「変態さん、暇そうですね」
横から声がした。
フィーネだ。いつも通りの、どこか抜けた調子。
「暇というわけじゃない」
レオンは視線を外さずに答える。
「あの魔族たちとは知り合いか?」
戦場の奥で指揮を執る影を示す。
「まぁ、知っている人もいますね」
曖昧な返答。
(だいたい知ってますけど)
フィーネは心の中で付け加える。
「あれがフェンリルか?」
「そうですね。のんびりしてるのがフェンリルさんです」
「のんびり、だと?」
確かに魔狼は野盗を翻弄しているが、本気で噛み砕いている様子はない。
「……で、あちらがルシアンですね」
フィーネが別方向を指す。
「知り合いか?」
「いえ、全く。……メイドですので」
レオンはじっとフィーネを見る。
本当か?
だが、それを追及する余裕はなかった。
「戻ったわ!」
振り向くと、エレナが馬を駆けさせて高台に戻ってくる。
その後ろには、ミレイユ。
馬から降りた彼女は、明らかに消耗していた。
「無事だったか」
レオンは一瞬だけ安堵するが、すぐに指揮官の顔へ戻る。
(この消耗具合では大魔法は難しいのではないか……?)
レオンの懸念にエレナも同意見だったようだ。
「魔力を回復するポーション、誰か持ってない?」
「ありますよ」
即座にフィーネが小瓶を差し出した。
―しかし…、
「待て」
カイルが制する。
「そいつの出したものを信用するのか?」
空気がわずかに張り詰める。
カイルの言わんとすることを受け止め、レオンは迷わず瓶を受け取った。
「分かった……俺が先に飲む」
一口、含む。
微かな甘味と、魔力が身体に染みる感覚。
「……問題ない。回復薬だ」
フィーネはふん、と鼻を鳴らす。
「当然です」
ミレイユが飲むと、淡い光が彼女の身体を包んだ。
「……すごい……魔力が戻ってきます」
驚いたのはカイルのほうだった。
「君が作ったのか?」
「はい。薬師もやってますので。……メイドですけど」
「これだけの薬を作れる奴が下っ端か?果たして本当にそうか?」
意味が分からない、とカイルは眉をひそめる。
「カイル、その話は後だ」
レオンが断ち切る。
「ミレイユ、大火球は撃てるか?」
「はい……今なら、二発はいけます」
静かに息を吐くレオン。
「一発は野盗に撃つとして……問題は、残り一発の狙いをどうするかだな」
フィーネのことから頭を切り替えてカイルが言う。
「……普通に考えればダリウス達の正面にいる本隊だろう。脅威度が高いのはあちらだ」
「でも……魔狼が温存されているのも気持ち悪いのよね」
エレナが腕を組む。
レオンは両方を見比べる。
(どちらも正しい)
だからこそ迷う。
「フィーネはどう思う」
「なぜそいつに聞く?……そいつは敵だろ」
カイルが不満げに言う。
「しかし、魔王軍内部からみた意見は貴重だ。おれはそれを聞いてみたい」
レオンの視線を受け、フィーネは少しだけ考える。
(フェンリルさんは本気じゃない……あれは遊びでしょうね。でもルシアンさんは……あの強化魔法を使いましたね。禁止されてたのに)
そしてほんの少し、むっとする。
(そういえばこの前私のポーション、賭け金代わりにしたんですよね……)
「……あちらです」
あちらといいながら、遠くからルシアンを直接指差す。
「理由は?」
「……あまり言いたくは、ないです」
フィーネも流石にポーションを賭け金にされたからとは言いづらかった。
その横でエレナが何かを勘違いしたように目を細める。
(言いづらい理由?こんなに可愛い子が……。まさかあの魔族たちにこれまで嫌がらせをされていた?……そうだとしたら許せないわ)
深読みして勘違いしたエレナのなかに、沸々とした怒りが混み上がってくる。
「……分かったわ。あちらね」
「今ので決めるのか?」
カイルは呆れるが、反対はしない。
「……まあ、俺は最初からその主張だ。反対する理由はない」
レオンはミレイユを見た。
「決まりだな。いけるか?」
一瞬だけ、彼女の瞳が揺れる。
「……はい」
頷きながらミレイユは静かに目を閉じた。
風が止まる。
砂が、ふわりと浮いた。
空気が重くなる。
戦場の喧騒が、遠く感じられる。
遠くでダリウスが顔を上げた。
「……なんだ?」
リューンも気づく。
「魔力の奔流……?」
ルシアンの軍もざわつく。
高台の上、ミレイユの周囲に魔力が渦を巻く。
熱が集束する。
赤い光が膨れ上がる。
空気が軋む。
レオンは深く息を吸い込んだ。
「……よし」
一瞬、すべてが静止したかのようだった。
やがて彼女の瞳が開く。
巨大な火球が、空を焦がすように出現した。




