混乱する戦場⑤
<後退のために>
マーリスは馬上で剣を振るっていた。
駆ける。斬る。離れる。
また駆ける。斬る。離れる。
その繰り返しが、もう何度目なのか分からない。
戦場の音は絶え間なく、息を吐く間すら奪っていく。ひと息つけたと思った瞬間には、また新しい影が寄ってきていた。
「……っ!」
馬の速度に合わせて刃を走らせる。刃先が布を裂くような感触を残し、野盗の一人が崩れる。
だが、すぐ次が来る。
切っても切っても、近寄ってくる数が減らない。
(終わらない……)
喉の奥が熱く、胸が重い。
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。
腕は鉛のようにだるく、剣を振るうたびに肩が軋む。
そして、馬も同じだった。
荒い鼻息が背に伝わる。脚取りが鈍り、地を蹴る感触が少しずつ頼りなくなる。鞍が微かに軋む音まで、やけに鮮明に耳に残った。
人も馬も、消耗が激しい。
それが分かってしまうことが、余計に怖かった。
「白銀殿!」
背後から叫び声が飛ぶ。
振り返らずとも分かる。リューン隊のベテラン兵だ。長く戦場を渡ってきた男で、馬術も経験も、マーリスより上だ。
実際、彼の顔にはまだ余裕があった。
「無茶です! 一度引くべきでは!」
正論だった。
このまま突撃と離脱を繰り返していては、いずれ限界が来る。整える時間を作らねばならない。
だが――。
マーリスは歯を食いしばり、首を振った。
「ダメだ……!」
視界の端。
歩兵の陣が、じわじわと押されている。
包囲の形が、ゆっくりと完成しつつあるのが見えた。
ここで自分が引いた瞬間、歩兵は囲まれる。
囲まれれば、耐え切れない。
崩れれば――戦場そのものが崩壊する。
(私が……踏ん張るしかない)
マーリスは馬首を巡らせながら、手短に指示を飛ばす。
「歩兵に伝えろ! 後退だ! 再集結しろ!」
旗が振られる。
陣の奥が、わずかに動き始める。兵が列を崩さぬまま、少しずつ下がっていく。
――動いた。
ならば、稼ぐしかない。
マーリスは声を張り上げた。
「歩兵が後退して再集結する時間を稼ぐ! 再度、突入するぞ!」
ベテラン兵が「まったく……」とでも言いたげに舌を鳴らした。
「ああもう! ならせめて、これはかけておきますよ……――陽炎!」
その瞬間、野盗とこちらの間の空気が揺らめいた。
陽炎のように景色が歪み、距離感が掴みにくくなる。
「これは……」
マーリスが息を呑むと、ベテラン兵が短く説明する。
「先日の模擬戦でも使った陽炎です。これで、突撃のタイミングが分かりづらくなる」
「本当は部外秘なんですが……白銀殿なら、いいでしょう」
(こちら側からは、こう見えるのか……)
揺らめく視界が、妙に頼もしく思えた。
マーリスは頷く。
「よし……いくぞ!」
突撃。
今日、何度目になるだろう。
陽炎の効果で、敵の反応が一瞬遅れる。だが、それでも――速度も突破力も、最初の頃とは比べものにならない。
馬が重い。
自分の身体も重い。
それでも、前に出る。
マーリスは叫んだ。
「お前たちは先に行け! 私はより長く撹乱する!」
「また無茶を……どうなってもしりませんよ!」
ベテラン兵は呆れ声を上げながらも、騎馬隊を引き連れて前へ走った。
マーリスはそれを見送り、敢えて敵の密なほうへ馬を向ける。
(ここで止める……!)
最後のひと踏ん張り。
馬の首を叩き、気合を入れる。
歩兵の側面へ回り込もうとしている一団――その先頭を、叩く。
「はっ!」
剣が走り、野盗が崩れる。
「きやがったなぁ!」
野盗たちが向かい撃つ構えを見せ、刃を振り上げる。
マーリスは馬上からそれを受け流し、体重を乗せて斬り返した。
「せいっ!」
数人が倒れ、勢いが止まる。
包囲の輪がわずかに歪む。
(よし……これだけ稼げば……)
離脱できる。
歩兵は下がる。
再集結できる。
――安堵が、胸をよぎった。
その瞬間だった。
左足が、浮いた。
「……?」
感覚がずれる。
身体が、ゆっくりと傾いていく。
「な……にっ!?」
視線を落とす。
鐙が、切れていた。
紐が裂け、足が支えを失っている。
さっきの斬り合い――刃が、そこに当たっていたのだろう。
(まずい――!)
体勢を立て直そうとする。
だが、疲労で脚に力が入らない。
馬もまた、乱戦の中で不安定に揺れる。
傾きが、止まらない。
次の瞬間、世界が回転した。
――地面が、迫る。
マーリスの身体は馬上から放り出され、そのまま戦場へと落ちていった。




