国境砦にて⑩
ミーティング
夕刻の砦は、まだ昼間の熱気をわずかに残していた。演習場から戻った兵たちの掛け声や、武具を整える金属音が遠くで響き、薄い硝煙と汗の匂いが会議室の中にまで漂ってくる。
分厚い扉が閉じられると、外の喧噪は遠ざかり、かわりに沈んだ空気が場を満たした。机の上には地図や戦況図、矢羽の折れた矢や泥の付いた駒が置かれ、つい先ほどまで続いていた軍事演習の余熱がそこにあった。
円卓にはヴィクトール、リューン、マーリス、それぞれの副官たちが並ぶ。視線は自然と中央に集まり、誰もがこの会議が通常の感想戦だけでは終わらないと感じていた。
「さて――まずは演習の講評だな」
ヴィクトールが低く、しかしよく通る声で口を開く。
「互いの戦術や強みを確認できた。予想以上に連携できる場面も多く、有意義な時間だった」
リューンがにやりと笑う。
「お褒めいただき光栄です。こちらも砦防衛の底力を見せてもらいましたよ」
副官たちからも、課題や成果の意見が相次ぐ。
「機動力の活用が光った」「防衛側の突破力は予想以上だった」――評価はそれぞれだが、全体としては充実感が漂っていた。
ふとヴィクトールがマーリスに目を向けた。
「……それと、マーリス。重騎馬部隊の突撃を防いだ件、見事だった」
「えっ……あ、ありがとうございます」
「我々が包囲を維持できたのは、あの防御があったからだ」
リューンも頷く。
「同感です。あの場面で突破されていたら形勢は逆転していたでしょう」
褒められ慣れないマーリスは、背筋を伸ばしつつも耳の先がほんのり熱くなるのを感じた。
和やかな空気が一瞬だけ続く――しかし、それはすぐに破られた。
「さて、あのグリフォンについてですが……」
二番隊の参謀が、声を低めて切り出す。室内の温度が一段、下がったように感じられた。
リューンが軽く顎を上げる。
「この辺りではよくあることなのですかな?」
その声音には冗談めいた響きがあったが、瞳の奥は探るように鋭い。
「いや……」
ヴィクトールの表情は険しい。
「魔物――しかもグリフォンが群れで接近するなど、初めてだ。あれは異常だ」
マーリスは、机の下で指先をもじもじと組み合わせながら、迷うように口を開いた。
「あの……」
「どうした?」
「近くで見たのですが……背に、人影がありました」
「……何?」
副官たちの視線が一斉に集まる。
「おそらく……魔族、かと。魔王軍の者である可能性が高いと思われます」
重い沈黙が落ちる。紙の上の駒を指で弾く小さな音が、やけに耳に残った。
その時、ヴィクトールの副官ロッシュが低く呟く。
「魔獣を操るといえば……魔獣王フェンリルでは」
「存在は知られているが、誰も姿を見たことがないという……あのフェンリルか」
ヴィクトールが腕を組む。
マーリスは首を横に振った。
「逆光で……風貌までは。ですが確かに、乗っていました」
リューンが口元を歪める。
「二国合同演習を聞きつけ、示威行為を仕掛けてきたか。わざわざ姿を見せるとは、なかなかの胆力ですな」
「……魔王軍、やはり侮れん」
ヴィクトールは短くそう言うと、しばし黙考した。
…
やがて、話題は意外な方向へ転じた。
「既に一部には伝えているが――聖騎士レオンがこの砦へ向かっている」
ヴィクトールの言葉に、マーリスの胸が高鳴る。
「ほう、あの聖騎士殿が? 面白くなりそうだ」
リューンが愉快そうに笑う。
「何やらある組織を調査しているらしい。我々にも協力を求めてくるやもしれん」
「ならば喜んでお手伝いしましょう。我々は砦に籠もっていても退屈ですし」
「……受けるかどうかは話を聞いてからだ」
マーリスはうつむき、胸の奥で密やかに呟く。
(レオン様が……ここに)
演習の余韻、魔王軍の影、そして聖騎士の来訪。
砦には、次なる波が確実に近づきつつあった。




