国境砦にて⑧
リューンの戦術
馬上で手綱を握りしめたまま、マーリスは息を潜める。目の前には盾を構えて密集陣形を築いた王国二番隊、その向こうには砦の堅牢な城壁。鉄と革の匂いが入り混じった空気の中、彼らは微動だにせず攻撃を待ち受けていた。
対するリューン隊は、風のように軽やかに並んでいる。槍を構える者、弓を手にした者、魔法を練る者――それぞれがばらばらの武器を持ちながらも、不思議と統制が取れているように見える。規律で動く王国軍とはまるで違う、自由で即興的な布陣だった。
「行くぞ――砂のように散れ!」
リューンの低い声が響いた瞬間、全身に鳥肌が立った。
馬が地を蹴り、蹄の音が一斉に鳴り響く。砂煙が視界を覆い、突撃が始まった。
――速い。
マーリスは無我夢中でリューンの背中を追った。風を切る音、頬を打つ砂、迫る盾列。頭では「守りが固い」と理解しているのに、体は彼の動きに引っ張られるように前へと駆け出してしまう。
しかし、正面突破には至らない。突撃の直後、リューンはあっさりと合図を送り、部隊全体が一気に引き下がった。
(……なに、今の?)
息を荒げながら振り返ると、王国の盾列は崩れていない。
再び突撃。今度は左から。またすぐに引き下がる。そして右から。
(同じことの繰り返し……これ、わざとやってる?)
マーリスは違和感を覚えた。
意表を突くといって攻め始めたリューンだが、やっていることは単調な突撃を繰り返しているように見えた。
しかし、その時は唐突に訪れた。
「駆けろ! 砂のように当たれ!」
短い号令とともに、リューンの騎馬が爆発するように加速した。
彼に続いて一斉に突撃する兵たち。盾列の一角――わずかな視線の死角を突き破り、騎馬が食い込む。
「っ――!?」
マーリスも反射的に追う。土煙の中、二番隊の陣形がわずかに割れた。
「隊長に呼応するぞ!風を呼べ!」
そこへ副官の部隊が風魔法を絡めた弓撃で援護し、さらに別働隊が側面から突入する。
波状攻撃。防御側の兵が揺らぎ、どよめきが起こる。
リューン隊は防御の内部へと浸透し、守備の陣形を大きく乱し始めている。
「む……!」
ヴィクトールもこの様子に渋い顔をしている。このまま大崩れするかと思われたが、そうはならなかった。
砦の上からヴィクトールの声が響いた。瞬間、指示が飛ぶ。
「弓兵、後続を狙え! 盾兵、構え直せ! 入った騎馬は速度が落ちている!」
静かな声なのに、戦場全体が再び引き締まった。
盾が組み直され、弓矢が空を裂き、騎馬の進撃が鈍る。
(すごい……! これが“要塞”の指揮……!)
攻める側の勢いがわずかに削がれ、戦場は均衡を取り戻していった。
鐘が鳴った。演習終了の合図。
…
荒い呼吸を整えながら馬を止めると、リューンが隣に並んだ。
彼は飄々とした笑みを浮かべている。
「いやはや、攻めきれるかと思いましたが……さすがはヴィクトール殿。見事ですな」
明るく笑い飛ばすように言うが、その瞳の奥には冷静な分析の光が宿っている。
「……今の戦い方、あれは……」
マーリスが息を整えつつ問いかけると、リューンは少し肩を竦めた。
「人間、ずっと緊張し続けることはできません。だから私は――心の隙を突いたまでです」
「心の……隙……」
「考えを読むのではなく、意識の向きを読むんですな。盾の端がどこを見ているか、息が詰まる間隔、声の揺れ……そういうものを拾う。それだけです」
「そんな戦い方……聞いたこともない」
「だから効くのですよ」
「考えを読むなんてそんな……」
「そこまでのことはしていませんよ。意識がどこへ向いているか、それをよく見ているだけです。それだけでも、私は長年かかってしまいましたがね」
リューンは冗談めかした調子でそう言い、軽く馬腹を蹴った。
再開の鐘が鳴る。今度はリューン隊が守備側の番だ。
「さあ――今度は我々が守る側。不得手ですが、醜態はさらさぬよう頑張りますかね」
飄々とした言葉に、マーリスはわずかに息を呑む。
――この男は何者なのか。……いつまでも味方でいてくれるのか。
疑念と尊敬、その狭間で胸の鼓動が鳴り響いていた。




