第6話 空っぽの心、止まった時間
「テリーゼ、どうしたの。泣きそうだった」
「ちょっとケンカしちゃったんだ」
「ハルト、悪いやつ。女の子を泣かすのはだめ」
「……確かに、ちょっと感情的になりすぎちゃったかも。反省しないと」
「ん。反省しろ」
リィと隣り合わせで座り、図鑑を開きながら彼女の話を聞く。
「スライムはくそだるい。剣も弓も棍棒も効かない」
「え、そうなの?雑魚モンスターだと思ってた」
「ん。なんでか知らないけど、異世界から来たまろーどはみんなスライムを舐めてる。魔法が使えるからなのかもしれないけど、レンジャーやソルジャー、ファイターからしたら強いやつ。囲まれたら大体溶かされて死ぬ。そうなったら蘇生も難しいから、かなりやばい」
「はえー、ドラクエとは違うんだ……。
じゃあ、魔法使いがいなかったら逃げるしかないの?」
「たいまつの火をコアに押し当てれば殺せる。ランプの油をぶっかけて燃やしたりもできる。魔法のスクロールとかもあるけど高い」
「なるほど、道具を攻撃に使うんだ。そう考えると、やっぱり物資の予備を持っとくのって大切なんだね」
「ん。備えあれば患いなし」
「難しい言葉知ってるね」
「馬鹿にするな、それくらい知ってる。ササキに教えてもらった」
───ササキは、リィの家の近所のおばさんだ。よく煮物をおすそ分けしてくれた。今は元の世界で息子夫婦と暮らしているはずだ。
「なるほどね。
……って、なにこの魔物、でかすぎない?」
「これはゴブリンマザー。ゴブリンのメス」
「え、これゴブリンなの?しかもメス?こんなにムキムキなのに?」
「ん。オーガ並みにでかくて強い。頭も良くて喋れる。群れのリーダー」
「かかあ天下なんだ……」
「なにそれ」
「女の人の方が強い夫婦のこと」
「アイネスとハルトみたいなこと?」
「……リィも、結構強引なとこあるけどね」
「わたしはあなたが好きなだけ」
「そ、そっか……」
「ん。大好きだよ、ハルト」
「っ……」
「けひひ……真っ赤になってる。ハルトはかわいい」
「やっぱりリィもかかあ天下じゃん……」
様々な魔物の生態や弱点についてリィに教わったあと、テリーゼの診療所でアイネスに資料を預け、家に戻った。
・・・・・・
その夜は先輩の夢を見た。
「───っ……!」
どんな夢だったのだろう。起きた時には、血だらけの猫と、半分潰れた先輩の顔と、たくさんの本……とりとめのない記憶の欠片だけが頭に残っていた。
辺りはまだ真っ暗だ。背中にびっしょりと汗をかいていて、張り付いたシャツの感触が気持ち悪い。喉が渇いた。息が苦しい。
「先輩……なんで……」
───もうどうしようもないと分かっているのに、湧き上がる感情を止められない。
じっと耐えていると、少しずつ冷静さが戻ってくる。
僕は隣で寝ている二人を起こさないように注意しながら、寝室を出た。
「チルカ……帰ってないんだ。どこ行っちゃったんだろ……」
シャツを着替えて、水を飲む。テリーゼの言葉が脳裏に浮かんだ。
『代用品にしてもいいぞ、私を……』
「多分、あの人は……自分のセールスポイントを僕に売り込んだだけなんだろーな。先輩に似てる、っていう。でも、先輩は僕で、僕は先輩だったんだ。自分の代用品なんて、あるわけないじゃないか……」
テリーゼと仲直りしたい気持ちはあったが、謝る気にはなれないし、正直に自分の気持ちを話しても、理解してもらえるとは思えなかった。
「あーあ。なんでうまく行かないんだろーか……色々と……」
気分転換したくなった僕は、少し外を散歩することにした。
玄関の扉を開けると、冷たく湿った夜の風が吹いてくる。空は曇っていた。
「マスター……?」
空から声がした。見ると、屋根の上に腰かけたチルカが僕を見下ろしていた。
「チルカ……!よかった、帰ってきてたんだね!」
「マスター……私は……」
「チルカ、引っぱり上げてよ。一緒に空が見たいんだ」
「……あい」
屋根の上に並んで座り、ぼーっと景色を眺める。
「先輩の夢を見たんだ」
「そう……ですか」
「うん。最近はあんまり見なくなってたんだけどね」
「……………」
「後悔があるわけじゃないんだ、あの時のこと。先輩は僕たちに自分を倒して欲しがってたし……とどめを刺したのが僕だったこと、本当に満足してくれたと思う」
「満足......とは、どういうことですか」
「先輩はさ……責任感強いから。死ぬことよりも、自分のせいで誰かを……僕達を不幸にしてしまうことの方が、ずっと怖かったと思うんだ。だからあのまま獅童の道具として使われ続けるより、僕達に倒されることを望んだ。衰弱しきった自分の破滅が避けられないって知ってたからこそ......一番いい終わり方を選んだんだよ」
「それは……とても、悲しい選択です」
「うん。本当に……悲しい運命だよね。
……でもさ、先輩、最後に安心してくれたと思うんだ。ずっと守って、育ててきた僕が……不意打ちとはいえ、自分を倒せるくらい成長したって分かって……さ。
先輩が満足したんじゃないかって思うのは、そういう理由」
「……………」
「とはいえそれは先輩の都合で……残された僕の方は、まだまだ立ち直れないまま、もがいてるんですけどねー……」
「マスター......」
「なくなっちゃったんだ、先輩に預けてた分の自分が。先輩がいなくなってからもう半年も経ったのに、そこだけずっと空っぽのままなんだ……」
チルカが僕を見た。悲しみの蒼に染まったその瞳を見つめ返す。
彼女の瞳の回路に走る光は、まるで空を駆ける流れ星のようだった。
「マスター……私は、あなたのためになにができますか」
「情けないこと言ってもいい?……抱きしめて欲しい」
チルカの硬い腕が、そっと僕を包む。彼女の身体は冷え切っていた。
「私……悔しいです。マスターのために泣けないこと。血の通った温もりで、あなたを暖めてあげられないこと……」
「大丈夫……チルカの気持ち、ちゃんと伝わってくるよ」
「マスター……」
腕の力が強くなった。彼女の体の中からヒーターの低い駆動音が聞こえて、少しずつ金属の身体が温まっていく。
「ありがとう……チルカ」
「自分が……恥ずかしいです。自分だけが悩んでいるような気になって、リィ様や、アイネス様に嫉妬していました。本当は皆様......それぞれの苦しみを抱えて、それでも懸命に生きているのだというのに……」
「そんなの恥ずかしがることないよ。誰だって自分が一番で当然じゃん。優しさとか思いやりなんて、自分の苦しさをどうにかした後の、余った力で用意すればいいんだって」
「ですがマスターは……こんなにも苦しみながら、私に優しい言葉をかけて下さっているではありませんか」
「チルカが抱きしめてくれたおかげで……一緒に悲しんでくれたおかげで、苦しくなくなったから。……それにほら、約束したじゃん」
「約束……?」
「オートマタなのに忘れたの?言ったでしょ、チルカのメモリーを楽しい記憶で一杯にするって」
「マスター......っ!」
「いだだだだ!?」
「あ……!も、申し訳ございません……!駆動系のコントロールを誤ってしまいました」
「……い、いいよ、すぐ治せるから……。
うう、自分の骨が折れる音、初めて聞いたかも……」
頬に冷たいものが当たった。低い空が泣き始めている。
「中に入ろっか」
「あい、マスター」
寝室に戻る僕の背中に向けて、チルカが言う。
「───私……必ずもっと、あなたのお役に立ちます」
「ありがとう、チルカ。実は僕達も……あ、これはまだ秘密にしとこ」
「……?」
「明日には詳しいことが話せると思う。アイネスがそう言ってたから」
「そう、ですか」




