第47話 ムーンスターの祝福
「う、う~ん……チルカ……グラシエラ……」
ぼんやりとした意識の中、手探りで彼女を探す。すると、何か柔らかいものに手が触れた。
「チルカじゃない……なにこれ……もみもみ……ふげっ!!」
後頭部に衝撃が走り、振り向くと目を危険な赤に光らせたチルカと目が合った。
「私はここです、マスター」
「あ……チルカ、おはよう……でも叩くことないじゃんか……」
「マスターは重大な道徳違反を犯しています」
「えっ!?」
「いますぐ彼女の乳房を揉みしだいているその手をお離しください。さもなくば……」
「あ……うわっ!?ご、ごめんなさいっ!」
僕が手を伸ばしていたのは、すやすやと眠っている一人の女性だった。随分背丈が高く、足を曲げて窮屈そうな姿勢を取っている。緩くカールした紺色の髪がかかった頬は、血色よく朱が差している。身につけているのはスパンコールが縫いつけられたように輝く黒い薄布だけで、そこから豊満な胸が半分はだけて見えかかっていた。
「だ、誰……?」
「マスター、彼女から離れてください。破廉恥です」
「わ、ひ、引っ張らないで……」
チルカに引きずられるようにしてベッドから出る。地下室に積もっていた埃が舞い、かび臭いにおいが鼻をつく。嫌なにおいのはずのそれが、現実世界に戻ってきた証のようで嬉しかった。
「……っ!チルカ、見て!あの人の胸の谷間......」
「…………マスター。」
「ひぇ……マジックカッターださないで……。エセリアルクイーンの魔石が挟まってるの……」
「……本当ですね。当機が回収します。マスターは、二度とお手を出さないように」
「出さないよ!さっきのは事故だって……」
チルカが最後の魔石を手に取り、それをベッドの支柱に乗せる。……すると、ムーンスターのベッドを包んでいた魔力が一際強くなり、狭い地下室の中に朝日のような爽やかな光が満ちた。
「……ふわぁ~~、よく寝たわ~~。……あら?あなたたち……」
目を覚ました彼女は眠たそうにこちらを見ていたが、やがてぱあっと顔を輝かせると、腕を広げてこちらに向けて突進してきた。
「ふぎゅ!!」
僕とチルカは、まとめて彼女に抱きしめられた。顔に彼女の豊満な乳房が押し付けられる。
「あなた達のこと、夢に見てたわ。私のことを目覚めさせてくれてありがとう!」
「では、あなたはムーンスターなのですか」
「は~い。夜と夢の精霊、ムーンスターで~す」
「エセリアルクイーンと色々違う……」
「エシー、真面目でいい子だったでしょう?」
「は、はい……」
と、ムーンスターの背後で、ベッドが浮かび上がる。支柱に置かれていた四つの魔石が毛布の中心に集まり強い光を放つと、ムーンスターのベッドは、中央に四つの魔石がはめられた、大きな扉になった。
「ベッドが……」
僕たちを抱きしめたまま、ムーンスターが振り向く。唐突に扉が開き、中に広がる暗闇から、一人の精霊が飛び出してきた。
「ハルトっ!」「グラシエラ!」
彼女はムーンスターと二人で僕たちを挟むように抱きしめると、僕の耳元で囁く。
「フフフ、これからはずっと一緒だね」
「ず、ずっと?」
「ああ、ずっとさ。ハルト……ボクの初めてを全部奪った責任、取ってもらうよ」
「う……はい……」
「あらあら、仲良しでいいわね~」
「……マスター。ついにあなたは、精霊にまでその魔の手を伸ばすのですね」
「魔の手とかじゃないし!これは、その……義務感の問題!」
「僕との関係は、ただの義務なのかい?そんな……寂しいな……」
「そ、そんなことないよ!グラシエラのこと、すごく素敵だって思うし、でも、……会ったばかりだし、そういうのはまだ早いとゆーか……うわあっ!?」
『ひゃっほおおおう!!』『きゅいきゅい!』『雲散霧消』『いえーい!』『ムーンスター、久しぶりー♪』『じめじめ……』『世界征服するぞーーっ!!』『きるきるきる』『スカイアップル五億個ほしい』
僕たちは精霊界の扉から飛び出してきた精霊の集団に跳ね飛ばされ、みんなで床に倒れた。地下室のハッチを吹き飛ばして飛び去っていく彼らを、呆然と見送る。
「うふふ……みんな、この世界が恋しかったのね~」
ムーンスターはのんびりとした動きで立ち上がると、幸せそうな笑みを浮かべながら言った。
「私も千年ぶりに外の景色が見てみたいわ~。一緒に行きましょうか」
・・・・・・
夜が明けていた。肺が凍り付きそうなほど冷たい朝の大気の中を、きらめく細氷が舞っている。それは朝日に照らされて、こがね色の光の柱を作っていた。
「ダイアモンドダストだ……」
「素敵な景色です。素敵メモリーに登録決定です」
「……ボクも氷を操るのは得意だけれど……この風景にはかなわないな……」
「綺麗ねえ……」
ムーンスターは美しい冬の朝の景色と、辺りを飛び回る精霊たちをゆっくりと見まわすと、感動をかみしめるように言った。
「ここから……始まるのね。精霊と人間の、新しい未来が……」
「ああ……ワクワクがとまらないよ……!」
「果物いっぱい食べたい?」
「おいおい……ボクを食いしん坊みたいに言わないでくれるかい?」
「山盛りピチピーチ」
「じゅるり……ハッ」
「……人間は、また私達と仲良くしてくれるかしら」
「僕、できるだけ手伝います!もう特別な力はないけど……でも、王女様とか、政治家とか、魔術師とか、いっぱいすごい知り合いはいるので!その人たちに助けてもらえないか頼んでみます!」
「ムーンスター、当機の耐用年数は数万年あります。私であれば超長期的な視点から、精霊と人間の関係改善に協力できると考えます」
「二人とも......ありがとう。私の夢を訪れたのがあなたたちで、本当に良かったわ~。……よ~し、私も頑張っちゃうわよ~!」
ムーンスターは朝日に照らされて水面をきらめかせている湖のほとりへと進むと、両手を前に掲げ、魔力を集め始めた。
「ハルトちゃんからもらった力で~……え~い、戻れ~~っ!!」
「うわっ!?湖が揺れ始めた……!?」
「水中から、巨大な建造物の浮上を検知」
白い水飛沫を上げながら、おとぎ話の中から出てきたような華やかな宮殿が現れる。
「じゃ~ん!これが私の、双子月城で~す!」
「す、すごいや……!」
「うふふ、そうでしょう?グラシエラちゃんが良ければ、中の部屋を一つあげるわ~」
「ほ、本当かい!?嬉しいな……!」
「中の案内もしてあげたいんだけど……飛び出していったみんなのことが心配だから、様子を見てくるわね~。なんだかやんちゃな子もいたから、人間さんに迷惑をかけていないといいんだけど……」
「僕たちも急いでティンに戻って、エセリアルクイーンとの約束を守りに行かないと……ムーンスター、ここでお別れですね」
「あら、そお?もう、行っちゃうのね。……じゃあハルトちゃん、ちょっと目を閉じて?」
頷いて僕が目を閉じると、額に温かく湿ったものが触れた。
驚いて目を開くと、いたずらっぽく微笑むムーンスターと、その後ろで物凄い顔をしているチルカが見えた。
「大好きよ、ハルトちゃん。とっておきの加護をかけたわ。また会うときまで、元気にしていてね。……それじゃあ、ばいば~い!」
ムーンスターは空へと浮かび上がると、風のように飛んで行ってしまった。
「マスター……いい加減にしてください」
「ぼ、僕は何もしてないよ……」
「英雄的行為でグラシエラとムーンスターを魅了したではありませんか。マスターのパートナーである当機といたしましては、許し難い所業です」
「そんなあ……」
「フフフ……キミは罪作りな男だね、ハルト」
精霊たちのさざめくような笑い声に囲まれながら、僕たちは港へと向けて出発した。




